一
暴力を想起させる表現、流血描写があります。苦手な方はお読みにならないようお願いいたします。本作品に犯罪行為を賛美・助長する意図がないことをご理解くださいますようお願い申し上げます。
草の生えた大きな土手のような壁が迫ってきた。一か所、灯りがともっている場所がある。門だ。先に王たちが通ったのか、扉が開いている。コウジたちが乗ったカートと吹雪丸が通り過ぎると、
ぎぎ、ぎ、ぎぎぎ。
重々しい音を立て、扉が閉じた。
門を通り過ぎたところで橘は手綱を引きながら短く馴鹿に声をかけ、カートを止めた。鞭をシートの背当てにたてかけ、ひらりと身軽くカートから降りる。
「黄三家さん!」
声がする方に目をやると、牛少年(ジャージー種)が駆け寄ってきた。
「わがきみがお呼びです。車は黄輪党へ戻しておきますのでそのまま宮前へ」
「了解した。あとを頼む。――マレビト、一緒に来い」
石畳の道を橘が走ってゆく。あたふたとカートから降り、コウジも吹雪丸とともに駆けた。
もこもことした毛皮を着込んでいるからか、走りにくい。広々とした門のうちから濠にかかった橋を渡り、そびえるような急斜面の丘と丘の間の石畳の道を進む。側を通ると、草の生えた丘のように見えたそれは丸みを帯びた建物であることが分かった。ぽつぽつと灯りがともっているが、暗すぎてあたりを詳しく見ることができない。何より、コウジは走るので精いっぱいだった。インドア派といっても定期的にジムに通っているし、取り立てて運動不足でもないと思っていたがてんで駄目だ。息が切れて視界が狭まっている気がする。途中何度か橘を見失ったが、吹雪丸に先導してもらってコウジはなんとか走り切った。
「放せ」
王の声だ。大した声量でないのに凛として凄みがある。
重厚な古い洋館のような建物の前の広場に人がひしめいている。橘と、吹雪丸の巨体が目立つのか、人垣が割れた。石畳の広場の中央に王が、そばに牛おっさんがいる。
橘が足を止め、息を呑んだ。王の、そして橘の視線の先には錆茶の縞模様の猫、もっと獰猛な――頭部が山猫の大きな男がふたり立っていた。男たちの足下には半裸で血まみれになった女が一人、くずおれている。
「もう触っちゃいねえよ。――おっと、足が引っ掛かった」
山猫の一人が女を蹴りあげた。くうう、と小さく苦悶の声が上がる。同時に取り囲む人々から抑えた嘆声が漏れた。
肩に手をかけようとする牛おっさんを振り返らず王は静かに言った。
「触るな。さがっておれ」
フードを背後へ押しやると、プラチナブロンドの髪が出てきた。広場の灯りをうけて輝く。王は灰色の毛皮のコートの前を開き、脱ぎ捨てた。複雑な銀色の刺繍が施された黒いチュニックに身を包んだ王はほっそりとしてたおやかだ。なのに怒りからか、不穏な空気を纏っている。つかつかと山猫ふたりに歩み寄り王は口を開いた。
「紫五家の若衆は現在療養中だ。知っておろう」
王を見下ろし、山猫たちはだらしなく姿勢を崩し、答えた。
「あー、そんな話だったか?」
「さてね、聞いてねえな。ガキ産んだから乳出るだろ。んで拝ませてもらったわけよ」
あひゃひゃひゃ。山猫たちはのけぞり、頭蓋を貫くような声を立てて嗤った。
「抵抗するわ、乳はなかなか出ないわ、なかなか手がかかったぜ?」
「血は簡単に出るのにな」
一閃、続けてさらに一閃、光が走った。あひゃ、ひゃひゃ、と嗤い続ける二人のうち一人がどう、と倒れた。
「そのようだな。血は簡単に流れる」
立っている方の山猫の喉に王の握ったナイフの鋒がつきつけられている。
「貴様もそこの仲間のように自分の身体で試してみたかろう、囚人よ」
口もとがにやりと歪められているのに目が笑っていない。山猫は大きい。女にしては背の高い王に覆いかぶさることもできるくらい大きく、だらしなく着崩した銀色のシャツからのぞく毛に覆われた胸板は厚く、腕も太く隆々としている。それなのに目の前の細い女の発する怒気に周囲を取り囲む人々同様中てられてしまっている。
「おやめください、わがきみ」
