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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第三章

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暴力を想起させる表現、登場人物死亡に関する描写・記述があります。苦手な方はお読みにならないようお願いいたします。本作品に犯罪行為を賛美・助長する意図がないことをご理解くださいますようお願い申し上げます。

 プラチナブロンドにグレーの瞳、褐色の肌をした二人の女が広場の中央で向かい合った。


「宮よ、紫五家の若衆を山猫たちに与えるように申したのはわらわじゃ」

「お言葉ですが母上、今は私が王です。春宮ではない」


 ほ、ほほ、黒い長手袋の指先をのけぞった顎にあて、女が笑った。「母上」、王はそう言った。コウジは驚いた。じゃあ、この妖艶な女が先王なのか。今上の王とさして年齢が変わらないように見える。確かに顔の造作、髪や目の色はそっくりだ。でも同一遺伝子を持つクローン体には見えない。


――見た目も違えば性格も違う。


 こういうことなのか。コウジは王の言葉を思い出した。


「護衛の者どもも最初は嫌がったのじゃ。少々強うお願いしての、ほ、ほほ」


 にいい、と意地悪く先王が笑んだ。


「山猫たちがのう、どうしてもあの紫五家の若衆で遊びたい、そう言うのでのう。普通の女は子が生まれると乳が出るのじゃそうな。それをわらわに見せたいと、そう言うので許した。若いおなごの乳房から馴鹿のような乳が出るかどうかなど興味はないがの、山猫たちのかわゆいおねだりに負けたのじゃ」

「なぜ。なぜそんな無体を」

「なぜ?」


 突如先王の雰囲気が変わった。娘である王の胸倉を掴み引き寄せた。

 先王の手袋に包まれた手を振り払い、王が声を荒らげる。

 似た顔立ちの二人の女、細身で理知的な王と豊満で妖艶な先王が睨み合う。周囲が固唾を呑んで見守る中、コウジと吹雪丸だけは困惑していた。


「……あ、あ、……言ってない……あ、あ」


 左側、すぐ背後からぼそぼそと小さな声がする。聞き取るのが難しいくらい小さな声だ。コウジは誰かが話しかけてきているのかと最初は思った。しかし、右隣には橘がいて王と先王の(いさか)いをはらはらして見守っている。問題は声のする左隣だ。そこに誰がいるかというと、吹雪丸だけだ。ただの犬ではない。馴鹿より大きい三頭犬だ。三頭犬がしゃべるという話は聞いたことがない。コウジの惑星ナラク滞在時間は合計してもごく短いわけでこの世界の知識を十分に得ているとは言えないのだがそれにしても、


「……言ってない……のに……あ、あ」


 これは明らかに吹雪丸の声じゃない。コウジのいぶかしげな視線に対して吹雪丸も困ったような顔をしている。三つの頭全部で。しかも明らかにぼそぼそした声に反応してぴくぴくと三対の耳を動かしている。コウジの左肩から背中にかけて、吹雪丸の銀色のふわふわした毛に軽く接している。いない。ぼそぼそ話す人なんて誰もいない。いるはずがない。

 ぞわわわわ。

 コウジの肌が恐怖で泡立った。



「生まれた赤子は男ではないか」

「それのなにがいけませんか」

「い、言いたいことがあるんなら、はっきり言えよ!」


 コウジが小さく叫んだ途端、広場は静寂に包まれた。王も先王も、隣の橘も吹雪丸も見守る人々も、広場にいる全員がコウジを見つめ凍てついている。痛い。視線と沈黙が痛い。


「いや、そのあの、……ちが、違うんですよその、そちらはあの、元気に喧嘩なんぞしていただいていっこうに、あのその」

「……あ、あ、……赤子……まだ死んでな……ないのに……勝手に、でも……」


 赤子? 死んでない? まだ?

 コウジは周りを見回しながら考えた。そもそも森の中のキャンプを急遽引き上げることになったのが、赤子の死ではなかったか。まるで幽霊のようなこの声はそれが間違いだと言いたいのか。


「まだ――死んでない? どういうこと? 赤ちゃん、どこにいるの」


 コウジの視線が広場をさまよい、ぽつりと置き去りにされた籠に据えられた。


「あ……弱っ……でも……あ、あ、……まだ死んでな……危な……」

「あそこか!」


 広場の中央へコウジは躍り出た。王と先王の間を突っ切り、置き去りにされた籠へ向かう。跪き、籠の中を覗いた。クッションが敷いてある。やわらかく白い布に包まれて、猫の顔をした赤ん坊がそこにいた。コウジは布ごと赤ん坊を抱き上げた。目を閉じてぐったりとした赤ん坊は痩せていた。猫顔から胸元まで金色の和毛に包まれているが、簡素な産着からのぞく手や足はコウジの見慣れた赤ん坊と変わらない。大きさも痩せていることを除けばコウジの知る新生児と同じに見える。

 ぴくり。

 赤ん坊の指が動いた。


「生きてる。――この子、生きてる!」


 広場にどよめきが起きた。王と牛おっさんが駆け寄ってきた。


「マレビトどの、まことか」

「お乳を、誰かお乳――」


 まさか。いないのか。他に乳の出る女はいないのか。コウジは目の前が暗くなりかけるのをこらえた。


「おっさん、ぼくの荷物を」

「おっさ、……俺か。――マレビトどの、どれだ」

「紙袋――持ち手がついて上が開いているごわごわした袋、中身も全部持ってきてください。そしてお湯。熱湯でなく飲むには少し熱い程度のお湯をください。――急いでください!」

「了解した」


 牛おっさんが去る。


「白湯を持て」

「医師を呼べ」

「布をもっと」


 人々が慌ただしく動き始めた。しかし、コウジの耳にはそのざわめきは届かない。おくるみごと赤ん坊を落ちていた王のコートで包んだ。ひんやりした夜気から赤ん坊を守るように胸元にしっかりと抱き寄せる。


「しっかり、――しっかりするんだ」


 猫顔の口がわずかに開く。


「そうだね、知らないおじさんだから、シャー、だね。いいんだよ、引っ掻いてくれていい、大泣きしてくれていい、シャーって言っていいから、お願いだ、しっかり、しっかり」


 うっすらと赤ん坊のまぶたが開いた。青いようなグレーのような、不思議に美しい色の目をしている。


「すごくきれいな目だ。もっとよく見せて。声を聞かせて」


 応えるように赤ん坊の口が開く。

 そのままゆっくりと、赤ん坊の身体から光と力が抜けて行った。


 声を出さずに咽び身を震わせるコウジを、人々は黙って囲んでいる。


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