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そしてぼくは道を踏みはずす (一)  作者: まふおかもづる
第一章

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 日が落ち、辺りが闇に包まれると一気に冷えてきた。

 柚子は丸い石のような何かをかまどの燃えさしから火ばさみで掴み、バケツに入れてテントに持ちこみ、中央に据えた。毛皮やクッション並べると、


「楽にしてくれ」


 とコウジを招き入れた。


「いや、その、いいのかな……」

「いいも悪いもない。もう夏が近いが天幕なしで野宿すると凍えるぞ」

「あ、ありがとう」


 柚子はもごもごと言い淀むコウジに構わず、弓や箙を外し、鉈やらナイフなどを提げたベルトを外し、コートを脱ぐ。現れたのは、精緻な刺繍が施された黄色いチュニックのような服だった。コウジは目を瞠った。


「きれいだね」


 ランタンの乏しい明かりを集め、チュニックの黄色、襟元の刺繍の金糸銀糸が柚子の白い頬を明るく照らすように見える。


「ああ、これか。――祭りの装束でな」


 本当は祭り装束の色彩がよりそれの照り映える柚子の顔や表情が、と言いたかったがコウジはそれを呑み込んだ。


「お祭りに行かなくていいの?」

「ああ、まあな。いいんだ」


 気まずそうに口を濁すのが気になる。


「なんというか、祭りの間は皆が気が昂ってちょっと大変でな。我はいもせのちぎりをする気がないので逃げてきた。母者にもちゃんとことわって雷切を連れだしてきたから大丈夫だ」


 コウジは首をかしげた。「いもせのちぎり」というのが何か分からない。分からなかったのだけれど、すぐ知ることになった。




 このまま帰らなければどうなるだろう。コウジの脳裏をよぎったのは母の姿だった。


 どうせ戻って就職活動をしたところで、うまくいかない。うまくいくというのがどんな状態かすら見えない。

 父親が亡くなって数ヶ月経ったが、母親はぼんやりと頼りない。夫の身体から何かがなくなってしまって夫の形をした物体となったその日のまま、時が止まってしまっている。コウジには母親がそう見える。倦み疲れた様子の母親に明らかな就職活動の失敗を見せたくない。


 じゃあ、このまま柚子の世界で生きていけるのか。

 きっとやってやれないことはないだろう。楽観的にコウジは考える。

 そういえば柚子の属するコミュニティはどんなところなのだろう。木か何かでできた弓。精巧だけどどこか素朴な祭り装束の刺繍。それなのにバギーは工業製品が定着しているのを示している。古ぼけて黒ずんだ金属製のパイプ、草や苔のくっついた太く大きい車輪。地球ではない。三つ頭の犬などいないから。


 ここはどこだ。


 いつもなら道を踏みはずした先がどこなのかなんて、考えもしない。道を踏みはずしたらすぐに帰り道が見えていたから。


 ああ、現実的じゃないな。コウジはため息をついた。


 自分の帰る場所はここじゃない。どんなにいやなことがあっても、失敗ばかりで母や姉たちをがっかりさせることになっても、たとえ今日出会ったばかりの美しい人がどんなに名残惜しくても、自分の居場所はここじゃない。


 先ほどからコウジをぐいぐいと何かがテントの外へ引っ張っている。声のない何かに呼ばれている。コウジはぎゅう、と目をつぶった。


 素肌に触れる毛皮の感触。そしてすべすべとして弾力のあるあたたかい柚子の肌。このぬくもりが惜しい。起こさないように、でも名残惜しくコウジは美しい人の金色の髪に、額に口づけた。


「行くのか」


 眠っていたはずの柚子が目を開けて服を着るコウジをじっと見ていた。返す言葉を失うコウジを柚子がまっすぐ見つめる。


「――そうか。残念だ」


 シャツのボタンをつまんだまま手を止め、コウジは俯いた。柚子は起き上がり、黄色い祭り装束を無造作に羽織った。


「分かっていて契った。コウジ、気にするな」


 最後にもう一度だけ。柚子が腕を差し伸べた。


――覚えておけ。

――忘れ物や落し物は厳禁だ。

――元の時空に戻りたければ、な。


 シャツもスーツもネクタイもすべて身に付けた。コウジは柚子と一緒にテントの外へ出た。

 暗く闇に沈む森の上に満天の星空。肌を刺す冷気にコウジはぶるりと震えた。


「迎えが来るのか」


 コウジの背後で柚子の声が震える。


「いや、道ができるんだ」

「何も見えないが」


 それでいい。コウジには見えている。

 森の中にぽっかりと空いた広場、短い草の生えるそこに何かがさがさとして粗く質感の違って見える部分がある。それが森の縁、苔や釣鐘のような白い花の咲く地を這う低木の茂みに続いている。

 振り返ると、柚子が吹雪丸を抱いて立っていた。微笑む柚子の大きな目に星明かりが宿る。


「気をつけてな」

「うん……」


 また会おうとは言えない。好きだとも言えない。本当は一緒にいたいと言えない。


「コウジ」


 柚子が目を瞠った。

 動かないコウジに向かって、道が伸びてきた。


――ぶ……ん。


 身体のまわりで空気が渦をつくる。


「柚子、忘れない」

「コウジ、我も――」


 聞こえない。柚子の声が聞こえない。

 身体のまわりで小さく渦を巻くように何かが振動する。振動同士が共鳴し合い揺れが大きくなりがくり、と膝から力が抜ける。そして


――ぶ……ん。


 空気が震え、コウジはがさがさとした道のようなものに呑み込まれた。


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