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初日-3-

 ホテルシャンタアーニュは、カレドニア様式の白い石膏装飾が特徴の、五階建ての大きな建物だった。

 エントランスには大きなガラス扉、真鍮製のシャンデリア。壁には共和国首都を描いた油絵。ここにも電灯の照明が使われている。

 帝国使節団の宿舎として用意されたこのホテルは、共和国内でもトップクラスに豪華だった。宰相、外交長官にひと部屋ずつ、書記官たちにもそれぞれ個室。さらに打ち合わせ用、執務用にひと部屋、通訳などの随伴者用に大部屋を二つ。食堂、温浴施設、さらに医務官、料理人、警備員────。

 それらがすべて使節団のために用意され、さらに会議場までの五百メートルほどの距離を移動するために、開発されたばかりという蒸気自動車まで用意されていた。


 外交長官は不機嫌そうな顔で「列強に媚びを売る共和国らしい建物」と腐していた。

 書記官たちは年の若い者が多いせいか、純粋に驚き、めずらしがっていた。

「部屋に入る前に」

 一度打ち合わせ室に入ったルドウィクは、一行を集めて、小声で《《帝国語》》で言った。

「盗聴の警戒のため、ホテルでの会話は最低限とする。特に帝国議会とのやり取りは電信文テレグラムで行い、その内容も必ず鍵のかかるカバンに入れて決して手放さないように」

「大げさですな」

 外交長官がバカにしたように笑う。

「しょせん共和国ごときに、なにを怯えてらっしゃるのか」

「この講和会議において、私は陛下より全権委任頂いている」

 表情一つ変えずに、ルドウィクは言った。

「不満もあるだろうが、ここは指示に従ってもらおうか、外交長官」

 とたんに外交長官は苦虫を噛み潰したような表情になり、不貞腐れて横を向いた。


「────不敬な」

 つい、マリエルは声に出してしまっていた。しまった、と思ったが、すでに外交長官はマリエルをにらみつけていた。

「貴様こそ、身分をわきまえろ」

 外交長官は吐き捨てるように言った。

「宰相閣下のお気に入り風情が。ご寵愛をかさに着て、なんのつもりで国の威信をかけた会談の場に居合わせるのだ」

 すかさず横からルドウィクが口を挟む。

「彼女は優秀な通訳として同行してもらっている。生まれや身分など関係ない」

 そしてじっと外交長官を見据えた。外交長官はルドウィクに対しても不機嫌を隠そうともせず、再び横を向いた。

 マリエルはカッとなって、再び口を開きかけた。

「マリエル」

 ルドウィクはじっとマリエルの目を見る。マリエルは途端に委縮し、口から出かかっていた言葉も消滅してしまった。


「一度解散だ」

 ルドウィクはパッと表情を明るくして、一行に言った。

「議事録は各自まとめて保管しておくように。電信文の作成は私が。夕食後に打ち合わせを行う。以上だ」




 各々、ホテルの従業員に案内され、割り当てられた部屋へ向かう。

 従業員はみな黒い制服で統一されていて、ややぎこちない挨拶をしてくる。

 廊下の角には制服姿の共和国兵が立ち、通るたびに敬礼をする。それは、警備という名目の監視にも思えた。


「申し訳、ありませんでした」

 歩きながら、マリエルは小声でルドウィクに言った。

「なにがだ?」

「先ほど、外交長官殿に対して口を滑らせてしまいました」

 マリエルは叱責が飛んでくるかと身構えていたが、ルドウィクがくすっと笑ったことに驚いた。

「実に、君らしい」


 ルドウィクとマリエルが部屋に入ろうとしたとき、別の従業員が通訳を伴ってやってきた。

「"帝国宰相閣下"」

 呼び止められたルドウィクは、ゆっくりと振り向いた。

「"大変申し訳ございません、宰相閣下のご同行が女性の方とは思わず、通常の従者の方用の個室でご用意してしまいました。

 今からご夫婦のお客様用の別室をご用意することもできますが"」

「え」

 めずらしく、ルドウィクは戸惑うような表情を見せた。しかし一瞬で普段の表情に戻る。

「"そのままで構いません。通訳兼秘書ですので"」

 了解いたしました、と頭を下げた後、通訳と従業員は下がった。


 ルドウィクに用意されたのは大きな二間続きのスイートルームで、片方は執務もできるように机が置かれ、もう片方は寝室、そこから従者用に扉を挟んで別の個室につながっている。

 窓は大きく、ここから港湾都市を一望できるようになっている。


「構わなかった、だろうか」

 部屋に二人になると、ルドウィクはマリエルに尋ねた。

 マリエルは首をかしげる。

「なにが、でございましょうか」

「いや、その、個室とはいえ、隣室だし……鍵のかかる別室の方がよかっただろうか?」

「隣室でなければ、閣下のお呼び出しに即座に応じられません」

「そ、そうだな。妙なことを聞いてすまなかった」

 それだけ言うと、ルドウィクは妙にぎこちない動きで荷物を寝室へ運んだ。

 マリエルも一礼してから、与えられた個室へ入った。


 執務室へと繋がる、本来は従者用の個室は、廊下に出られる扉もついていた。

 ここの天井にも小さな真鍮製のシャンデリアがあり、床は深紅のウールカーペット。さらにベッドはセミダブルサイズでウォールナットの木製フレーム。水道式の洗面台まであり、石鹸は共和国製のラベンダー香のもの。

(これが……共和国の一流ホテル……)

 それまで暮らしていたワルターベルク家のお屋敷も豪華ではあったが、ここはまるで質が違う感じだった。

 見たこともない家具。聞いたこともない設備。

 新しく、自由で、明るい。

(帝国は、この国と戦争をしている)

 ルドウィクの立場を思うと、マリエルは用意された部屋の豪奢さを素直には喜べなかった。


 ふと、マリエルは部屋の隅にドレッサーが置かれているのに気づいた。

 他の家具が部屋の内装に合わせてあるのに、このドレッサーだけは妙に浮いている。おそらく、女性の従者が泊まると知ったホテル側が慌てて用意したのだろう。

(気回しはありがたいけれど……)

 ルドウィクの指示以外で着飾ることなどないのだし、これは使わないな、と思いながら、外套をしまおうとクローゼットを開けたマリエルは、固まった。

 簡素なクローゼットの中には、豪華なドレスが何着も用意されていた。これも慌てて用意したものだろうか。おそらく、仕立て屋もひかえているのだろう。

(閣下の、ただの侍女でしかないのに。ここまでの気配りを見せるのか)

 その気の使われ方、油断のなさに、マリエルは気を引き締めた。




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