五日目-2-
その後も幾度かやり取りを交わしたものの、議題は平行線のままだった。
次第に空気が重たくなっていくのを、マリエルはルドウィクの後ろで肌に感じていた。
ルドウィクは話題を切り替え、議題は『賠償金』へ移った。
「"賠償金の額について、帝国議会を説得するための材料が必要です"」
ルドウィクは、淡々と話す。
マリエルは、じっとその背中を見守った。
「"現在の帝国の経済状況では、全額はとても支払えません"」
すぐさま、ロハン首相が返答する。
「"外国から資金を借り入れるという手段もあります"」
その返答は滑らかで、余裕すら感じられる。
机の下で、ルドウィクは拳をゆっくりと握りしめる。
「"借金額が増えれば国の経済が疲弊します。国家財政が破綻したら、賠償金どころではなくなるでしょう"」
「"講和が成れば経済は立て直せます。外国もそれを見越して貸付するでしょう"」
すかさずそう返されて、ルドウィクは一瞬顔をしかめるが、すぐに普段の表情にもどる。
「"それでは返済に何年かかるかわかりません。長期にわたる負債は、ますます帝国議会の同意を得られません"」
ルドウィクの拳が、閉じたり開いたりしている。
(閣下が、焦っておられる)
心臓がきゅっと縮む。
この場では、通訳としてしかルドウィクの力になれない。
その無力さが、うらめしい。
「"失礼"」
唐突に、オーシン外相が手を上げた。
空気がピッと震えるような周囲の反応。
(……このタイミングで、外相が発言?)
その意図を計りかねて、マリエルは緊張した。
「"これでは、帝国は本気で講和をするつもりがあるのか。私は疑念を抱いています"」
待機所にいた書記官たちが動揺する気配。
ルドウィクの眉がぴくっと動いた。
マリエルも、思わず息をのんだ。
挑発、だろうか。いや、もっと────。
オーシン外相とロハン首相が、一瞬目線をかわすのが見えた。ロハン首相は黙ったままうなずく。
そのやり取りに、マリエルはどうしようもない不安に駆られる。
ルドウィクが口を開きかけるが、その前にオーシン外相が続けた。
「"とはいえ、宰相閣下のご懸念には共感できます。そこで、閣下が帝国議会を説得するための時間を設けるため、提案に対する議会の返答期限として三日間の時間を置き、その間講和会議を中断することを提案いたします"」
ルドウィクは目を見開いた。
机の下の手が、腿を掴んだまま動かない。
それほど、相手の提案が予想外だったのだろうか。
その表情は、かろうじて平静を保ってはいた。が、返す言葉が出てきていない。
(閣下……?)
一瞬、マリエルの通訳が止まる。
ルドウィクのあんな様子は、初めて見た。
────仕事中のルドウィクは、どんなに難しい局面でも冷静さを保ち続けていた。
内心を悟らせないやり取りを、平然とこなしてきていた。
今は明らかに、外からわかるほどに、彼は動揺している。隠せていない。
ルドウィクが、即座に言葉を返せていないのが何よりの証拠だった。
マリエルは拳をぎゅっと握りしめた。
それでも。
今の自分はただ、祈ることしかできない。
その様子を察したのか、オーシン外相が「"少し時間は早いですが"」と、本日の会談の終了を申し出た。
ルドウィクはしばし躊躇したものの、結局は終了を受け入れた。
待機スペースにいた書記官たちが、どこかホッとしたような雰囲気で撤収の準備をはじめた。
(彼らは、気づいていない)
マリエルは振り向きもせずに、そう思った。
今日のやり取りでなにがあったのか。ルドウィクがなにを狙っていたのか。
そして、相手がなぜ三日間の中断を申し出たのか。
(誰も────閣下のお力にはなれていない。なろうとしていない)
マリエルは、ぎゅっと唇をかんだ。
外は、雨がパラパラと降りはじめていた。




