四
間が空いた。コウジはおずおずと口を開いた。
「ここは――科学技術の進んだ世界なんですね」
あらぬ方を見遣り、考えこんでいた王がコウジに視線を戻した。
「ほう、そうなのか?」
「さっきの顔を覆う変な機械、ああいうのはぼくの世界にはないと思います。それに、人類拡散連盟、とか、惑星ナラクとか――聞いたことないし」
「我が国、我が星の名を知らぬものは多い。何せ辺境だからな」
「ぼくのいた世界では地球以外の惑星の住人は見つかっていません。いずれ見つかるかもしれないですけど」
「ちきゅう……」
この王さまが見ているのはぼくの目じゃない。コウジはそう思った。視線を絡めているのに違う何か、遠くで何かを探っているように見える。ちきゅう、ちきゅう、とぶつぶつ呟いていた王の目に力がこもった。
「マレビトどの。その話、決して口外してはならぬ。いずれ詳しく話す日が来るかもしれぬが、今はその時でない」
「わ、分かりました」
「すまぬな。我らはここまで民が減ってもまだ一枚岩になれぬ」
疲れたようにため息をついた王が、根もとから説明しようか、と苦笑した。
大昔、銀河の隅っこにガイアという惑星があり、人類はそこで誕生したのだと言う。科学技術が発展したけれど、惑星そのものの寿命を延ばすには至らなかった。仕方なくガイア由来人類は母星を捨て、新しい住処求め旅に出た。
「我々の先祖は比較的大きな播種船団に属しておったそうでな」
大きな宇宙船の中で代を重ね、技術を発展させ旅を続けていたあるとき、宇宙船の老朽化が激しくなり、旅の休止を余儀なくされた。物資の補給や設備の修繕のために立ち寄ったのがここ、惑星ナラクだったのだと言う。
「この惑星は居住可能と言えなくもなかったがあまりに気温が低く、ぎりぎりでな」
それでも播種船団到達時、惑星ナラクは間氷期の最中だった。花が咲き、実り、獣や魚を狩り、鉱物資源を掘削して鍛え――宇宙船の修理をしながらこの惑星で暮らすうち、
「氷河期がやってきてな」
人々は惑星ナラクから撤退することになった。残念なことに播種船団に属するすべての船を修理することができなかった。撤退の際にこの星に残された人々がナラク国民の先祖だという。
本格的に氷に閉ざされるまではよかった。大陸のあちこちに分散し、いくつかの国家ができるほど栄え、定住してやっていけると誰もが思った。
「あるとき、東から定期的にやってくるはずの交易団が来なくなった。何かと揉める国だったから、連絡を取らなかった。北から気になる知らせが来た。人口の男女比がずいぶん前からおかしくなっている、と。男を分けてくれ、と。我が星では女しか生まれなくなった。時を経て現在、男は不妊化された亜人類しかおらん」
王はテントの中央で赤々と燃える焚火をじっと見つめた。
「やっぱり、王様だから国の歴史とか――いろんなことを詳しく知っていらっしゃるんですね」
沈黙が気まずくて口を開いたコウジに王が視線を移す。睨まれるわけではないが、威圧感のある視線にさらされてコウジはいたたまれなくなった。
「知らずに申しておるのだと分かっているがマレビトどの、少し言葉に気をつけられたがよい。――ああ、しょんぼりしなくてもよいのだがそなた、事情を何も知らないわりに妙に飛躍して核心をつくところがあるな」
王は炎の中でぱちりと弾けた薪に目をやり、苦笑した。
「その後氷河期を迎え、我らが星は地獄と化した。それでナラク、と名乗るのだ。私は惑星ナラクの民がひとつになったそのときの初代王のクローン体だ」
「九百九十八代目の……?」
「さよう。王のクローニングは特別な技術だ。ある意味王である私は長期にわたる実験の成果であるとも言える。――まあ、難しい話は割愛しよう。要するに、マレビトどのの指摘通り、私は国の歴史、代々の王の記憶も受け継いでおるというわけだ」
