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八日目-4-

「"失礼、お待たせしました"」

 ガチャリ、と扉を開けて、オーシン外相が戻ってきた。

 マリエルは紅茶を手に取り、まるでちょうど今、口に運ぼうとしていたかのように振る舞い、笑顔で会釈した。

 外相は目を細めて、ニコニコと笑った。

「"どこまでお話ししましたかな?

 ああそうだ、タスキル港で素晴らしいレストランを見つけたところまで話しましたね。そこの帝国料理はほんとうに最高でした"」

「"お気に召していただけたようで、なによりです"」


 にこやかに返しながら、マリエルはどう話を切り上げるかを考えていた。

 あとは話を適当に切り上げて、この手帳の中身を確認するだけだ。

「"それで、そのレストランの名前がまた長くて。たしか……ああ、そうだ。

 『帝国儀礼供饗館 アルト=レムニスカトゥス宮調理室』と言いまして。

 とても長い名前でしょう?覚えるのが大変でしたよ"」

「"それは……確かに長いですね"」

 レストランの名前なんかどうでもいいと思いながら、マリエルはうなずいた。

 無駄話をしている時間なんてないのに。

 今は早く帰って、ルドウィクに今日の成果を伝えなければ。

「"つづりは確か……なんだったかな。ええと……帝国語のつづりを忘れてしまいました。

 確か……いや、違うな。

 ああそうだ。マリエル嬢、ちょっとつづりを書いてみていただけますか?"」

「"えっ……はい、構いませんが……"」

「"今手帳を出します……おや?手帳……手帳"」


 ゾワっと、全身の毛が逆立った。カップを持つ手が一瞬震える。

 なぜこのタイミングで?

 もっと早く退出しておけばよかった。

 まるで体温が下がったかのような、背筋が冷たくなる緊張感。

 動揺を悟られないように、必死で平静を装う。

「"おや?どこかに置き忘れたかな?"」

 外相は服のポケットを探っている。

 ……手帳を置いた場所を思い出されたら、おしまいだ。

 そこから無くなっていることが知られたら、まず真っ先に疑われるのは、自分。

 マリエルは必死に頭をめぐらせる。

 手帳から気をそらさなければ。

 レストランの名前をメモしてやれば、話題をそらせるかもしれない。

 手帳以外に、なにかメモができるもの────。


「"あの……"」

 マリエルはおずおずと執務机を指さす。

「"あの中に、メモ紙などはありませんか?"」

「"この中ですか?"」

 そう言われて、オーシン外相は机の引き出しをあける。

「"ああ、本当だ。メモ紙を置き忘れていました。よくここにあるとわかりましたね。

 ……まさか、覗いたりしました?"」

 外相は、いたずらっぽく笑って見せる。

 マリエルの心臓が一気に跳ね上がる。

「"いえ、その……執務をされる机なら、メモ紙が、あるのではないかと……"」

 うわずった声で、マリエルは言った。

 引き出しをあけたことが、バレている……?

 それとも、ひっかけ?

 どんどん激しくなる動悸を誤魔化すために、マリエルは無理にほほ笑んだ。

「"さすが、宰相閣下の通訳を担うだけのことはある。聡明なお嬢様だ"」

 ニコニコと、まるで楽しそうに笑う外相。

 その柔らかい笑顔の奥に潜む鋭い光が、マリエルの思考をすべて見抜いてしまっているかのように思える。

 マリエルはゾッとした。


(────これ以上、ここにいては、いけない)

 マリエルは慌てて立ち上がった。


「"あの……"」

「"どうされました?"」

「"急な、用事を思い出しまして"」

 嫌な汗が背中を流れる。

 自分でもわかる。不自然にもほどがある。

 それでも、外相は笑顔のまま、崩れない。

 どこまで気づいているのか。わかっているのか。

 その恐ろしさに、マリエルは足が震えた。

「"それは失礼しました。長い時間お引止めしてしまって申し訳ありません"」

「"こちらこそ……失礼いたします"」

 ペコリとお辞儀をする。

 一刻も早く、この部屋を出なければ。

 マリエルは挨拶もそこそこに、部屋を出ようとした。

「"ちょっとお待ちください"」


 呼び止められて、マリエルは再び心臓が跳ね上がった。

 ぎこちなく、ゆっくりと振り返る。

「"よかったら、お菓子をお包みいたしましょうか。ルドウィク閣下にも、ぜひ"」

「"いえ、その……結構です"」

 なんとか笑顔を作り、一礼する。


 マリエルは逃げるように、部屋から抜け出した。




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