四
「こら、マレビトどの、危ないぞ」
牛おっさんにコートのフードを掴まれて辛うじてひっくり返らずに済んだけれどもコウジは心底驚いた。
幽霊ってのは夜出るものじゃないのか。いや、そもそも幽霊じゃなかったのか。やっぱり幽霊なのか。あの夜は声だけだったのに今は姿が見える。すけすけだ。すけすけってのはもっとロマンチックなものじゃないのか。こんなふうにのどかで明るいさわやかないいお天気、ピーカンの青空の下、今は隅っこに古びた機体が一隻停まっているだけの飛行船発着場や塔が見えている。半分透けた身体の向こうにそれらが見えるんである。
コウジの眼前で「あ……」と胡乱な声を発するすけすけの何かは人間のような形をしている。すけすけで胡乱な声を発して甚だ怪しい雰囲気であることを除けば人間に見える。これだけ条件を重ねれば昔はともかく今は人間でなさそうな気がする。結局幽霊か。
ひとまずそう仮定してコウジはほんの少し落ち着いた。すけすけ人間を観察してみる。
顔に重苦しく覆いかぶさる髪は透けすぎて何色かは分からないがなんとなく白っぽい。もっさりとしているが髪型はボブカットといったところではなかろうか。幼稚園児の作業着、スモックの丈をずるずると伸ばしたワンピースのような、飾りのないネグリジェのような、単に袋に袖をつけただけのような性別年齢職業属性がはっきりしない服装をしている。そして裸足だ。やはり寝巻なのだろうか。足だけでなく手の指も細くて肉が薄く、骨ばっているがこれで男と断定するもの難しい。しかもすけすけ。
そのすけすけ人間は
「あ……あの……う……」
と胡乱に痩せこけた手を所在なく宙にさまよわせ何かを伝えたそうにしているけれど、コウジには聞き取れない。
牛おっさんがはっとして居住まいを正した。
「キ神」
「キ神って……播種船団を率いていた機人類の複製人格っていう……?」
「そうだ」
「神格化されているっていう……これが?」
「そうだ。――何か問題があるか?」
「いや、問題っていうかその、吹雪丸も怖がってますよね」
さすがに幽霊みたいだとは言いづらい。牛おっさんは言い淀んだ。
「ああ、その――その、動物もキ神を畏れる、のだ」
異世界からやってきたコウジですら受け容れる吹雪丸が警戒するのだから相当怪しいのではないか。しかし、かくかくふるふると小刻みに胡乱な動きをしていたキ神は牛おっさんの言葉を耳にしてしょんぼりと肩を落とした。吹雪丸に好かれたいようだ。
「ええ、まあ、本人の意思と関わりなく動物に好かれない人っていますよね」
あ、やっちゃった――。牛おっさんはため息をつき、すけすけキ神はしゃがんで暗く沈みこんだ。またやってしまった。
「マレビトどの」
「すみません」
キ神がしゃがみこんだままコウジの方をちらちら見る。変わらず顔のほとんどが髪の毛で隠れていて表情、感情ともに不明。ただ、ちらりと掌に円のような模様が見えた気がした。
「ああ、そうか。マレビトどのはキ神の輪に加わっていないからな」
コウジがうすぼんやりと透けたキ神の胡乱な態度について、コウジが遠慮しいしい説明すると牛おっさんはうなずいた。
キ神はどうもこの国、全体をカバーする通信網を一手に引き受けて管理運営しているらしい。コウジの故郷である現代日本に例えると携帯電話会社、すなわち移動体通信事業者やISP、SNSまでも一手に引き受けていることになる。王は確か国民全員分のクローニングシステムもキ神が管理していると言っていた。
「すごいですね」
コウジが目を丸くするのをしゃがんだまま見上げるキ神の白いような灰色がかったような頬がほんのり赤らんだ。口元に笑みが浮かんでいるところを見るに、嬉しかったようだ。――コウジからすると少々不気味だが。
「うむ。キ神の仕事があまりに広範囲にわたっているのでな、負荷が心配なのだが」
キ神はむっつりとした表情になり、俯いてふるふると頭を横に振った。
「まあ、こんな様子で。マレビトどのがキ神の輪に入っていないこともあって意思の疎通に難渋しておいでだ。こうして姿と音声で呼びかけるのは負荷が高い――」
足下にうずくまるキ神の唇がむうっとへの字に曲がった。拗ねる子どものようだ。――子どものように愛らしいとは言えず不気味だが。
「あー、かまわないと、うーん、しかしですな、通常のお仕事がおろそかになってはその――あー、いいえ、まあなんというかわりとムラがあるんだけどなあ」
「あの」
コウジはぶつくさつぶやく牛おっさんに声をかけた。
「広場で――赤ちゃんが亡くなった時、どうしてみんなキ神、さま、の声が聞こえなかったんでしょう」
牛おっさんとキ神の表情が曇った。
「おそらくはあの場にいた全員にお声が届くようにすると負荷が高まるからだと思う。なぜマレビトどのにだけ呼びかけをされたのかは分からん」
しょんぼりと肩を落としたキ神はまたむっすりと唇を引き結んだ。
「それよりもマレビトどの、なぜあのように嘆き悲しまれた」
牛おっさんが軽い調子で問いかけた。ただ、耳がぴくぴくしていて緊張気味であるように見える。王なのか、それともキ神なのか。おっさんより上位にいる誰かから命じられたのか頼まれたのか。警戒すればきりがない。守るべき個人情報も日本のあの社会に属すればこそ。ここでは無意味だ。
「ぼくには姉が三人いて――」
隣で寝そべる吹雪丸のなめらかな銀色の毛を撫でながらコウジは口を開いた。




