十一
尾籠なネタを含みます。おなか具合に関する描写はほのめかし程度であってもイヤ、などなど耐性のない方は閲覧をおやめください。
コウジ一人であたふたしていた保育所だが、少年たちの手伝いなどでずいぶん運営が楽になってきた。
うらうらと晴れた午後、保育所の庭に面した窓に人影が映った。そっと顔をのぞかせているのはやさしげなポニー頭の少年だ。白い布を腕一杯に抱えている。
「いらっしゃい。いつもありがとう。とても助かるよ」
コウジが視線を合わせて微笑むとポニー少年がはにかんだ。
少年は馬頭の幼年体の中でもひときわ小さい。淡く金色がかったミルク色の毛に睫毛の長い目がやさしい。この少年は次代の馬頭党のリーダー、つまりは若頭領だ。そう言われてみればきらきらと美しくワイルドで男性的な馬頭の頭領と毛の色も似ているし、面差しも似通っている。それでも同じ遺伝子で作られているようには見えない。少年は培養ポッドから出て七年、中学生ほどの年齢にあたり、あと三年もすれば成人し壮年体となる。しかし彼の身体は極端に成長が遅い。馬頭党党首の系譜に稀に現れる遺伝形質なのだとか。周囲の心ない視線に気づかないわけがなかろうが、本人はおっとりとそれを受け流している。
「今、お邪魔してもよろしいですか」
「うん。赤ちゃんたちはお昼寝してる」
ぴん、と立った耳がぴくぴくと動く。少年は少し残念そうな顔をした。
歴史的、社会的に赤ん坊というものが存在しなかったナラク王国にあって赤ん坊を産んだ母親でさえ戸惑い遠巻きにするというのに、この馬頭の若頭領はふよふよと頼りない赤ん坊に興味津々だ。当番の日だけでなく、時間が空けば保育所に顔を出す。他の少年たちが嫌がるおむつの交換も積極的にこなすだけでない。馬頭の若頭領はおむつ替えの時にうんちやおしっこの色や質感に変化があるとすぐにコウジに質問する。生まれながらに馬頭党のリーダーであり、将来医療部を束ねることが定められているからというだけでない賢さがこの少年にはある。
「え、寝てるのか」
馬頭の若頭領の背後からプラチナブロンドの巻き毛頭がひょこ、と姿を現した。この十歳の童女は次代の王、春宮である。つり上がって大きな目の瞳は先王、今上の王と同じくグレーだがいかにもくりくりと表情豊かで聞かん気な童女らしい。ただ今日は落ち着きなくグレーの瞳がうろうろと揺れ動く。春宮も赤ん坊に興味津々なのかと言うと少し違う。春宮は馬頭の若頭領にべったり懐いている。自分が大好きな少年の関心が他に向いているのが気に食わないので敵情視察に来ているわけだ。しかし少年の背中にくっついているうちにそれがうれしくて敵情視察という目的が頭からすぽっと抜けてしまう。そういうところが子どもらしくほほえましい。馬頭の若頭領からきっちりとたたまれた洗濯ものを受け取りながらコウジは苦笑した。
「せっかく遊びに来たというのにつまらんぞ! ――あっ」
不満げに声を尖らせた春宮がかわいらしい唇を押さえた。グレーの瞳が赤ん坊のベッドに向けられている。その視線の先で赤ん坊の一人が顔を真っ赤にして身をよじっていた。
「――コ、コウジ、赤子が苦しそうにしている」
「だいじょうぶ。うんちしてるところだから」
「う……んち? あんな苦しそうに?」
「うんちのお勉強中なんだよ。そのうちすぐ慣れてけろっとした顔でうんちするから。だいじょうぶ」
「なんと……! うんちも勉強しないとできないのか、赤子は。――臭っ」
「そんなに臭くないけどな。きっと宮さまのうんちのほうが臭い」
「ななななな、何だと? わわわわわたしのうんちは臭くなんかないぞっ!」
「宮さま。――お声が大きゅうございます」
ポニー頭の少年にたしなめられ、春宮が真っ赤になって口をつぐんだ。
人の気配を察したか、赤ん坊たちが目を覚ましふやふや、と頼りない声をあげ泣き始めた。馬頭の若頭領が引き受けてくれると言うのでコウジは汚れたおむつをバケツに入れ、洗濯へ向かった。
「栗ちゃんはおむつかなー」
「はしばみちゃんはだっこがいいんだねえ」
「青ちゃんはおなかすいているのかな」
「あ、宮さま、哺乳瓶を出すのはコウジどのにおうかがいしてからにしましょう。頻度はともかく、量についてまだぼくたちでは判断できませんから」
「うむ、そうか。わたしも赤子に乳をやりたい。コウジ、早う戻ればよいのに」
排泄物を専用の処理箱に移し、洗濯をしながらコウジは、離れたところから伝わる赤ん坊の世話をする子どもたちの気配を感じ、目を細めた。
いずれナラク国王エンマ・ラージャ九百九十九世となる春宮はやんちゃだ。養育係の中には手を焼く者もいるという。家来が頭を抱える春宮のくせのひとつが人々の名前を呼ぶことだ。
「何がいかんのじゃ。いちいち家の名前を呼ぶより面倒がなくてよかろう。せっかく名前があるというに」
愛らしい頬を膨らませて不満げな顔をする春宮に対し、大人たちが
「特別に思いを通じあわせた者のみに名を明かすのです」
「我が国の美しい風習なのです」
懇々とさとすのだが、春宮は納得しない。少々言動に粗暴なところがあるのを悪しざまにいう者も出てきたとかで王や先王が心配したらしい。ただ先王は春宮のやんちゃなところがかわいくてしかたないらしく、
「好きにさせてやればよい。まだ子どもではないか」
などと目を細める。外見は若いが孫にでれでれする祖母のようなものだ。先王の取り巻きはタカ派の保守主義者が多く、春宮への不満も主にこのあたりが震源なのだが、先王は孫可愛さの態でこれを抑え込んでいるらしい。それでやんちゃな春宮を野放しに甘やかしては後々障りが生じるに違いなく、今上の王が春宮の話を聞いてやり、
「親しい者の前でのみ、名を呼べばよかろう」
と改めて言い聞かせた。




