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 僕の十七年間の人生は後悔だらけだ。

 あの時、ああすればよかった。あんなことしなければよかった――そんなことの繰り返し。

 そして僕の最大の後悔は、あの日、蒼太を無理やり誘って川へ行ったこと。

 僕が蒼太を誘わなければ……川になんか行かなければ……。

 兄は今でも僕の一歩先を、いつまでも自慢の兄貴のまま、歩いているはずなのに。


 眩しい陽射しの下、僕はそんなことを思いながら河原に立つ。

 ゆるやかな川の流れを見つめていると、いつの間にか僕の隣に朱里の姿があった。

 朱里は黒いワンピースを着て、庭に咲いていた向日葵の花を抱えている。毎年この日になると、朱里は同じ姿でここにやってくる。

「こんなこと話すと、また蒼太に怒られそうだけど……」

 朱里は少しはにかんだような表情で、ひとり言のようにつぶやく。

「あたし小さい頃ね、お兄ちゃんに言われたの。『朱里はひまわりみたいだな』って」

 朱里がゆっくりと一歩を踏み出し、持っていた花束をそっと川に流す。

 黄色い向日葵の花は、キラキラとした水面を、音もなく静かに流れ消えていく。

 四歳年上の僕の兄は、朱里にとっても蒼太にとっても、兄貴のような存在だった。朱里たちも兄のことを「お兄ちゃん」と呼び、いつも僕と一緒に兄のあとを追いかけていた。

 そして兄も、そんな朱里たちのことをとても可愛がり、本当の兄弟のように大事に思っていたことを、僕は知っている。

「真尋」

 ぼんやりと川の流れを追っていた僕の耳に、朱里の声が聞こえてくる。

「お兄ちゃんは、後悔なんかしてないよ?」

 小さいけれどはっきりした声。

「あの日川に飛び込んだこと、お兄ちゃんはきっと後悔してない」

 目の前の見慣れた景色が、涙でぼうっとにじんでいく。

 わかってる。わかってるけど……どうしようもない気持ちがあふれてきて、情けないほど涙が止まらない。

「ほらぁ、涙ふきなよ?」

 朱里が笑った顔でハンカチを差し出す。そんな朱里の目も真っ赤に潤んでいる。

「……いらねぇよ。泣いてないし」

「もう、意地っ張りなんだから……真尋も……蒼太も」

 朱里の声を聞きながら、Tシャツの袖で目頭をこする。

 こうやって僕は一年に一度、こっそり朱里の前だけで涙を見せる。

 だけど、泣くことも笑うこともできない蒼太は……なにを考えて生きているんだろう。


 ***


 一学期最後の日。僕は渡り廊下で彼女を見かけた。前に河原で、蒼太とキスをしていた先輩だ。

「……あの」

 思わず声をかけてしまった僕に、先輩がふりむく。

「あ、蒼太の幼なじみくんだ」

「……その呼び方やめてもらえません?」

「じゃあキミ、お名前は?」

 ふんわりとした長い髪を耳にかけながら、僕の顔をのぞきこむ先輩。

 噂によると彼女は、高一の時に東京から転校してきたらしい。

 そのせいだろうか。彼女はこの町で生まれ育った、素朴だけど田舎くさい女の子たちとは、ちょっと違っていた。

 同じ制服を着ていても、どこかあか抜けていて、やたらと目立つのだ。そして、こんな人とこんな所で話している自分が、ものすごく不自然に思える。

「安藤真尋です」

「あたしはヨシノ。で、あたしになにか用? 真尋くん?」

 苗字だか下の名前だかわからない名を名乗って、彼女は僕に笑いかける。

「あの……蒼太とは、まだ会ってるんですか?」

「蒼太? ああ、あの子いま、水泳部の一年生と付き合ってるよね?」

 蒼太のことを、さらりと「あの子」なんて言ってしまうところに、なんともいえない余裕を感じる。僕たちと、たった一歳しか違わないのに。

「どうせすぐに別れると思うけど」

「え、どうして?」

「だって蒼太って、好きな子いるでしょ? あの一年生でも、あたしでもない、別の子」

「え?」

 きょとんとした僕を見て、先輩、いや、ヨシノさんはいたずらっぽく笑う。

「やだぁ、真尋くん、幼なじみなのに感じないの? 絶対蒼太、好きな子いるって」

「わかりません。ていうか、そこまでわかってて、どうして蒼太と……その、キスとか……」

 言葉をにごらせた僕の前で、ヨシノさんが口を開く。

「だってね、あたし聞いちゃったのよ」

「なにを?」

「あの河原で……蒼太が一度だけ言ったの。『生きてるの、もうしんどい』って」

 僕の頭の中に、水の中に飛び込む兄の姿が浮かんだ。

「そんなこと言われたら、ほっとけないでしょ? 母性本能くすぐられちゃうタイプに、あたし弱いのよね」

 廊下の向こうで、女の先輩たちがヨシノさんを呼んだ。「いま行くー」と答えているヨシノさんの背中に僕はつぶやく。

「でも、だからって……付き合ってるわけでもないのに……」

 振り向いたヨシノさんは、わざとらしくため息をつきながら僕に言った。

「人を好きになるって、教科書通りにはいかないの。真尋くんも、もっと頭やわらかくしないと、女の子にモテないよ?」

 余計なお世話だ。

 ヨシノさんは僕に笑顔を見せ、何事もなかったように友達のもとへ駆けて行く。

 好きな子がいるのに、その子とは付き合おうとしない蒼太。それを全部わかってて、それでもほっとけないっていうヨシノさん。

 僕にはふたりの気持ちが全然わからない。


 蝉の鳴き声が急に激しくなった。明日から夏休みが始まる。

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