三
「黄三家の――、マレビトどのが驚き悲しむさまが意外だったか」
「わがきみ、当然です。だって、だってこの者は母者をもてあそび捨てた――」
少女が激し、泣いた。
柚子――。小さな吹雪丸を抱き微笑むそのひとの大きな目に星明かりが宿る。界を違え、時を経ても忘れられない美しい人の別れの姿。
コウジは何も言えない。柚子が亡くなっているなどと思いもしなかった。
「すまぬな。そなたは我が客人であると同時に囚人でもある。おそらくそなたは何も知らないだろうが、こうして戻ってきたからにはたやすく逃げ帰れると思うな」
王は厳しく視線でコウジを貫いた。
「ぼくは――自分がいつ帰るのか、分からない。いつも自分で決められないんです。五年前も――」
「五年? マレビトどのの時間では五年なのか。こちらでは十年だ。十年前――」
コウジが去った後、帰宅した柚子は病に倒れた。体中に小さな水ぶくれのような発疹が現れては消えたという。水ぼうそうだ。
「柚子は発疹だけでなく発熱と痛みに苦しんだがそれでも一週間ほどで快復した。しかし、この病が国中に広がってしまったのだ。死者も出た。そして時機が悪かった」
「時機――?」
「ちょうど病がはびこったのと時を同じくして連盟の使者が見えていてな。全員亡くなった」
「え? 水ぼうそうで?」
王は目を細めた。
「ほう? ミズボウソウというのか。あの病は」
「えっと、たぶん、そう――です。ぼくの国ではそう呼びます」
主に子どもがかかる病気で、一度かかってしまえば抗体ができて発症しない。子どもであれば発症しても軽くて済む。コウジは水ぼうそうについてそう説明した。
「この病気で死ぬ、というのは聞いたことがないんですけど、ぼくが知らないだけなのかなあ」
「やはりお前が持ち込んだのか、あの病を!」
柚子に似た少女がわなわなと震えた。
「黄三家の、今は私が話を聞いている最中だ。口をはさまないでくれ」
「しかしわがきみ――」
「気持ちは分かる。分かるが今はこらえよ」
王になだめられ、少女は涙を拭い、テントの外に出て行った。その後ろ姿を見送った王がコウジに向き直った。
「ゆるされよ、マレビトどの。――柚子が身を以て示した事実は我らにとって驚くべきものだったのだが、あまりに影響が大きくてな。黄三家の評判を損ねてしまったのだ。さて――黄三家の娘が席を外したのでちょうどよい」
すすす、と王がコウジの目の前ににじり寄ってきた。近い。近過ぎる。ゴージャスなプラチナブロンドと神秘的な色合いのグレーの瞳が迫ってきた。ぐい、と王はコウジのジャケットの襟を乱暴に掴んだ。
「正直に申せ。そなた、柚子と確かに契ったな」
「――はい」
「柚子に子ができた」
「じゃあ、あの子はぼくの――。いや、そんなはずがない。でも、年齢が合わない」
「どう合わない」
「だって、あの子はどう見ても十代後半じゃないですか。ぼくが帰って五年、こちらの時間で十年経っているとしてもあの子の年齢と、ぼくが柚子とその――契った時期が合わない」
じいっ、と王はコウジの目を見つめた。川砂の中から砂金の粒をより分けるように慎重に真意を見極められている、コウジにはそう感じられた。
「――そなた、まことにマレビトなのだな」
すまなかった、そう言って王はコウジのジャケットから手を離した。
「ここはナラク国と言ってな、惑星ナラク唯一の国家だ。十年前、人類拡散連盟に加盟したばかりの辺境の惑星だ。マレビトというのはよその惑星の古い言い伝えでな。異世界から紛れ込んできたとしか思えない人間が昔、何度か見つかったらしい」
マレビトというのはこの世界になじめず災厄をもたらしたりするらしい。伝説によると火を噴いたり、戦争を引き起こしたりと、人間の所業とも思えないことをやらかす。
「さすがに火を噴いたり戦争を引き起こしたり、というのは……」
