八日目-1-
●講和会議 八日目
部屋に入ったとき、ルドウィクはすでに支度を終えていた。
今日は、顔色がとてもいい。
マリエルはそれを見て、ほっと胸をなでおろした。
朝食の後、届いている電信を確認する。
ルドウィク宛の何通かの私信と、行政上の報告書がいくつか。
「議会からのものは、ないのか?」
電信を持ってきた官吏にルドウィクが尋ねる。
「これだけです」
それだけ答えて、官吏は退出する。
ルドウィクは、顔をしかめた。
講和会議の休止期間は、今日まで。
今朝の段階で返答がないということは、提示された条件に対する回答がまとまっていない、ということだ。
そして、この状況では、講和会議を再開する意味がない。
ルドウィクは顔をしかめたまま、じっと考えていた。
マリエルはそのそばで、静かにルドウィクの言葉を待っていた。
「やむを得ない。共和国側に、議会からの返答を後一日待ってもらおう」
苦々しそうに、ルドウィクは言った。
「すまないが、誰か共和国の宿舎まで────」
「閣下」
マリエルは、即座に声を上げた。ルドウィクは少し驚いた顔でマリエルを振り返る。
「私が、伝言をもって参ります」
「いや────」
ルドウィクは言いよどんだ。
この場合、伝言役は別に誰でもよかった。ただ、あまり高官が向かうと相手を警戒させてしまうし、気苦労もかけてしまうため、避けるべきではあった。
もちろん、官吏や書記官はいる。しかし、彼らにも自身の職務がある。
一方、マリエルは、電信が届いていないのであれば、手が空いていると言ってもいい。
今日は会議もないので通訳も必要ないし、しいて言えばルドウィクの身の回りの世話くらいしか、仕事がない。
しかし、ルドウィクは訝しげに、マリエルの顔を見つめる。
まるで、その内心に隠しているものを、探るように。
「閣下。伝言であれば、通訳のできる私が適任です」
マリエルは、務めて冷静に言葉を口にした。
「日頃、会場内にいた私であれば、顔も覚えてもらっているはずです」
「しかし────」
「共和国の宿舎は、迎賓館の隣。そこまでならば、大した距離でもありません。
……その、少し、外を散策してみたいので」
「外に?」
ルドウィクの問いかけるような声に、マリエルは慌てて取り繕う。
「……はい。昨日はすっかり忘れていたのですが、お屋敷の侍女のみなさんへのお土産を買い忘れてしまったので」
ルドウィクは、目を細める。
まるで、今の言葉に偽りがないかを探るように。
(疑われて、しまっているだろうか)
それとも、不自然に聞こえただろうか。
マリエルはドキドキしながら、じっとルドウィクの反応を待った。
※※※
(すこし、距離を取りたい、のだろうか)
昨日のマリエルの様子を思い出して、ルドウィクは悩んだ。
だとすれば、拒むことはできない。
でも、ただ離れたがっているにしては、別の違和感がある。
どこか危うい、そして無理をしているような。そんな、匂いがする。
(止めるべきだろうか────)
なおも、ルドウィクは迷う。
止める口実を、作れなくはない。
『そばにいて欲しいから』
────そう、言えばいいだけだ。
しかし、それを言うのははばかられた。
※※※
少ししてから、ルドウィクはなにかを諦めたように、ふうっ、と息を吐いた。
そして目を細めて、じっ、とマリエルの顔を見る。
(────っ)
一瞬、心臓が跳ねる。
まさか。見抜かれている?
そして、ルドウィクは言った。
「マリエル」
「……っ、はい」
「《《伝言を渡したら、すぐに戻ってくるように》》」
事務的な、実務をやり取りするときの口調で、ルドウィクは言った。
そして、伝言のメモをマリエルに差し出した。
その表情は、なにかを試しているかのように、確かめているかのように、マリエルには思えた。
「承知いたしました」
一礼して、マリエルはメモに手を伸ばす。
ルドウィクの手に触れたとき、その温もりを思い出しそうになって、マリエルはすっと視線をそらした。
マリエルの胸が密かに、痛む。
(申し訳ございません、閣下)
これからやろうとしていることは、間違いなく閣下の優しさを裏切ることになる。




