自己紹介
入学式の次の日、なれない通学路を五人で並んで歩いてきた。でも海はトイレ、穂波は友達を見つけて教室に入る頃には1人だった。
1人で教室に入ると、空気がまだ“知らない”で満ちていた。
机と机の間に、見えない線が引かれているみたいで、
誰もがその線を、そっと踏まないようにしている。
私は、自分の席に座って、手のひらをぎゅっと握った。
黒板の前には、担任の先生。
その横に、名簿。
「じゃあ、出席番号順で自己紹介していこうか」
その一言で、教室が、少しだけざわつく。
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「朝倉、海」
一番前の列、知らぬ間に座っていた海が立ち上がる。
「えーっと……朝倉海です」
少し間を置く。
「サッカーやってました。海が近いんで、放課後はよく行きます。
……よろしくお願いします」
最後の一言が、ちょっと照れくさそうで、
何人かが小さく笑った。
海は席に戻るとき、
私と穂波のほうをちらっと見る。
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「狩野、綾波」
名前を呼ばれた瞬間、胸がきゅっと鳴った。
立ち上がると、視線が一斉に集まる。
教室が、急に広くなった気がする。
「……狩野、綾波です」
声が、思ったより小さい。
「えっと……本読むのが、好きで……」
その先の言葉が、うまく出てこない。
頭の中では、いくつも文章が浮かぶのに、
口に出る前に、全部、消えていく。
「……よろしく、お願いします」
席に座ると、心臓がうるさいくらい鳴っていた。
⸻
「狩野、穂波」
穂波は、立ち上がると同時に、にこっと笑う。
「狩野穂波です!
カフェ巡りと、写真撮るのが好きです。
みんなと仲良くなりたいです。よろしくお願いします!」
声が、教室の端まで届く。
空気が、少しだけやわらいだ。
私は、その背中を見ながら思う。
同じ名字なのに、
ずいぶん、違う。
⸻
自己紹介が一段落して、
先生がプリントを配り始める。
そのとき。
「ね、綾波さん」
右隣の席から、声。
振り向くと、肩までの髪の女の子が、
少しだけ緊張した顔で立っていた。
「……中野、茉由。
茉由でいいよ」
名乗る声が、やさしい。
「その……さっき、本好きって言ってたよね。
私も、読むの好きで……」
私は、返事をしなきゃ、と思うのに、
頭が、真っ白になる。
「え……あ……」
声が、喉の奥で止まる。
沈黙が、伸びる。
⸻
そのとき、後ろの席から、軽い声。
「綾波、本の話になると止まんなくなるんだよ」
海だった。
「この前もさ、
俺に、三十分くらいおすすめ語ってた」
私は、思わず振り返る。
「語ってない!」
「語ってた」
穂波も、横から身を乗り出す。
「でもほんと。
綾波、ジャンル幅広いよ。
ミステリーも、恋愛も、海の話も読む」
助け舟みたいに、言葉が並ぶ。
茉由が、少し笑った。
「じゃあ……今度、おすすめ教えて?」
「……うん」
今度は、ちゃんと声が出た。
⸻
チャイムが鳴る。
教室が、ざわっと動き出す。
椅子の音、笑い声、足音。
茉由が、私のほうを見て言った。
「ね、綾波。
お昼、一緒に食べない?」
一瞬、言葉が出なかった。
「……いいの?」
「もちろん」
その“もちろん”が、
胸の奥に、あったかく落ちる。
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窓の外は、青い空。
遠くに、かすかに、海の色。
私は、トレーを持つ手を見下ろして、
小さく、深呼吸した。
高校に入って、
初めてできた、友達。
その事実が、
波みたいに、ゆっくり、でも確かに、
心の中に広がっていく。
私は、思わず笑った。
今度は、貼り付けじゃない、本当の笑顔で。




