六日目-1-
●講和会議 六日目
朝。
朝食の時間になっても、ルドウィクは起きてこなかった。
不安になったマリエルが、遠慮がちに寝室をノックする。
「……起きているよ」
ルドウィクの声にホッとしながら、マリエルはそっと扉を開けた。
ルドウィクは寝巻のまま、ベッドに腰掛けていた。
昨日よりも顔色はだいぶ良くなっているように見える。
マリエルはその様子に、やっと胸をなでおろした。
「朝食はどうなさいますか?」
念のため、マリエルは尋ねた。
本音としては、昨日のこともあるし、このまま寝ていて欲しい。
顔色は良くなったと言っても、普段に比べればまだまだ青白く見える。
しかし、ルドウィクが体調不良を悟られるのを避けるために、無理にでも食堂へ向かうかもしれない。
「そうだな。今日は会談も中止だし、全員の予定を自由行動として休暇を取らせよう」
「閣下は────」
つい、マリエルは口にする。
「閣下は、休養なさらないのですか?」
「まだ、やることがある」
ルドウィクは、はっきりと言った。
「まだ、やれることがあるうちは、休んではいられない。……申し訳ないが、電信を打つのでマリエルにも付き合ってもらいたい」
その優しい表情に。いつものような、暖かい口調に。
────そして、その奥にある強さに。
「もちろんです、閣下」
マリエルは即答した。
着替えた後、簡単な朝食を個室に取り寄せ、さっと済ませる。
ルドウィクはすぐに電信文の作成にとりかかった。
「まずは……昨日の電信の返事ですが」
マリエルは、机の上に昨日の電信文を並べ、読み上げる。
「帝国議会からのものは『フリジアの譲渡は認められない』、『軍の撤収も認められない』そして『賠償金も支払えない』という内容です」
「……想定通りだな」
ルドウィクはため息をつく。
「想定通り過ぎて、呆れかえる。議会には現状を把握できている人間はいないのか」
議会から送られてくる電信は、帝国からの主張として議決を通ったものだ。
講和会議の最終的な決定権はルドウィクにあるが、会議の進捗状況は逐一報告され、帝国議会は講和条件などに口出しできることになっている。
続けて、マリエルは次の電信を机に置いた。
「こちらが、今朝届いた電信です」
一つ目は議会からのもの。
「議会からは『現在議論中のため返答期限まで待つように』との返信です」
「そうか……」
ルドウィクは、短くそう言った。
帝国議会の最終的な決定権は、皇帝陛下にある。
議会は皇帝陛下を説得するために存在している、と言い換えてもいいかもしれない。
「講和派の援護射撃をしておくべきだな」
嘆息交じりに、ルドウィクは言った。
議会の講和派の人数は、たかが知れている。
今回の講和会談にまでこぎつけられたのは、講和派の尽力というよりも、貴族議会の政権争いの影響が大きかった。
(この方のお味方は、あまりにも少ない────)
マリエルは、悲痛な気持ちでただルドウィクの言葉を待った。
ルドウィクは机に片肘をついて、少し考えるように首をかしげてから、言った。
「議会に送る電信文を三つ作って欲しい」
マリエルはすぐにペンを構えた。
「一つ目は……『フリジアの譲渡は戦勝国としての権利であり拒否は不可能』」
低く、しかしはっきりした声。
マリエルはちらっとルドウィクを見る。
「『拒否は不可能』で、よろしいですか?」
「そうだ。この点は、強く念を押しておきたい」
マリエルはさっとペンを走らせる。
「二つ目は、賠償金だ。『賠償金の減額は交渉するが現在の戦況を考えるとこれも不利である』まだぬるい希望を抱いている連中に、目を覚ましてもらわなければならないからな」
「……閣下に対して不満を溜める議員も出てくるのでは」
「出るだろうな」
諦めたような、苦笑。ルドウィクは続ける。
「そして三つ目だ。『休戦が終わるまでに結論を出さなければ今度こそラバルナ軍を抑えきれず、完全敗北してしまえば今以上に苛烈な要求を飲まなければならなくなる』。ここまで言えば、逆転を夢見ている連中も目を覚ますだろう」
書きながら、マリエルは思った。
これは、相当数の議員を敵に回す可能性のある文言だ。
敗北論とも取られかねない文章。だが、厳しい現実を直視する内容だ。
(閣下は、内にも外にも敵を抱えておられる)
それでも。
身を切ってでも言わなければならないこと。やらなければならないこと。
それを、ルドウィクはこなしている。
「以上だ。すぐに電信を送ってくれ」
その言葉に、マリエルは強く頷いた。
「……承知しました。暗号化して、すぐに官吏に渡します。」
手早く暗号化を済ませ、マリエルは廊下へ出た。
戻ってきたマリエルは、室内へ入ろうとして、窓から外を眺めているルドウィクに気づいた。
その光景に、マリエルは膨らむ不安を抑えきれずにいた。
(今朝も……食事が少なかった)
パンもスクランブルエッグも、半分ほど残された。
ポタージュスープを口に運ぶ手が、微かに震えていた。
それを思い返して、胸が苦しくなる。
(この人の重荷を、少しでも軽くして差し上げたい)
マリエルは胸の奥にそう誓いながら、手をぎゅっと握りしめた。




