十二日目-2-
執務が滞っており、処理しなければならない仕事がたまっているのを知りながら、ルドウィクはなにも手につかなかった。
書類に目を通そうとしても、そのたびに手が止まってしまう。
もっと他に、やらなければならないことがあるのではないか?こんなことをしていないで、一刻も早く、なにかをしなければ。
……本当は、なにもできないことはわかっているはず。それなのに焦燥だけが、胸を焼くように広がっていく。
ただ呆然としているだけの時間が、ひたすらに過ぎていった。
午後になり、書記官が入ってきた。
ルドウィクは、ゆっくりと目を向ける。
「共和国のロハン首相が、お見舞いということで面会を求めております」
一瞬、断ろうかと思った。
しかし、ルドウィクの頭の中にまだかろうじて残っていた宰相としての責務が、それを押しとどめた。
講和使節の、相手国の宰相が銃撃されたのだ。会議の開催国の首相として、見舞うのは当然だし、それを理由もなく断ることは外交儀礼に反する。
「丁重にお迎えするように」
ルドウィクは、短く指示した。
ルドウィクは、執務室でロハン首相を迎えた。
ロハン首相は、会議のときよりもだいぶラフな格好だった。上着は普段よりも明るめの色合いで、ネクタイもつけていない。
見舞いだから、あえて柔らかい雰囲気の服装を選んだのだろう。
────そんな心づかいの裏にある計算高さが見える気がして、神経がささくれ立つ。
「"宰相閣下がご無事でなによりです。共和国としても、御快癒されることを心よりお祈り申し上げます"」
にこやかな挨拶。
隙も粗もない、外交用の笑顔。
「"迅速な治療のおかげで、助かりました"」
ルドウィクは、かろうじて残っている『宰相の顔』を引っ張り出して、答える。
今は、この人の相手をしている余裕はない。
腹の探り合いも、裏の読み合いも、後でいくらでも付き合ってやる。
だから今は、放っておいて欲しい。
床にマリエルが倒れている光景が、何度も脳裏に浮かんでくる。
そのたびに喉が詰まり、呼吸が止まる。
今の自分に、この人を相手に「隙」を隠す余裕など、ない。
ロハン首相は少し目を細めた。
それから、ゆったりした口調で続ける。
「"今回の事件において、襲撃犯はすでに捕縛し、背後関係を洗うために捜査を開始しています。
この件に関して、共和国は閣下及び帝国を害する意思を持っていないことを、改めて明言いたします"」
「"承知しております"」
半ば投げやりに、ルドウィクは返した。
そんなことはわかっている。知っている。
そんなことをしても共和国にはなにひとつメリットはないことくらい、頭で理解している。
でも、今はそんなことはどうでもいい。
深々と頭を下げるロハン首相。それに合わせて、ルドウィクも頭を下げ返す。
形式。儀礼。外交的なしきたり。
────もはや、それすら消耗してしまう。
こんなことをしている場合じゃない。一刻も早く、マリエルのためになにかできることを、なにかしなければ。
……そう思っても、自分にできることなど、なにもない。
頭の中で同じ問いかけと答えが、ひたすらループしている。
「"翌日の講和会議はどうされますか?"」
首相の問いかけに、うつろな目を向ける。
講和。もはやどうでもいい。
そんなもの。
マリエルを、助けられない。
ロハン首相はじっと、ルドウィクの顔を見た。
「"……もろいな"」
その言葉に、うつろな目で下を向くルドウィク。
もろい。
その通りだ。ルドウィクは自虐的に笑った。
自分は、たった一人の大切な人を守ることすらできなかった。
そんな、もろい、人間だ。
ロハン首相は、じっとルドウィクの目を見ながら言った。
「"悲劇は悲劇。
あなたの悲しみは、察するに余りある。
……でも、あなたは帝国の宰相だ"」
首相は淡々とした口調で言った。
「"私は、肩書のためにここにいるわけじゃない。
責任感だとか義務感で、ここに来ているわけではない。
国の『メンツ』と『プライド』を背負って立つ、という覚悟があって来ている。
────《《アンタもそうだろう?》》"」
その表情は、いつものような柔らかい笑顔ではない。
まるで真正面から見据えるような、鋭く、力強い目つき。
ルドウィクは、ハッとした。
首相は、ふっと目を細める。
「"私も、かつて多くの仲間を失った。
……それでも立ち止まることはしなかった。
仲間を守る。国を背負う。そのどっちも覚悟を決めていたからだ"」
その表情は、懐かしむような、悔やむような、あいまいなもの。
それでも、その目に宿る光は揺るがない。
ルドウィクの胸が、強くうずいた。
かつて。
親友のアルターを失ったときの衝撃。
そのとき胸に宿ったのは、守れなかったという『後悔』。
────だけでは、なかったはずだ。
帝国を変える。家柄も身分も関係ない、本当に理想の国へと作り替えていく。
彼と語り合ったことをやり遂げたくて、それを、彼の代わりにその妹に見せてやりたくて、マリエルを引き取った。
あのときの思いは、決して『後悔』だけではなかったはずだ。
ルドウィクは、顔を上げた。
首相は、ふっと笑う。
「"過去は、いくら悔やんでも取り戻せない。
ならばあなたは、今できることをするべきだ。
……彼女が目を覚ましたときに、彼女に誇れる自分であるために"」
(今────できること)
ルドウィクの目が、頭が、だんだんと晴れていく。
重たく曇っていたもやのようなものが、消えていく。
「"少々、お話が過ぎましたな"」
目元をやわらげて、ロハン首相は笑った。
一瞬で、鋭さも強さも消え、いつもの温和な老人の顔に戻る。
「いえ」
ルドウィクは首を横に振った。
「いいえ。ありがとうございます。
……幸い、私の怪我は軽傷です。明日、予定通り講和会議を再開いたしましょう」
いつものような、冷静で落ち着いた口調。
そのルドウィクの答えに、ロハン首相はほほ笑み、うなずいた。




