十日目-3-
「"それでは、会議を再開いたします"」
ロハン首相の声と共に、会議場に一斉に緊張が走った。
同時に書記官たちがペンを手に取り、ざわついていた空気が一瞬で引き締められる。
「"まずは帝国議会の返答を、申し上げます"」
ルドウィクは手を上げて発言する。
「"講和条件のうち『フリジア地域の帝国の統治権のラバルナへの一次的譲渡』、『フリジア及び周辺からの帝国軍の全撤退と軍事施設の全撤去』。
また『ラバルナ軍およびラバルナ人民への被害の全額保証』について受け入れる"」
ロハン首相が目を細める。
────同意か、拒絶か。
ルドウィクには、まだそこまでは計りかねた。
すぐ後ろの、いつもはマリエルがいる席は、今は空席になっている。
ルドウィクの隣では、外交長官が今日は大人しく座っている。今日は通訳のマリエルがいないせいだろう。
しかし、ほとんどすることのないはずの外交長官は、なぜか意味深な笑顔を浮かべていた。
ルドウィクは続ける。
「"そのうえで、『当戦役におけるラバルナが費やした戦費の帝国の全額負担』の免除及び『帝国のラバルナへの戦時賠償金』の五割の減額を提案いたします"」
共和国側の書記官たちが軽くざわつくのを感じる。
この反応も、まだ肯定否定どちらなのかはわからない。
外相がペンを止め、首相と小声でやり取りをしているのが目に入った。
それを見て、ルドウィクは静かに目を伏せた。
※※※
カンパニアへの仲介依頼は、失敗した。
というよりも、カンパニアの手際が想像以上に悪すぎて、手の打ちようがなかったと言っていい。
駐ラバルナ大使館からカンパニア大使が、共和国の宿舎に訪れたことまでは聞いていた。
だが、カンパニア大使は仲介委任状もなく、ロハン首相に追い返されてしまった。
「"仲介は不要であり、かつこの段階からの介入は不適当である"」というのが、首相からの回答だった。
(当たり前だ)
それを聞いたとき、その動きの悪さに呆れながら、ルドウィクはため息をついた。
カンパニアはもともと、何事も適当でいい加減な風土の国だ。
行き当たりばったりで、勢いに乗ったときは強いが、つまらないミスで失敗を重ねることが多い国でもあった。
今回もどうせ、共和国をまだ小国と侮り、顔を出せば従うだろう、程度の安易な楽観論で動いたのだろう。少なくとも、ルドウィクはそう感じた。
これで、時間稼ぎのためのカードを、一枚失った。
────もっとも。
ルドウィクの狙いは、もう一つあった。
大事なのは『列強諸国が介入のチャンスを伺っている』と知らせることだった。
仮にカンパニアの介入が失敗したとしても、他の列強諸国の動きを警戒してくれればそれでいい。
動き出すかもしれない、という疑念だけで、十分効果がある。
(使えるカードは、すべて使わせてもらう)
※※※
少ししてから、首相が発言のために手を上げた。
「"休戦期間の残り日数を鑑みても、講和を急がなければなりません"」
六日前に発効した休戦期間は、十四日。残りは八日だ。すでに半分近く過ぎてしまっている。
「"そのため『賠償金の減額については一割までなら認める』こととします。ただしその場合、それ以外の条件についてはこれ以上は変更できないとお考え下さい"」
一割。
一割とはいえ、応じたことにルドウィクは軽い違和感を覚えた。
減額に応じる理由が別に存在しているのだろうか。
(いや……憶測は危険だな)
一旦思考を中断し、ルドウィクは再び手を上げた。
「"ロハン首相の要求は正当なものであり、こちらも誠意をもって答えるつもりです"」
その言葉に、ロハン首相はゆっくりとうなずく。
ルドウィクは続けた。
「"『当戦役におけるラバルナが費やした戦費の帝国の全額負担』に関しては、帝国議会への説得を続けます。ですが、そのための説得材料としての賠償金の減額を、重ねて要求するものであります"」
ロハン首相は、少し難しい顔をしてから、言った。
「"賠償金のこれ以上の減額は難しい、と回答いたします。さらなる減額を要求されるのであれば、代償として『フリジアの譲渡期間の延長』を要求いたします"」
ルドウィクは一瞬顔をしかめる。
(────そういうことか)
もともと、共和国の本来の狙いはフリジア地域だ。
列強の介入なく、フリジア地域の利権を確保するのが、今回の戦争の本題だったはずだ。
賠償金の多少の減額など、本音としてはどうでもいい。
むしろ、それを交渉カードとして使うために、条件に入れてあるのだろう。
(つくづく……先手を取られている)
こちらの出方を読んだうえで、打てる手をあらかじめ仕込んでいる。
ロハン首相の温和な笑顔の下にある老獪さに、ルドウィクは改めて舌を巻いた。
(だとすると……これ以上の減額要求は厳しいか)
これ以上の要求を突きつければ、今度はフリジア地域を完全譲渡しろ、と言われかねない。
さすがにそうなっては、議会も皇帝陛下も説得できなくなる。
いや────。
ルドウィクは顔を上げる。まだ、可能な限りは、時間を稼がなければならない。
列強諸国が介入してくるまでの時間を稼げれば、もう少し譲渡を引き出せるはずだ。
結局、その日の議論はそれ以上は進展せず、その日の会談は終了した。
今日一日大人しかった外交長官は、ちらっとルドウィクをにらみつけた後、無言のまま蒸気自動車に乗り込んでいった。
それを見ながら、ルドウィクは嘆息する。
外交長官は、継戦派の議員たちが講和会議に当たって無理やり押し付けてきた老人だった。
裏でなにか動いていることは、マリエルの報告からもわかっていた。
この連中の相手をしながら、議会に講和条件を受け入れるよう説得しなければならない。
精神的な疲労感に包まれながら、ルドウィクは一人、蒸気自動車に乗り込む。
空席の、前側の座席。
言いようのない寂しさが、ルドウィクの胸に広がる。
(今は、ただ)
早く戻って、マリエルの顔を見たい。
その表情。しぐさ。声。
それを思い浮かべるだけで、ルドウィクの胸に広がった寂しさは、そっと消えていった。




