八日目-3-
部屋の中は、急ごしらえの応接室、といった雰囲気だった。
執務机の前に並べられたソファに低いテーブル、そして広間を無理やり区切ったような木製の衝立。
とりあえず用意しました、といった感じで、使われている調度品は高級そうなものなのに、室内の雰囲気と合っていない。
外相に続いて中へ入りながら、マリエルは衝立の隙間にちらっと視線を向ける。
その奥に見えたのは、木製のテーブルが並んでいるエリア。
────おそらくそこが、共和国の事務作業スペースだろう。
「"今、飲み物を用意させましょう"」
オーシン外相は、柔らかな笑みを浮かべて言った。
「"ありがとうございます"」
マリエルは丁寧に頭を下げた。
この雰囲気なら、外相からもなにか聞き出せるかもしれない
「"まずは、伝言をお伺いしましょう"」
「"はい"」
マリエルは、持ってきたメモを取り出して読み上げた。
「"帝国宰相ルドウィク・フォン・ワルターベルク閣下より、帝国議会からの回答に時間がかかっているため、会談の休止期間を一日伸ばして欲しい、とのことです"」
ふむ、とオーシン外相は短いひげの生えたあごをなでた。
「"わかりました"」
そして、すぐにうなずく。
「"帝国の事情を慮れば、やむを得ないでしょう。承知いたしました、と宰相閣下にお伝えください"」
思ったよりもあっさりした反応に、マリエルは拍子抜けした。
もう少し、延長に関して条件を出してくるかとも思っていたが、まるでそんなそぶりは見えない。
外相はにこやかに笑った。
「"まあ、そう固くならないでください。我々としても、この休止期間は骨休みができて助かっているのですよ"」
「"はあ……"」
どこまで本音なのかわからない。それでも、まるで友人に話すような気軽い口調に、マリエルは気が抜けてしまった。
「"ああ、そうだ。もしお時間があるなら、すこし帝国のお話をお伺いしてもよろしいですかな?もちろん、機密に関することではなく"」
マリエルは、さすがに訝しんだ。
帝国の内情を探るつもりだろうか。本当に雑談のような雰囲気で話しているが、どこまで信じていいのだろうか。
「"私は長らく帝国との窓口を務めていましてね。帝都へは何度かお伺いしたことがあるのですよ。
そうそう、よく行ったのは、オーキンス通りにある美術館です。あそこはとてもよい場所でした"」
「"そう……ですね"」
マリエルもルドウィクに連れられて何度か行ったことがある。
落ち着いた静かな美術館で、綺麗に整備されている場所だ。
懐かしむような外相の表情に、マリエルはふと、近所の知人と会話をしているような感覚を覚えた。
扉をノックする音がして、さっきの通訳が紅茶とお菓子をもって入ってきた。
「"共和国のケーキはいかがですか?甘いのはお嫌いかな?"」
暖かそうな湯気と、フルーツの乗った綺麗なケーキ。
それを見ながら、マリエルは密かに考えていた。
この雑談を引き延ばせば、そのうち何か役に立つ情報が引き出せるかもしれない。
マリエルはにっこりと笑って、うなずいた。
「"……ありがたく、いただきます"」
普段ならば。
こんなものを頂くなんて、とても図々しくてできない。
でも今は、貴重な情報源だ。話に乗っておくほうが得策だ。
外相は楽しそうに話を続ける。
「"パーツェルには行かれたことは?皇帝陛下も訪れるという、避暑地として有名な街ですね"」
「"一度だけ……"」
「"あそこは本当に美しい街です。ルドウィク閣下も、そこに別荘を?"」
「"いえ……閣下のお仕事に付き添いで"」
「"なるほど。それはもったいない。あの街は街道が細いのだけが難点でした。ぜひ、閣下には街道の整備をお願いしたいところです"」
「"……お伝えしておきます"」
「"そうそう、タスキル港にも視察に訪れたことがあります。帝国では最も大きな港!素晴らしい港でした。設備が老朽化している点だけが残念でしたが"」
「"あそこは、漁民たちの反対運動が強いらしく……"」
────気がつくと、小一時間ほど話し込んでしまっていた。
オーシン外相はふと時計を見て、ハッと手を叩いた。
「"おっと失礼、小用の時間があるのでした。すぐに戻りますので、ここでお待ちいただけますか?"」
「"あ、はい"」
にこやかに会釈をして、オーシン外相は部屋を出た。
それを笑顔で見送りながらマリエルは全身が湧きたつような興奮を覚えていた。
(やはり、油断している────)
マリエルは、震える指でカップをそっとテーブルに置き、音をたてないように立ち上がった。
そして、素早く執務机に駆け寄る。
(中へ通すくらいだし、ここにはあまり期待はできない)
そう思いながらも、念のため引き出しを開ける。
そこには白紙のメモ紙とペンが置かれているだけだった。
(当たり前か────)
マリエルは落胆せず、続いて衝立の隙間から向こう側を覗き込む。
並べられた執務用の机。椅子。
ちらっと扉の方へ目を向けて、気配がないのを確かめる。
それから、マリエルはすばやく衝立の隙間へ体を滑り込ませた。
(急がなきゃ────)
並んだ机の上は、驚くほど整然としていて、一切の書類が置かれていない。
その徹底ぶりに、マリエルは舌を巻いた。
帝国の宿舎にも、同様の事務作業用のスペースが用意されていた。
ルドウィクは、始めに『電信などのやり取りは必ずカバンにしまう』ように厳命していた。
……が、守られたのは最初だけで、気が付くと、帝国とのやり取りの文書も、会議録も、送られてきた電信ですら、机の上に放り出されていることがままあった。
そのたびにルドウィクが注意していたが、なかなか治らなかった。
それに比べて、共和国の事務エリアは完全に整理され、メモ紙一枚落ちていない。
机の上に転がっているのは、せいぜいペンが数本と、なにも書かれていないメモ用紙くらいだ。
いくつか引き出しをあけてみるが、そこも空っぽだった。
(これでは────)
マリエルは落胆した。
ここまで危険を冒したのに、これではなんの成果も得られない。
そのとき、外から足音が聞こえてきた。
(戻ってきた────?)
マリエルは息をのんだ。すぐに戻らなければ。
────そのとき。
机の上に置かれた手帳に目が留まった。黒革の表紙に金のインクで記された名前。
そこには、オーシン・オズルワンと書かれている。
(これは────!)
中身を確かめている暇はない。
マリエルは手帳をさっと手に取り、胸元────襟の奥へ押し込んだ。




