初日-2-
相次ぐ敗戦と、以前からの財政難によって、帝国の経済は破綻しつつあった。
ここに至ってようやく講和に傾いた皇帝と帝国議会は、共和国の使節を帝都に呼び、講和の話し合いを行おうとした。
ルドウィクは、帝国側が劣勢であり、またこちらから講和を申し込む形であることから、講和会議の開催地の決定権は共和国側にあり、共和国内もしくは第三国で行うのが国際的な通例である、と皇帝と議会を説得した。
「わかっていないのだ」
嘆きに近いつぶやきを、ルドウィクは漏らした。
マリエルは、ルドウィクのために淹れた温かい紅茶を机に置き、ほとんど手が付けられないまま冷めてしまったスープの皿を下げた。
「閣下。お食事を温めなおしましょうか」
「……ああ、すまない」
言いながらも、ルドウィクは顔を上げない。
ルドウィクの度重なる説得に折れた議会は、それでも辺境国でしかない共和国には外交官を送れば済む、と譲らなかった。
ルドウィクは、共和国は国家元首が出てくるのにこちらが外交官では国際的に非礼であり、講和を結ぶのは難しい、と皇帝を説得した。
最終的に、皇帝と議会は、講和交渉の使節としてルドウィクに全権委任することで決まった。
「君に、通訳として同行してもらいたい」
書類整理をしながら、ルドウィクは、可能な限りなにげないそぶりでマリエルに言った。
「その……使節の人員は、先方の印象を鑑みてなるべく少なくしたい。
君なら、私の秘書もできるし、適任だと思うんだ」
マリエルは、表情が崩れそうになるのを必死でこらえた。
────信じてもらえた。頼ってもらえた。
いつかお役に立ちたいと、外国語を学んできた成果を閣下にお見せできる。
「閣下のお望みとあらば」
そう言って、マリエルは頭を深く下げた。
会談の場として選ばれたのは、共和国北西部にある、ヴァレシア港湾都市だった。
それほど大きな都市ではないものの、帝国から向かうには交通の便の良い場所で、同時に共和国の重要な軍港でもあった。
港に面した丘陵部には近代的なホテルが立ち並び、その中の港を一望できる高台に迎賓館はあった。
直線的で近代的ながら品格のある外観。バルコニーや破風などにラバルナ共和国の民族的衣装が施されている。アクィタニア風の前庭には、均一に敷き詰められた石畳、電気式の外灯が並んでいた。
エントランスに入ると、ラバルナの産業革命を描いた巨大なフレスコ画。電気式の巨大なシャンデリアが飾られ、廊下にも電灯が使われていた。
(初めて見る────)
帝国の薄暗いガス灯しか見たことのなかったマリエルは、はるかに明るい電灯のまぶしさに目を細めた。
同行する書記官たちも、建物の装飾、そして最新技術に感嘆の声をあげている。
その先頭を、ルドウィクは堂々と歩いていく。
マリエルは、その背中に遅れないように足を速めた。
「"ラバルナ共和国外相、オーシン・オズルワンと申します"」
次に口を開いたのは、首相の隣の席の、壮年の男性だった。
「"このような折、帝国宰相閣下ご自身がお越しくださったこと、共和国政府として心より歓迎申し上げます。
また、ノイヴァルト帝国外交長官におかれましては、これまで両国の対話の場において多大なるご尽力を賜りました。改めて、この場をお借りして、長年のご助力に深い感謝の意を表させていただきます"」
マリエルは、ルドウィクの横に座る老人────バルタザール・フォン・ノイヴァルト帝国外交長官に、彼らのカレドニア語を帝国語に通訳して聞かせた。
伝統的な帝国礼服に身を包んだ外交長官は、マリエルを侮蔑的に一瞥し、不遜な態度で通訳を聞いていた。
それから、鷹揚な態度で語りはじめた。
「これまで帝国は、ラバルナ共和国に対して寛大な態度でさまざまな恩恵を与えてきました。今回のこの場においても、帝国に対するに相応しき礼儀をもって────」
マリエルは、それをカレドニア語に通訳していく。
「マリエル」
ルドウィクが小さく手を上げ、マリエルの通訳を止めた。そして帝国語で外交長官に短く「発言は、私が許可してからだ」と告げた。
あからさまに不機嫌を顔に出す外交長官を無視して、ルドウィクは共和国外相に向かってさっと笑顔を作った。
「"もし非礼があったとしたら、どうかご容赦ください。外交長官は、共和国との協議における補佐として同席していますが、本件交渉に関してなんら権限を持っておりません"」
「"まさか、ご懸念には及びません"」
外相は、あくまで作った笑顔を崩さず、ルドウィクに言った。
「"外交長官のおっしゃる通り、帝国の偉大な伝統と歴史は我が共和国にとってまさしく恩恵でありました。本会談が両国にとって有意義な成果に結びつきますよう、可能な限り尽力いたす所存です"」
「若造が」
外交長官が小さくこぼすのを、真後ろにいたマリエルは気付いた。
(不敬な────!)
────閣下がどれほどご自分を責めておられるか。帝国に対してどれほどの重責を感じておられるか。
……なにも知らないくせに。
外交長官の後頭部をじっと睨みながら、マリエルは湧き上がる怒りを抑えていた。
ルドウィクが他の議員や貴族たちからどう思われているかは知っていたが、それでも許しがたい言葉だった。
その日の会談は、『まずは休戦の条件を話し合う』ことをお互いに確認しただけで終わった。
その後は日程の確認と、開始時間を十三時三十分とし十五時に終了すること、延長する場合は十六時までとすること、などを決定した。
双方の書記官たちが記録を終え、和やかな握手を交わす。
その通訳に追われながら、マリエルはルドウィクの仕事の場に同行できたことに深く感謝していた。
同時に、共和国側の圧力からも、帝国内部の反対勢力からも、宰相閣下を守り抜くことを、強く胸に誓うのだった。