「しかし、そなたのもたらしたミズボウソウなる病で戦争になりかけたぞ」
「そんな……。ぼくの国では子どもがかかるありふれた病気なんです」
「まあ、その言葉が嘘だとは思っていない」
王によれば十年前、柚子はコウジから水ぼうそうをうつされた。体中に発疹ができて見た目のインパクトが大きかったようだ。すぐに柚子は隔離されたが、水ぼうそうは感染力の高いウィルス性疾患だ。
「国中に広がってな。そなたの言う通り子どもであれば少々症状が軽くて済んだ。今は解析済みだが、当時は恐慌状態に陥っての、ちょうど連盟の使者が来ていたのもあって事態が複雑になった」
「それは……」
「謝らなくてよい。そなたに悪気がないのは分かっておる。ただし当時の王の怒りようは大変なものだったが。――先王は残念なことにぴんぴんしておる。シティに着いたらそなた、先王とその一派にいじめられるであろう」
コウジは真っ青になった。
「私の立場からすると、先王が連盟と結ぼうとしていたのは不平等な条約でな。ミズボウソウを利用して私は鎖国に持って行った。ついでに王位も手にした。もともと私は王位を継ぐことになっておったのだが先王一派からは僭主と呼ばれているのだ」
王は人の悪そうな笑みを浮かべた。
「まあ、そのあたりはいずれ詳しく知る機会もあろう。――それよりも柚子のことだ。十年前、柚子は妊娠した。残念なことに死産だったがこれは実は大変なことでな。本来、決してあってはならんことなのだ」
「う……」
これは責められても仕方ない。妊娠の可能性のある行為だと分かっていて衝動を抑えられなかった。コウジは項垂れた。
「厳密にはあってはならないこと、というより、我が国の民が妊娠可能であったことが判明したことが大問題でな」
国民が妊娠しないでどうやって子どもをつくるんだ。コウジは困惑した。新しく子どもが生まれないんじゃ国の維持もできないだろう。
「我がナラク国はなぜか生まれるのは女ばかりで、ずいぶん昔に男が死に絶えてしもうてな。実はもう長いこと新しく子が生まれておらん」
「え? 柚子から男性がいると――その頭部が牛や馬だと聞きました」
「うむ。あれらは遠い昔、惑星ナラクが人類文明と隔絶する直前に開発されたばかりの亜人類でな。プロトタイプで不妊化されておった。だから我が国の男性と契っても子は生せぬ。我らは長い年月、クローン技術によって人口を維持してきたのだ」
「じゃあ、柚子の娘というのは――」
「クローン体だ」
道理でそっくりなわけだ。
「一口に説明はできぬが我らのクローン技術には限界がある。我らはいずれ滅ぶさだめだった。人類拡散連盟への加盟にはメリットがもちろんあるが、これも少々説明しづらい事情があってな、現時点ではデメリットが大きい。そなたのもたらしたミズボウソウと、我が国の女がまだ不妊化していないという事実は、こういう状況を引っ繰り返すのに役立った」
コウジには理解できない。自分の生きてきた世界と異なる。違いが大きすぎてすぐには受け容れられそうにない。王は向かい合う男の混乱をつぶさに観察している。
「私はナラク国王としてそなたを歓迎する。――しかし個人としてはそなたが憎い」
美しい灰色の瞳に悲しみが見て取れる。
「柚子が亡くなったのはそなたのせいではない。しかし、そなたと関わったことで柚子は約束された地位を失った。柚子は黄輪党の党首となり、私の治世を支えるはずだった。それだけではない。柚子は私の友だった。あれが亡くなって私は辛い」
王は苦く笑んだ。
「そなたのせいではないと分かっていても黄三家の娘のように責めてしまう者もあろう。――だが」
王の目に力がこもる。
「王としてそなたを歓迎しよう」
「あなたの役に立て、と」
「そういうことだ」
王の美しい顔に人の悪い笑みが戻ってきた。




