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朱里と別れて土手の上をひとりで歩く。
子供の頃から歩き慣れた道。僕も朱里も、たぶん蒼太も、このちっぽけな町以外のことは、なにも知らない。
うちの親や周りの大人たちのように、僕たちもこのまま死ぬまで、この場所で暮らし続けていくのだろうか。
なんとなくそんなことを考えながら歩いていたら、土手の下に男と女の人影を見つけた。
「蒼太……」
男のほうは蒼太だった。あんな茶色い頭をしたやつは、この近所ではあいつしかいない。
夕暮れの道端で、僕はぼんやりと立ち尽くす。蒼太は見覚えのある女の人と、キスをしていた。
「あっ」
蒼太から唇を離した彼女が僕を見る。
ああ、やっぱり……この人は同じ学校の先輩だ。水泳部の仲間が、「すっごく美人な先輩がいる」って騒いでいて、僕も無理やり三年生の教室に連れて行かれたことがあった。
「やだぁ、誰か見てる」
はっと我に返って顔をそむけようとしたけど、こちらを振り向いた蒼太と目が合ってしまった。
「なんだ、真尋か」
蒼太は口元をゆるませ、いつものように冷めた顔つきで僕に笑いかける。
「誰? 知ってる子?」
「おれの幼なじみ」
「ふうん?」
先輩は僕のことを失礼なほどじろじろ見たあと、ふっと息を吐いて蒼太に言った。
「じゃあ、あたし帰るね」
「ああ」
土手を駆け上ってきた先輩は、僕に小さく笑いかけ、学校のほうへ去って行く。
僕は深いため息をついた後、ゆっくりと蒼太に近寄る。
本当は胸がドキドキしていた。テレビや映画以外でキスシーンを見るなんて、生まれて初めてだったから。
だけどそんな気持ちを蒼太にさとられたくなくて、僕は平然を装って言った。
「今の……彼女?」
「違う」
「違うって……彼女でもないのに、あんなことするのか?」
「あんなことだけじゃない。家にも泊めてもらった」
言葉を失った僕のことを、蒼太はうっすらと笑っている。
「ヘンな想像するなよ?」
「してねぇよ!」
蒼太から顔をそむけて息を整える。蒼太はきっと、こんな僕をバカにしているだろう。
「蒼太。お前、学校さぼっただろ。朱里が心配してたぞ?」
話を変えるようにそう言った。
「へえ、朱里がねぇ……」
蒼太は意味ありげな表情で、僕の顔を見る。
「また朱里と一緒だったんか。お前らのほうこそ、付き合ってんの?」
「付き合ってなんかない」
「けど学校のやつら、みんな言ってるぞ? 真尋と朱里は付き合ってるって」
「そんなんじゃないって!」
必死に否定したけど、蒼太は全部わかっているはずだ。ニヤリとしてから、ゆっくりと僕に背中を向ける。
「ま、いいんじゃねぇの? 朱里はいいやつだし。ちょっと口うるさいけどな」
そしてポケットに手をつっこむと、夏草を押しつぶすようにして歩き出す。
「おい、蒼太! ちょっと待てよ」
「なに? まだなんか用?」
その口調に一瞬腹が立ったけど、僕は蒼太に言っていた。
「もし、行くとこないなら……おれんち来てもいいぞ?」
僕の顔をじっと見てから、蒼太はちょっと笑って一言だけつぶやく。
「大丈夫」
酔っぱらいの父親に殴られても、自分の家に居場所がなくなっても、蒼太は僕の家に来なくなった。
それは、たぶんきっと――あの夏の日からだ。
蒼太は背中を向けたまま、振り返りもせず土手をのぼっていく。僕はそんな背中から目をそらし、土手とは反対の方向に視線を移す。
目の前に見える大きな川は、今日もゆったりと流れていた。山の向こうに落ちかけた夕陽が、水面を橙色に染めている。
僕はその場に立ち尽くしたまま、右手をぎゅっと握りしめる。
この場所で、僕の兄が命を落としてから、ちょうど五年が経とうとしていた。