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 誰もいなくなったプールを何往復も泳ぎ続ける。ゴールで僕のことを見守ってくれていた、朱里の姿はもうない。

 朱里はあれから部活に来なくなってしまった。

「はぁ……」

 深くため息をついてから息を吸い込み、もう一度水の中に潜る。ふと目の前に感じる、人の影。

『真尋っ……たすけてっ……』

 蒼太? 僕は右手を思いきり伸ばす。だけどその手は蒼太に届かない。

『たすけてっ……真尋、たすけて……』

 水中に響く僕を呼ぶ声。助けなきゃ、助けなきゃ……今度こそ僕が、蒼太を助けなきゃ……。

「真尋っ!」

 はっと気がつき目を開けた。真夏のうだるような陽射しが頭の上から照りつける。

「水遊びのあとはお昼寝か?」

 フェンスにもたれかかって、うたた寝していた僕を、蒼太が見下ろすようにして笑った。


 午前中の練習が終わり、プールサイドにはひと気がなかった。

「何しに来たんだよ? 部外者は立ち入り禁止だぞ」

 きっと補習の帰りなんだろう。蒼太は制服姿で、半分寝ぼけたままの僕の脇に立っている。

「おれ、美穂ちゃんにフラれた」

「え?」

「『蒼太くんはあたしのことなんか好きじゃないのね!』ばっちーんって平手打ち」

 ざまあみろだ。

「それでもいいって言ったくせに。女ってわっかんねー!」

 蒼太が僕の隣にしゃがみこみ、体ごとフェンスにもたれかかる。僕はそんな蒼太の顔をのぞいて、吹き出すように笑ってやった。

「マジで殴られたんか。そこ、赤くなってるぞ?」

「いい男が台無しってか?」

「自分で言うな」

 蒼太が前を見たまま、ふっと笑う。僕も蒼太から視線をそらし、目の前のプールに目を向ける。

 ゆらゆらと揺れている水面は、真夏の青い空の色だ。

 プールサイドのフェンスにもたれて、僕たちは今、同じものを見つめていた。


「……朱里は?」

 しばらくの沈黙のあと、蒼太がつぶやく。

「いない」

「ふうん」

 どうでもいいように蒼太は言ったけど、もしかして朱里に会いに、ここに来たのかもしれない。

「おれが……朱里を怒らせたから」

 そう言いながら僕は、ちらりと蒼太の横顔をうかがう。

「おれさ、朱里は蒼太のこと好きだと思ってて……だからお前らが付き合えば一番いいって思って」

 黙ったままの蒼太に、僕は続ける。

「でも……違ったみたいだ。朱里には好きな人がいる」

「お前の兄貴だろ?」

 呆然とする僕の隣で、蒼太が軽く笑って立ち上がる。

「し、知ってたのか?」

「お前こそ、知らなかったのか? 鈍いやつだな、ほんとに」

 ああ、気づかなかった。そんなこと、全く思ってもみなかった。蒼太の言うとおり、僕はどこまで鈍感なんだ。

「朱里はずっと好きだったんだよ。お前の兄貴のこと」

 僕はフェンスにもたれたまま、蒼太のことを見上げる。

「でも、おれが殺した。朱里が好きだった、お前の兄貴を……おれが殺した」

 違う――違う。違う。そうじゃない。

 胸の奥に、どうしようもない感情が湧き上がってくる。

「だろ? 真尋」

「……違う」

「お前だって内心そう思ってる。なんで助けに来た兄貴が死んで、溺れたおれが生きてるんだって……兄貴じゃなくて、おれが死ねばよかったのにって……」

「そんなこと思ってない!」

「朱里だって、きっとそう思ってる」

 蒼太が僕の顔を見た。生きているのか死んでいるのか、わからないような目をして。

 一緒にクワガタ採りに出かけた時の、目を輝かせていた蒼太は、僕の前にはもういない。

『お兄ちゃんは、後悔なんかしてないよ?』

 僕の耳に、いつかの朱里の声が聞こえてくる。

『あの日川に飛び込んだこと、お兄ちゃんはきっと後悔してない』

 そうだ、朱里はそう言った。朱里は蒼太のことを、恨んだりしない。

 僕に背中を向けて、歩き出そうとした蒼太を引き止める。

「朱里のことをバカにするなよ!」

 蒼太が不思議そうな顔をして振り向いた。

「朱里がそんなこと思うわけないだろ! 朱里はそんな人間じゃない!」

 腕を伸ばして蒼太の右手をつかまえた。あの時つかめなかった蒼太の手を、僕はやっと今、つかまえた。

「信じられないなら自分で聞け。おれが死ねばよかったですかって、自分で朱里に聞いてみろ!」

 蒼太は黙って僕を見ていた。どうしてだかわからないけど、僕の目からは涙があふれていた。

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