九日目-3-
「"さて、困りましたな"」
ロハン首相がつぶやく。
「"いかがいたしましょうか"」
オーシン外相がその隣で、大げさに困った顔をしている。
二階の、少し広めの応接室。
そこに、ロハン首相、オーシン外相。そしてルドウィク。
マリエルは、拘束さえされていないものの、左右を警備兵に囲まれていた。
外相は、さも困った風に続ける。
「"私物の窃盗、事務エリアへの無断侵入。
────まあそれはいいでしょう。
外相である私の電信手帳を盗み見ようとしたこと。書記官たちの会話の盗聴。
これは、明らかな諜報活動です"」
「"申し訳ありません"」
ルドウィクは、その場に膝をついた。
その光景に、マリエルは全身の血が抜けてしまいそうなほどの衝撃を受ける。
閣下に、頭を下げさせてしまった────!
目の前が真っ暗になる。
────私の、せいだ。
私のせいで、閣下にご迷惑をかけてしまった。
(違う────!)
迷惑、などという生易しいものではない。
それこそ致命的な、決定的なミス。
マリエルは慌てて叫んだ。
「"これは、すべて私が、勝手にやったことです。閣下の指示ではございません"」
もちろん、そんな言い訳が通用するはずがない。
閣下のために命を捧げるはずだったのに。
逆に閣下を危険にさらしてしまった。
(万死に値する────!)
マリエルは、奥歯を力いっぱい噛みしめた。
「"スパイ行為は重罪で、最悪死刑もありうるのですが。……交渉団の方々にも、通達さし上げておくべきでした"」
外相の言葉に、ルドウィクは頭を下げる。
「"……こちらの監督不行き届きです。どのような処罰も、受け入れます"」
「"違います!処罰は、すべて私が────"」
「マリエル」
静かに、ルドウィクが言う。
その言葉に、ハッとしてマリエルは口をつぐんだ。
もう、ダメなんだ。
私程度がどうこう口を出せる段階ではないんだ。
事件は、もうとっくに国際外交の舞台に上がってしまっている。上がってしまった。
もはや、極刑は免れない。
あとは共和国でやるか、帝国でやるか。その違いがあるだけだ。
今はもう、その外交取引をしている段階なんだ。
(ああ。せめて────)
閣下のお助けになれていれば。
この命など、別に惜しくはない。
閣下にとってなんのお役にも立てなかった。ただそれだけが、口惜しい。
涙が、とめどなく零れ落ちていく。
「"オーシン外相"」
柔らかい、しかし空気を引き締めるような声でロハン首相が言った。
「"まだ若いお嬢様を、そう追い詰めるものではない"」
外相は、わざとらしく肩をすくめる。
そして仰々しく手を胸に当て、一礼する。
「"申し訳ありません、ついいつもの癖で、やりすぎました"」
いつものような軽い口調。
この口調に、油断してしまった。
通訳ができるだけの小娘の相手など、赤子の手をひねる様なものだっただろう。
マリエルの胸が、心臓が、ぎゅっと重たく沈み込む。
「"先の政変期でも、オーシン外相は政敵とやり合うのが実に上手でしてね。
……少々、性格に問題はありますが"」
ロハン首相は、困ったように笑いながら言う。
「"改革に反対する勢力を、一人ひとり追い詰めて、丁寧に排除していって……。内乱を未然に防いだ功労者なのですよ"」
「"……伺っております"」
頭を下げたまま、ルドウィクが答える。
※※※
────マリエルが、狙われた。
こちらの弱い部分を突かれてしまった。
取り返しのつかない後悔が、ルドウィクの胸をよぎる。
※※※
「"誤解なさらないでいただきたいのですが"」
続けて、ロハン首相は優しい声でルドウィクに言った。
「"こちらとしては、事を大きくするつもりはありません。……講和会議に支障があってはいけませんから"」
その言葉に、ルドウィクはハッとした。
国家を背負う宰相としての立場。
マリエルを守りたいという、個人の願い。
全部ごちゃまぜになってしまっていたことに、ルドウィクは気づいた。
苦い顔のまま、ゆっくりと顔を上げる。
「"ただ、このまま無罪放免、と言うわけにもいきません"」
続く首相の言葉に、ルドウィクは表情を硬くする。
「"そこで、諜報の件は不問にし、代わりに彼女────マリエル嬢の会談場への出入りを禁じる、ということで、手打ちにいたしませんか?"」
その声には、老練な政治家としての、優しさと打算が混じっていた。
その言葉に、ルドウィクの表情が一瞬パッと明るくなった。
そして、慌てて再度頭を下げる。
「"とんでもございません。格別のご配慮、感謝の念に堪えません"」
その表情には、安堵が浮かんでいた。
ロハン首相は、その様子を満足そうに眺めていた。
(ああ────)
それを聞きながら、マリエルは、どこかホッとしていた。
共和国での処罰は、免れた。
────よかった。
これで、閣下の手で、刑を執行していただける────。




