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五日目-3-

「……想定外、だった」


 私室に戻ってきたとたん、ルドウィクは力なくそうつぶやいた。

 顔は青ざめたまま、まるでうなだれたように立ち尽くしている。

 マリエルは震える手で、自分とルドウィクの外套を急いでハンガーに掛け、雨粒を払う。

 視界の端に捕らえたままのルドウィク。ここまで焦燥しているのは、初めて見る。


「時間稼ぎを見抜かれることは、わかっていた」

 身体を投げ出すように椅子に腰を落として、ルドウィクは言った。

「それで向こうが焦るようなら、列強介入の噂が事実であるとわかる。

 ならばこちらは、列強が介入しやすくなるように議論を誘導すればいい、と考えていた」

(閣下……)

 マリエルは無言で、ルドウィクの上着を脱がせる。

 その背中はいつになく弱々しく曲がり、肩は力なく落ちてしまっている。

 顔色は白く、体温すらいつもよりも低く感じられる。

 ────雨の、せいだ。

 そう思いたい気持ちが、にじみ出る。

 どうしようもなく、その背中を抱きしめて支えたくなる衝動をこらえながら、マリエルは手早くルドウィクの上着を畳んだ。


 ルドウィクは深くため息をついて、拳をゆるく握った。

「だめだ。相手の方が一枚も二枚も上手だ。

 ……三日間の休止?

 どういうことなんだ。列強の介入に対してすでに手を打っているということなのか?

 それとも、全く別の意図があるのか?……クソッ」

 ルドウィクは机に軽く、拳を叩きつけた。

「閣下……」

 初めて見るルドウィクの姿に、マリエルは動揺し、戸惑っていた。

 怒りをあらわにするのも初めてだし、ここまで弱音を吐き出すのも初めてだった。

 その感情をどう受け止めれば、ルドウィクを支えられるのか。

 それすらわからないまま、マリエルは立ち尽くした。


 そのとき、扉をノックする音がした。

「────入れ」

 ルドウィクはすっと落ち着いた声に戻り、そう言った。

 切り替えの早さが、いつになく痛々しく思える。


 扉を開けて、官吏が電信を持って入ってきた。

「どこからだ」

「は、帝国議会からであります」

 全部で三通の電信を渡しながら、官吏は答える。

「……それ以外には?」

「は、以上であります」

 それだけ言うと、官吏は形式通りの一礼をして、そのまま退出した。


「……クソッ、まだか!」

 ルドウィクは受け取った電信を机の上に放り投げた。

 マリエルは慌てて、それを拾い上げる。

「閣下、解読は……」

「不要だ。どうせ中身はわかっている」

 短く、吐き捨てるような言葉。ルドウィクは髪をくしゃくしゃにしながら部屋の中を歩きまわった。

 焦燥。いら立ち。普段はあれだけ冷静なルドウィクが、今はもはや隠すこともかなわないように見えた。


 ふと、ルドウィクはマリエルに目を向けた。

 ドキッとして、マリエルは固まった。

 怯え。

 不安。

 そして、ルドウィクの感情が移ったかのような、焦燥。

 とっさにうつむいたが、遅い。

 ────表情を、見られてしまった。


 ルドウィクは、ハッとした。

「……すまない、マリエル」

 優しい。けれど、暗く、沈んだ声。

 その声に、マリエルは心臓をぎゅっと捕まれたような気分になる。

「閣下……その」

「少し、休む」

 マリエルに背を向け、ルドウィクは寝室へ向かおうとした。

 そのとき。

 ルドウィクの体が、ふらっと傾いた。

「閣下!」

 思わず叫びながら、マリエルは駆け寄った。

 ルドウィクは壁に手をついて、かろうじて体を起こした。

 マリエルはとっさにルドウィクの体を支えた。

「閣下……閣下!」

 震える声で呼び続ける。

 目の前が真っ白になる。

「大丈夫だ」

 そうと言いながらも、ルドウィクの体は力なくふらつく。

 泣きそうになりながら、マリエルは必死でルドウィクを呼んだ。重みでマリエルの膝が沈み込み、よろめく。

 ルドウィクの手が、弱々しくマリエルの肩を掴む。その指先は震え、そのまま滑り落ちそうになる。

 マリエルはルドウィクの体を抱きかかえるように立ち、叫んだ。

「誰か!宰相閣下が────」

「問題ない」

 ルドウィクはそっと手を上げ、マリエルを制した。

「人を呼ぶほどではない。────寝室まで、支えてもらえるか?」

「ですが閣下」

 ルドウィクはようやく立ち上がった。しかし明らかに顔色は悪く、足元もおぼつかない。

「……たのむ」

 低く、懇願するような声に、マリエルは胸が締め付けられた。

(この人は、自分の体調すら、政治であるとわかっている────)

 マリエルは、ルドウィクの顔を見ながら思った。

 もし自分が倒れたら、講和交渉に影響がでることを恐れているのだ。

(それが、閣下にとっての仕事であり、使命なのだ)

 ────で、あれば。

 自分がやることは、決まっている。

 マリエルはルドウィクを支えるために、腰に手を回した。

 そして、涙がこぼれそうな目をぎゅっとつむり、そしてもう一度開く。

「わかりました、閣下」

 短くそう答えて、マリエルはルドウィクを抱きかかえながら、寝室へ向かった。




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