「それで見てきたかのように話されるんですね」
「さよう。王のクローニングシステムは泰山府君祭という名前だ。クローン体はある程度体が丈夫になって外部の刺激に耐えられるようになる発達段階まで睡眠学習で記憶をすりこみながら培養ポッドで育てられる。この泰山府君祭を援用して国民のクローン体はつくられている」
「じゃあ、さっきのあの子にも柚子の――」
王は痛みに苛まれるような顔をした。
「それはない。記憶の継承は王のみだ。――すまぬな」
「あんなにそっくりなのに」
「ほう。マレビトどのは柚子を覚えておいでか」
「ええ、もちろん」
透き通った色白の頬、自然に結んだふっくらした唇、すっきりと通った鼻すじ、意志の強そうな眉、明るく輝く金色の髪、はちみついろの瞳。クローン体だという娘は柚子にそっくり、瓜二つだった。
「そうだな。確かにそっくりだ。――あそこまで似るのは珍しい」
クローン体なのに? コウジの顔に疑問がそのまま表れたらしい。
「マレビトどのの国ではクローン技術が進んでおらぬのだな。クローン体同士は同一遺伝子をもつ。しかし、完全に別個体なのでな、遺伝情報を共有していない者に比べれば多少似ておろうが、見た目も違えば性格も違う」
「そんなものですか」
「そんなものだ。記憶を継承し、共有する我ら王であっても然り。これは見てもらった方が話が早かろうが、簡単に説明しておこうか」
ナラク国の社会は王と亜人類男性集団、そして真人類女性集団に別れ、首都ナラクシティ内で暮らしている。真人類とは母星ガイア由来の人類の姿をとどめている種族のことを指す。女性集団はもともとの氏、血縁ごとに五つのグループ、赤輪党、黄輪党、緑輪党、青輪党、紫輪党の五輪党に別れている。さらに党の中に複数の家族が暮らすが、ひとつの家族は多くて三人、高年体、壮年体、幼年体で構成される。幼年体は培養ポッドから出られる発達段階である七歳相当からおよそ二十歳前後まで、壮年体は五十歳前後、以降死ぬまでが高年体。家庭内で壮年体が十分に次代を育成できる実力を培って初めて幼年体の覚醒が許可される。
「その……クローン技術がそこまで発達しているのなら、もっとたくさんクローン体をつくればよいのではないかと――あ、駄目なんですね」
王の強い視線を向けられてコウジは口をつぐんだ。王は静かに語りだした。
「その通りだ。実際、そういう声が民からあがることもある。しかし――もう駄目なのだ。複製回数の限度がある」
クローニングにはもともと、どうしても越えられない壁があった。クローニングを繰り返し一定回数を越えると同一個体をつくることができなくなるのだ。しかし、ナラク国民の先祖はその壁を突き崩した。
「だが、それは繰り返しの回数を延ばすだけでな。その複製回数の壁を崩した当初は永遠にも思えたものだ。しかし、我らはゆっくりと終わりを迎えつつある」
初めて王の声が震えた。
「今すぐではない。だが、民も牛頭や馬頭の者どもも、そして我ら王も、いずれ複製できなくなり滅びる」
ぱちり、ぱちりと炎の中で薪が小さく爆ぜる。赤々と揺れる炎に王の頬が照らされる。鋭く尖った顎や諦めを受け容れたような色をうつす瞳は、若い女の姿であるにもかかわらず年寄りのように見える。
「あの……」
何かフォローしなければ、と口を開きかけたコウジを王の声が遮った。
「マレビトどのが持ち込んだあの変わった袋の中身だがな、あれは何だ? 実に興味深い絵が貼りつけてあるな。あれは――子どもの絵なのか?」
膝かっくんでずっこけて道を踏みはずす前、コウジは会社帰りだった。望まない残業、不本意な面談、その前に何があったっけ。コウジは思い出した。昼休み、会社の近くの激安ドラッグストアで買いこんだのだ。姉たちに頼まれた粉ミルクと予備の哺乳瓶を。




