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3/12

 僕たちが小学六年生だった夏。あの夏はとても暑い夏だった。

 もうすぐ夏休みという学校の帰り道、僕はいつものように三人で歩きながら、蒼太に言った。

「なぁ、ちょっと川で遊んでいかないか?」

 蒼太が面倒くさそうに僕を見る。

「暑いから、泳いで帰ろうよ」

「このまま?」

「そう。このまま」

 僕たちは体育の授業で使ったプールバックを持っていた。

「なに言ってるの? 子供だけで川に行っちゃダメだって、先生が言ってたでしょ?」

 横から口を挟んできたのは朱里だ。今と変わらないショートカットで、肌は真っ黒に日焼けしている。

「いいじゃん、ちょっとだけ。なっ、蒼太?」

「おれ、泳げないもん」

「おれが教えてやる。兄ちゃんに速く泳げるコツ、教えてもらったんだ」

 四歳年上の僕の兄は、高校で水泳部に入っていた。その兄に泳ぎを教えてもらったばかりの僕は、それを見せびらかしたくてうずうずしていたのだ。

 朱里に――「すごい」って、言って欲しくて。

「行こうぜ、蒼太」

 僕は無理やり蒼太の手をひっぱって、夏草の茂った土手を駆け下りる。

「ちょっと、ふたりとも! 先生に言いつけるからね!」

 文句を言いながら、朱里も僕たちのあとをついてくる。

 小さい頃から遊び慣れた川だった。この辺は流れもゆるやかだし、僕たちが泳げるほどの丁度良い深さもある。

 プールバックから水着を引っ張り出し、さっさと着替えた。気乗りしないような蒼太をうながし、ふたりで水の中に入る。

 七月とはいえ、川の水は冷たかった。だけどそんなことよりも、僕は朱里に見て欲しかったんだ。

 僕は兄に教えてもらったように泳ぎながら蒼太を呼んだ。

「もっとこっち来いよ」

 蒼太は水しぶきをばしゃばしゃ上げて泳いでいる。本当にこいつ下手くそだ。

「真尋、待って……」

「ほら、もっとこっち」

 かすかな優越感に浸りつつ、ちらりと川岸に立っている朱里を見た時、蒼太の体が水の中に沈んだ。

「……蒼太?」

 がばっと顔を上げた蒼太は、水中でもがくように手足をばたばたさせている。

 溺れてる? どうして? 深みにはまったのか?

 頭の中が真っ白になる。

「真尋っ! たすけてっ……」

 蒼太の声が水の中に消えていく。朱里の叫び声が遠くで聞こえる。

 助けなきゃ……蒼太を助けなきゃ……だけど精一杯伸ばした僕の手は、蒼太の手には届かない。

「蒼太っ!」

 蒼太と同じように水中でもがいた。必死に追いかけるけど、蒼太の体はどんどん遠くに離れて行く。

 無理だ……誰か……誰か助けて……。

 助けを求めて川岸を見た時、誰かが川に飛び込むのが見えた。

「……兄ちゃん!」

 兄が蒼太に向かって真っすぐ泳いでくる。何度もプールで見て、憧れていた兄の泳ぐ姿。

「蒼太っ! 大丈夫か!」

 蒼太の体を兄が引き上げる。

 助かった……。朱里が呼んできたのか、川岸に大人たちが集まっている。

 ああ、きっと、お母さんに怒られるな……。

 そんなことを思った瞬間、僕の目の前で、ふたりの姿が水の中へ消えていった。


 ***


「なんだよ? 話って」

 休み時間に僕を廊下に呼び出したのは、隣のクラスの朱里だった。

「ん……ちょっと。誰にも言わないでね?」

 困ったように首をかしげて、僕の顔をのぞきこむ朱里。

 真っ黒で細くて、男の子みたいだった朱里が、こんな可愛らしいしぐさをするようになったのは、いつからだろう。

「なに? 早く言えよ」

 僕はわざと突き放すような態度で朱里に言う。

「うん……あのね。水泳部の一年生の美穂ちゃん、真尋も知ってるよね?」

「ああ」

 朱里のことをいつも追いかけている、人懐っこい後輩だろ。

「あの子にね……蒼太のこと、紹介して欲しいって言われたの」

「え?」

「蒼太と、付き合いたいんだって」

 驚いた顔をしてみたけれど、実際そんなにショックではなかった。

 いつもへらっとしていて、僕のことも友達のことも、冷めたような目つきで見ている蒼太は、どうしてだか女の子にモテる。

 彼女でもない人とキスするような、あんないい加減なやつを好きになるなんて……女の子っていうのは、本当にわからない。

「……どうしたらいいと思う?」

 朱里が僕の前でぽつりとつぶやく。

「どうしたらって……いいんじゃない? 紹介してやれば。おれはオススメしないけどな」

 朱里は小さくため息をつくと、僕から目をそらして窓の外を見つめた。

「そういえば真尋、この前蒼太に会えたの?」

 僕は言葉をつまらせる。朱里に、蒼太が河原でしていたことを話したら、どんな顔をするだろう。

「会えなかった」

「……そう」

「とにかくその話は、朱里が決めろよ? おれは関係ないから」

 僕の前で朱里が黙り込む。唇をきゅっとかみしめて、少しだけうつむく。

 どうしてだよ? なんでそこで黙るんだよ?

 僕はずっと胸の中に押し込めていた気持ちを、朱里に向けて吐き出した。

「もしかして朱里も、蒼太のこと好きなんじゃねぇの?」

 朱里がはっと顔を上げる。首を振るわけでも、うなずくわけでもなく、ただ呆然としたような表情で僕を見つめる。

「……なんで、そんなこと言うの?」

「いや……なんとなくそう思ったから」

 ゆっくりと背中を向ける朱里。

 僕たちの脇を、女の子たちが笑いながら通り過ぎる。休み時間はもうすぐ終わる。

「あたしは……」

 背中を向けたままの朱里がつぶやく。

「蒼太も真尋も……同じくらい好きだよ? でも付き合いたいとか……そういうんじゃない」

 チャイムの音が廊下に響く。朱里が小走りで、僕の前から去って行く。

 フラれたのか? 僕は自分の気持ちを伝える前に、朱里にフラれたのか?

 廊下の窓から蒸し暑い風が吹き込んだ。

 朱里はスカートをかすかに揺らして、教室の中へ消えていく。


 美穂と蒼太が付き合い始めたと聞いたのは、それから少したってのことだった。

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― 新着の感想 ―
[一言] ……。 何というか、 すっごく切なくて、辛くて、胸が苦しくなる感じです。 続きも読ませていただきますね。
2023/10/27 19:57 退会済み
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