牛おっさんが後ろから王の肘を掴んだ。ちょっとちょっと、そこ触るのはヤバくないか、そう思ったのはコウジだけでなかったらしく、そこここから小さくどよめきが起きた。肘を掴まれてぐらぐら揺れるナイフの刃先がちょいちょいと山猫の皮膚を傷つける。血が滲みはじめた。
「放せ。卿には止める気があるのか、それともこの囚人を殺すつもりなのか。こやつの首に刃が刺さるぞ」
「殺すなど滅相もない。もちろん星間関係を鑑みてお止め申し上げたのです」
ナイフが遠ざかり安堵したか、山猫ががっくりと膝をついた。
「たれかある」
ささ、と若い女が数人駆け寄り、山猫たちをロープで縛り始めた。別の女数人が駆け寄り、血まみれの女を助け起こし、去る。
「馬頭の頭領は」
「ここに」
森の中でも会った馬顔の男がやってきた。王は重々しくうなずき、
「この山猫どもを牢へ。その前に馬頭の、こいつらのを切り取れ」
「は。しかし」
「失敗してもかまわん」
へたり込んで呆然としていた山猫たちが顔を上げ、喚き始めた。
「切り取るって何をだよ」
「失敗って何だよ」
王は冷ややかに山猫たちを見下ろした。
「さあて。馬頭の頭領は医術の長として先ほどの私の意を酌んでいろいろと考え、手術をしてくれよう。何を切り取ってくれるのか、私も楽しみだ。指か、腕? いや脚かもしれぬ、それとも――睾丸か」
「いやだ、いやだいやだ」
山猫たちが暴れ始めた。女たちが数人がかりで抑えにかかる。
「馬頭の。失敗を恐れず存分にな。卿みずから執刀する必要はない。修行中の医師で充分だ」
「しかし」
「かまわん。この山猫どもの故郷では首長の代替わりがあってな、契約が更改されたのだ。実験やら自然災害やらで偶然物故する分にはかまわぬ、むしろ」
にいい、と王は笑った。目に冷酷な光が凝る。
「好都合だそうだ。――連れて行け」
虚脱した表情の山猫たちを引きたて、女たちと馬頭の頭領が去った。広場の真ん中には王と牛おっさん、そして籠がひとつぽつんと残された。
「護衛は、母体の護衛担当者はたれか」
「こ、ここに」
女が三人、おずおずと王の前に進み出た。
「紫五家の若衆を守るよう直接指示したはずだが。母体は出産後、体調を崩しておった。赤子の傍で過ごすことを望めばそのように、しかし決して囚人どもを近づけてはならんと言い置いたを忘れたか」
「いいえ、決して――その」
三人がうなだれた。先ほどの山猫たちに対する苛烈な態度とは異なり、静かで声も荒くない。それなのに怖い。コウジは王の怒りをびりびりと肌で感じた。
「春祭りだからと気もそぞろになる浮ついた者どもではないと思っておったが、買いかぶってしまったか」
「わ、わがきみ」
三人の女たちの肩が震える。
突如、人垣が割れた。
「宮よ、祭りではないか。そのぐらいにしやれ」
人垣に大きく空いた道を女がゆっくりと広場の中央に向かって歩く。プラチナブロンドの輝く髪を顎のラインですっぱりと切り揃えている。やや明るい色味の褐色の肌を黒いローブ・デコルテで包んでいる。首だけでなく肩も大きく露わにし、胸元深く、みぞおちを越えてウェスト近くまでカットされている。共布の細いリボンがクロスしながら左右の身ごろを繋がなければ、もりもりと存在を主張する豊満な乳房が露わになっているだろう。人々の視線を一身に集め、大胆というよりむしろきわどいデザインのドレスのくびれを強調するように身をひねりながらしゃなりしゃなり、女が歩く。
獣頭の男たちが俯いた。少し腰が引けている者もいる。
グレーの瞳をした目を三日月のように細め微笑みながら男たちを見遣りゆったりと歩むその姿はしどけないいでたちと反して上品で、そしてやはり妖艶だった。
年かさの女たちを後ろに従える美女は王そっくりで、それでいて似ていない。
ぶっ‐こ【物故】
[名] (スル)人が死ぬこと。死去。「昨年―した友人」「―者」
提供元:「デジタル大辞泉」
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/193522/m0u/%E7%89%A9%E6%95%85/




