9
真っ暗になった土手の上をひとりで歩く。毎日朱里と歩いた帰り道が、こんなに長い道のりだったと、僕は今はじめて気づく。
所々にぼんやりと灯る薄暗い街灯。遠くに見える家の灯り。それ以外はなにも見えない。虫の声がかすかに聞こえるだけの、本当に寂しい田舎の町。
「真尋?」
生ぬるい風と一緒に、僕の前から声がかかった。
「やっぱり真尋だ」
息を切らしながら駆け寄ってくるのは朱里だった。
「今、真尋のうちに行ったら、まだ帰ってなかったから」
朱里はいつものように僕の隣に並び、歩幅を合わせて歩き出す。
「おれに何か用?」
冷たい口調になってしまうのは照れくさいから。朱里とこうやって歩くのは一週間ぶりだった。
「ん、あのね……」
朱里は小さく咳払いをしてから、姿勢を正して僕に言う。
「無断で部活休んでごめんなさい!」
僕は立ち止って朱里を見る。
「それを言いに?」
「うん」
「……なんだよ。おれのほうこそ、謝ろうと思ってたのに」
そう言いながら、僕もとりあえず姿勢を正す。
「なんか、おれ……どうしようもない鈍感で……とにかく、ごめん」
朱里が僕の前で、はにかむように笑う。
朱里のそんな笑顔も、ヘンに真面目なところも、今もまだ兄のことを想ってるところも、全部が全部愛おしい。
僕はこんなにも、朱里に惹かれてしまっているんだ。
「朱里」
「ん?」
斜め下から僕のことを見上げる朱里。
「おれ、朱里のこと、好きだなぁ」
「ええっ?」
朱里が意表をつかれたような顔をしている。僕は夜空を仰いで、もう一度言う。
「おれ、朱里のこと、すっごく好きだぁ」
僕たちの上には満天の星空。きっと空の上から僕の兄も見ているだろう。
「真尋……」
ゆっくり視線を移すと、朱里が僕を見つめて静かに微笑んだ。
「ありがとう、真尋」
その言葉だけで十分だった。
朱里と両想いになりたいとか、付き合いたいとか、キスしたいとか、そういう気持ちは不思議となかった。
どうしてだろう。カッコつけてるつもりはないけど、朱里にはただ、幸せになってもらいたかったんだ。
夜の道をふたりで歩く。本当はずっとこうしていたい。ぬるい水の中をゆらゆらと漂うように……面倒なことはなんにも考えないで……。
だけどそれは無理なんだ。僕たちは少しずつ変わっていく。変わらなければいけない。
小学校のプールで泳いだ夏の午後。心地よい疲れの中、朱里と蒼太と畳の上に寝ころんだ。
目を閉じると、気持ちのいい眠気に包まれて、僕はまた水の中を泳ぐ夢を見た。
***
「あ、幼なじみくんだ!」
夏休みも終わり、二学期が始まって少しした日。三年生の教室をのぞいていた僕に、聞き覚えのある声がした。
「違います。真尋です」
「ああ、真尋くんね。あいかわらず細かい子ねぇ」
僕の前でおかしそうに笑うヨシノさん。最後に彼女と会ったのは、確か夏休み前だった。
「なにしてるの? こんなところで」
昼休みの廊下は三年生ばかり。二年生の僕には場違いな場所だ。
「あの……ヨシノさんを捜していたんです」
「え、やだぁ、あたし? 困っちゃうな」
「言っとくけど、告白とか、そういうんじゃないですから」
うふふっと笑うヨシノさんは、なんだか楽しそうだ。僕をからかうのが、そんなに面白いのだろうか。
「で、あたしに何の用?」
「えっと……」
僕の頭に朱里の不安そうな顔が浮かぶ。
二学期になって、蒼太が一度も学校に来ないと、朱里から聞いたのは昨日のこと。
いつものように「ほっとけよ」と言ったけど、うつむいて黙り込んでしまった朱里を見たら、どうしてもほっとけないじゃないか。
「あの、蒼太のやつ……もしかしてヨシノさんちに行ったとか、ないですよね?」
「蒼太だったら来たけど? 昨日、夜遅くに」
「えっ?」
あいつ……昨日、僕が蒼太の家の前で、何時間待っていたと思ってるんだ。
「『泊まってく?』って聞いたら、断られちゃったんだけどね」
「じゃあ何しに?」
ヨシノさんは一瞬口を閉ざしてから、かすかに微笑んで僕に言う。
「……お別れしに来たんじゃないのかな?」
「お別れ?」
「蒼太がね、『軽い気持ちでキスとかしてごめん』なんて言うの。謝られたら、あたしがみじめになるからやめてって言ったんだけど、もうすぐ会えなくなるからって」
もうすぐ会えなくなる? どういうことだ?
「引っ越すみたいなこと言ってた。親の都合とかで」
「……聞いてない」
呆然としている僕にヨシノさんが教えてくれた。
「駅前の居酒屋でバイトしてるみたいよ。年齢ごまかして夜遅くまで」
僕は顔を上げてヨシノさんを見る。
「会って来れば? 大事な幼なじみなんでしょ?」
そう言って笑ったヨシノさんは、どこか寂しそうだった。