初日-4-
夕食も、とても豪華だった。
最初の一皿、前菜もすべて手の込んだ料理。港湾都市で取れた食材はもちろん、電灯栽培のハーブなども使われていた。
どれも、帝国では見たこともないような料理だった。
外交長官は不満そうな表情で、しかしすべて平らげた。
若い書記官たちは一つ一つ説明を受けるたびに感嘆の声を上げ、マリエルも物珍しく聞き入った。
しかしルドウィクは、形式的な笑顔のままだった。マリエルはそれに気づいたものの、その場では声をかけられなかった。
そして肉料理は低温調理した共和国産ラム・ハーブクラスト焼き。
「低温調理、ですか」
外交官吏の一人がホテルの給仕長に尋ねた。マリエルはその通訳をする。
「"温度管理のできる最新式のオーブンで焼いております"」
続く副菜も黒パンと白パンの盛り合わせで、これも電気オーブンで焼いたもの。
口直しは柑橘のグラニテ。
「このデザートはどうやって冷やしているのですか?」
同じ官吏が尋ねる。
「"ベルガエ連邦製の冷凍機を使用しております。これも電気を使い冷やしたものです"」
給仕長の返答をマリエルが通訳すると、みな驚嘆の声を上げた。
「電気というのは便利なものなのですね」
「カレドニアに貸与している商業港でも見かけたことがあるぞ」
「ガス灯の商人どもが反対するわけだ」
「くだらん」
ざわつく官吏や書記官たちに、外交長官は一喝した。
「なんでも新しければいいというものではない。そもそも、得体のしれぬ機械を使って体に悪いものでも混じっていたらどうする」
全部食べたくせに、とマリエルは思ったが、ここはぐっとこらえた。
結局、その後の食事も和やかに進み、最後のデザートも程よい甘みで、みなすっかり満足してしまっていた。
その後は、重要な議題は話さないまま、会議室で翌日の行程の確認だけを簡単に済ませ、一行は解散した。
ルドウィクとマリエルはあてがわれた部屋に戻った。
ルドウィクは、執務机の椅子に深く腰掛け、大きくため息をついた。
「お口に、合いませんでしたでしょうか?」
遠慮がちに、マリエルは声をかけた。
ルドウィクは、食事中も移動中もほとんど口を開かなかった。
しゃべったのは会議室でのみ、それも簡単な指示をいくつか出しただけだった。
「そうではない」
言いながら、ルドウィクは部屋の中を油断なく見まわした。
そしておもむろに立ち上がり、部屋の中央に立った。
「マリエル」
ルドウィクがマリエルを呼ぶときの声の調子。マリエルは黙ってルドウィクのそばに寄った。
ルドウィクはマリエルの瞳を見つめながら、囁くように言った。
「廊下に共和国兵がいただろう?この部屋も、どこからなにを聞かれているかわからない」
「まさか」
マリエルは驚いた。部屋の中には、自分たちのほかに誰もいない。
「壁やカーテンの裏、床にも仕掛けがあるかもしれない。杞憂ならばいい。でも、警戒するに越したことはない」
ルドウィクの表情は真剣そのものだった。
マリエルはうなずいた。
「さっきの食事もそうだが、共和国はただ歓迎するつもりはない。最新技術を見せ、帝国との違いをわからせにきている」
食事、調理法、そしてホテルの設備。どれも帝国ではまず見ないものばかり。その真意に気付いて、マリエルは息をのんだ。
「すでに外交戦は始まっている。
ここは、敵地だ。そして、この交渉には帝国の命運がかかっている」
まるで────すべて自分の責任だ、と言わんばかりの表情。
────そのまなざしには、見覚えがあった。
ルドウィクがマリエルの兄、アルターと出会ったのは、宰相の地位を継いだあたりだった。
平民出ながら有能な官吏だったアルターは、清廉潔白な人だった。年も近く、ルドウィクとは気が合った。
海外列強を直接見てきたルドウィクが悲観的な意見を口にすると、アルターはいつも笑って反論した。よく二人で、身分ではなく能力と人柄が正しく評価される国を夢見て、一晩中語り明かした────と、後になってルドウィクから聞かされた。
けれど、アルターは死んだ。
圧政に苦しむ農民たちが起こした混乱の中で。
内政を担う宰相でありながら圧政を変えられなかったこと、アルターを救えなかったことを、ルドウィクは深く悔やんでいた。
────すべて自分の責任だ、と。
そのときの、瞳の後悔の色が。
背負っているものの重さに比べれば、あまりにも細いその肩が。
ずっと、マリエルの心に沁みついて離れなかった。
それと同じ色が、ルドウィクの瞳に浮かんでいた。
「力を貸して欲しい、マリエル」
囁くように、ルドウィクは言った。
「今、帝国は内にも外にも敵を抱えている。
もうどうにもならないかもしれない。もう手遅れかも知れない。
だが────私は帝国の宰相だ。私が諦めたら、この国は本当に終わってしまう。幾千万人の民、国土、それがすべて列強の手に落ちてしまう」
「もちろんです、閣下」
マリエルは迷いなく、即答した。
「この命のすべてを閣下に捧げ、どこまでもお仕えいたします」
その言葉に、ルドウィクの瞳がかすかに揺れた。
そして、無意識のままに、ルドウィクの震える指先がマリエルの肩にそっと触れ、ゆっくり、ためらいながら背中へと滑り落ちていく。
その手つきが、あまりにも優しくて。
背筋が熱を帯びていく。
そして────腰のあたりで、触れる寸前。
かすかに感触を感じるかという距離で、手が止まった。
おそらくルドウィクは、自分の手がどこに置かれているのか気付いていないのだろう。
マリエルは、思わず息をのんだ。
ルドウィクは、軽く熱を帯びた目でマリエルを見つめている。
(違う────)
動けないまま、マリエルは思った。
全身がはじけそうなほどの、心臓の鼓動。
────これは、自分が望んではならないもの。あまりにも畏れ多いもの。
それなのに。
耐え切れず、マリエルは視線を下にそらした。
(閣下のお優しいお心に、勘違いしそうになるなんて────)
あまりにも、不敬すぎる。
マリエルは、すっと一歩下がった。
「……こ、紅茶を、淹れてまいります」
離れようとした肩を、ルドウィクの指先が一瞬追いかける。
マリエルの背が隣室へ消えるまで目で追いながら、ルドウィクは空を切った自分の手を、後悔とともに握りしめた。
※※※
ルドウィクは、アルターの唯一の肉親だったマリエルを引き取った。
最初は、罪悪感からだった。
学舎に入れ、生活を支えて、ひとりで生きていける力を与える。それがせめてもの償い────そう考えていた。
けれど、気づけばルドウィクはマリエルを目で追うようになっていた。
世話を焼くうちに、彼女の笑顔を見るとほっとすることも増えた。
議会の老人たちに疲れ果てた日など、マリエルの淹れてくれるお茶が何よりの救いになった。
しかし、気の早い側近が「側室に迎えては」と進言しても、ルドウィクはいつも静かにかぶりを振った。
先代の振る舞いを見て育ったからだ。
先代である父は、粗野で横暴な人物だった。複数の侍女に手を出し、そのせいでルドウィクの母は心を病んで衰弱死した。
そんな父を、彼は“父”と呼ぶのも嫌悪している。
だからこそ、侍女にしてしまったマリエルに同じことをするのは、絶対に許されない。
恩をかけている立場で想いを口にすれば、それは強制と変わらない。
──それが彼を押しとどめ続けていた。




