第7話 お迎えデビューは突然に
美柑から電話があった。
―「ごめん、サトシ。今、電話大丈夫?」
サトシは、あわてて職員室から出た。
「どうした。勤務中だぞ。もしかして、ひなが熱でも出したっ?!!」
―「違うよ。教授に急に仕事を頼まれちゃって、帰りが遅くなるの。ひなの保育園お迎え、サトシに頼めないかなーと思って」
サトシの頭の中に、ひなの天使の微笑みが浮かんだ。
心の中がパァ――ッと温かい光で満たされていく……
サトシにとって、夢にまで見ていた、ひなのお迎えデビュー。
ついに、その夢が叶うのだ。
いつまでも返事をしないサトシに、美柑は逆に断られたのかと勘違いした。
―「そうだよね。急に言っても無理だよね。保育園にダメもとで延長保育を頼んでみるわ。お仕事中、ごめんね。じゃあね……」
「待って! 切らないで! 行きます! 速攻で行きます!!」
―「サトシ……、速攻じゃなくてもいいんだけど……いいの?」
「いいの、いいの。学校の仕事なんか工藤に振るから……」
―「それじゃ、工藤先生が気の毒だわー」
そのとき。サトシが電話している横を女生徒が、キャーキャー言いながら通り過ぎて行った。
―「なに? 生徒が近くにいるの? 女生徒に優しく手なんか振ったら有罪だからね」
サトシは、生徒に笑顔を返そうとして伸ばした手をひっこめた。
(え、監視されてる?)
「そんなことないよー。俺は職務に忠実なタイプだから……」
―「ふん、まあ、そういうことにしとくわ。じゃ、ひなをお願いね」
「かしこまりました!」
サトシは、放課後のチャイムが鳴ると同時に、白金女子学園を飛び出した。
春の風がやさしく頬を撫でる、午後四時半。
四谷キャンパスの一角にある、ぬくもりを感じさせる託児施設のドアを、サトシはカラリと開けた。
「こんにちは〜。あの、ひなを迎えに来ました。佐藤でーす」
保育士たちは、一斉に出入口に注目した。
ドアの前に立っていたのは、背の高いスーツ姿の男。
整った顔立ちに柔らかな茶色い髪、スーツの上に掛けたコートの襟元からは淡く香る洗濯洗剤の香り。
まるで雑誌から抜け出てきたようなイケメンに、保育士たちは一瞬、時が止まったように感じた。
「……さ、佐藤ひなちゃんの、パパ……ですか?」
「あ、はい。時間が空いたので、今日はわたしが……」
「さきほど、ひなちゃんのママから『パパがお迎えに行きます』と連絡がありました。念の為、身分証明書か何かお持ちですか? 一応、確認しないと……」
「あ、そうですね。この運転免許証でいいですか?」
笑顔でそう答えたサトシの顔に、誰かがそっとため息をついた。
(なにこの好青年……しかもパパって……犯罪的にかっこよくない…?)
(運転免許証、生年月日、確認っ! え、37歳? 見えなーい。若―い。20代に見えるー!)
「パパーーーー!!」
保育室の奥から、よちよちと小さな影が駆け出してきた。
まだ少しバランスの悪い足取りで、それでもしっかり「大好きな人」に向かって一直線だ。
「ひな〜、ほら、走ると転んじゃうよ。……ゆっくりおいで!」
サトシがしゃがみこんで両手を広げると、ひなはその中にすっぽりと飛び込んだ。
「パパねー、ひなねー、すごくいい子ー。ボロッポイーたべた!えらい」
「おっ、えらいな〜! ブロッコリー食べたのかぁ。ママに報告しないとね。トップニュースだ」
ひょいと抱えられたひなは、嬉しそうに手を叩いてキャッキャと笑った。
同じタイミングでお迎えに来た他のママたちは、それを見ていてささやき合った。
「……え、なにあの人、俳優?」
「パパって言ってたよね……?」
「あんなイクメンいる? ずるくない?」
***
帰り道。
「ひな、お昼寝をちゃんとしたって聞いたよ。えらいなー」
「パパ、ママにも! えらいって、いいこいいこ、ちてね」
「もちろん」
ひなをベビーカーに乗せて保育園を出るとき、サトシのスマホが震えた。
LINEの差出人は──美柑。
:お迎えどうだった?
サトシはふっと笑い、素早く返信を打ち込んだ。
:楽勝! でも、……ちょっと注目されて、恥ずかしかったかな。
すると、即座に返ってきた返信メッセージは……、
:やっぱり! わたしの自慢の旦那さまだもん♡
やだわー。ひなのパパが妻子を溺愛するイケメンだってバレちゃったー
その一文に、サトシは思わず顔を赤らめた。
(……いや、溺愛って誰も言ってないから。ちょっと早く帰れるから迎えに来ただけで)
そんなことを思いながら、ベビーカーを押す手が少しだけ強くなった。
「パパ、いっしょ、おふろ入る?」
「うん、その言葉、一生忘れないでね。できるだけ、ずーーっと一緒に入ろうねー」
世界で一番家に帰るのが早いイクメン、サトシ先生は、今日も言い張る。
「いや、溺愛なんてしてない」って。
……だが、誰もそうは思ってくれない。




