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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第二章

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18/83

 森を涼やかな風が渡る。その風に煽られて白い釣鐘のような花々が一斉に首を振る。森の中にしゃらら、と花の形をした小さな鐘が一斉に鳴る音が満ちる気がする。


 おとなしく伏せたまま待っていた吹雪丸のもとへ向かう。手を差し伸べるコウジに、吹雪丸はぴすぴすと仔犬めいた声を立てながら三つの鼻を交互にすりつけた。


「大きくなったなあ」


 巨大な顎、頭、般若のような顔の模様に凶悪な青い目。吹雪丸は母犬よりさらに大きく、物騒な外見のレディに育っていた。しかし、甘え方が五年前と同じだ。コウジは吹雪丸の首のひとつに頬ずりした。


「覚えていてくれたんだね」


 コウジはいとしげに撫でまわしているが、その三つの頭それぞれに呪い殺す、と念じているようにしか見えない。凶悪な目を細める吹雪丸とともにコウジは、自分がこの世界に出現した場所、大きな石の前に立っている。

 規則的に並ぶ大きな石。ただひとつ、念入りに焼き払った痕。


「柚子の墓なのか……」


 目の前の大きな石に縋り、がっくりとコウジは膝をついた。

 せっかく訪れることができたのに、柚子はもういない。

 コウジが持ち込んだ水ぼうそうでどれだけ苦しんだろうか。あの美しい肌に痕が残ってしまったのだろうか。


――柚子。


 コウジにとってはただただ甘い、わたあめのように淡く儚くちりちりと溶けるようなひとときだった。


――柚子。


 胸が締め付けられるように痛い。

 橘も王も、柚子を愛しているからあのように故人を悼む。でも。コウジは他の墓標と異なり、ひとつだけ黒くすすけている目の前の大きな石を掌で撫でた。

 日本ではごくありふれた病気であってもこの世界では違う。未知のウィルス性疾患を持ちこんだ者として社会的に罰せられ、亡くなった後もこうして灼かれている。コウジは黒い大きな石に縋ったまま膝をついた。俯き、ぎりぎりと歯噛みする。後悔ともどかしさと悲しみが胸の中で膨らみ、弾けてしまいそうだ。コウジは身中で膨らむ痛みに苛まれ震えた。泣いては駄目だ。


――柚子。


 ぼくはきみに謝らない。こんなことになって、若くして命を落とすほど憔悴したきみがどんなにぼくを恨んでいても、やはりきみに会えてよかった、今でもそう思っている。そして


「会いたかったよ」


 恋しい思いが募る。偶然やってきて、出会って、たまたま潜伏期だったから水ぼうそうをうつしてしまって、死産させてしまって後々まで大変な目に遭わせてしまった。そして再び、偶然なのかもしれないけれど、またこの世界にやってこれた。


――柚子。


「きみと出会ったこの世界でぼくは何をすればいい……」


 巨大な三頭犬が、そして離れたところで王と牛頭の男と少女が身を震わせるコウジをじっと見つめていた。



 日が暮れた。焚火の前に四人全員揃った。

 橘が二枚下ろしにされた大きな魚の干物や芋などを焚火で炙る。牛おっさんが干物をちぎり、ハーブソルトのようなものを軽く振って王に手渡す。


「マレビトどのも」


 コウジにも手渡す。

 炙られて弾けた脂と塩が口中で魚の身の旨みと一体となる。素朴だけどうまい。他に芋を蒸し焼きにしたものとハーブティーのようなもの、コウジは勧められるまま食べた。


「おいしいです。ありがとうございます」


 ぺこりと頭を下げると、牛おっさんは微笑んだ。コウジは牛顔の喜怒哀楽の区別がつかない。でもなんとなく微笑んでいるように見えた。

 牛おっさんは牛顔なのに草食でないらしい。魚の干物をむっしゃむっしゃ平らげ、手を拭くと盆の上に皿やカトラリー、瓶を並べ、網の上で丸い菓子のようなものを炙った。


「ほう、久々によいな」

「はい。わがきみがお好みになりますから。――さあ、マレビトどのも」


 手渡された皿の上にほかほかと湯気を立てるスコーンのようなものが載っている。赤いジャムとクリームも添えられていた。


「牛頭翁は菓子を作るのが上手でな。――そこにもたくさん咲いている白い花があろう」


 地面を這うようにして生える丈低い木に、釣鐘のような小さな白い花が頬を寄せ合うように咲いている、苔桃というらしい。秋になると真っ赤な実をつけるのだと橘が説明を引き継いだ。


「そのまま食べると酸っぱい。だから糖蜜とともに煮詰めるのだ」

「牛頭翁の作る苔桃のジャムは特に美味だ」


 王が絶賛するだけあって、赤いジャムは酸味が効いてさわやかな甘さで、さくさくとしたスコーンや塩気と酸味の効いたクリーム状のチーズとよく合いとてもおいしかった。牛おっさんは顎を指で撫でながら俯き加減になっている。王に褒められて照れているらしい。コウジはなんとなく牛顔の表情の変化に慣れてきた。


「わがきみはお小さい頃から甘いものに目がなくて」

「そうだな。卿には何かと菓子で釣られた」


 焚火の炎に照らされて、目を細める王の表情が心なしか幼く見える。何となく王と牛おっさんの間の空気が濃くなっている気がしてコウジは目を逸らした。


 橘を見ると、コウジをじっと見ている。正確にはコウジの顔でなく手もと、皿の上をじっと見ている。


「マレビト、そのジャム、食べないのか」

「食べるよ。あげないよ?」


 むうう、と柚子そっくりの顔で橘がむくれる。


「黄三の、ジャムはまだある。皿をこちらへ」


 低い声がかかった。振り返ると牛おっさんと王が苦笑いしていた。


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