第6話「サトシ先生、そろそろ帰ってこない?」
春の風がやさしく吹きぬける昼下がりだった。
その男は、唐突に現れた。
「よう、イクメン王子。生きてるかぁ?」
玄関のドアを開けたサトシは、一瞬で目を細めた。
「工藤……おまえ……この家に来る前に“連絡”という概念を思い出せよな」
仕事帰りらしいワイシャツ姿のイケメンが苦笑した。
「いやあ、ちょうど学校近くで研修あったしさ。ついでに様子を見に来たんだよ。“行ってこい”って、副校長も言ってたし」
「五十嵐先生か……。復職の圧、はんぱねーな……」
サトシがため息をつくと、リビングの奥から壁伝いにつかまり立ちの小さな天使が登場した。
「パァパー!」
ひな、1歳。
サトシパパの足にぎゅっとしがみついた。
その姿を見た工藤は、思わず目を細めた。
「へえ…… “ひな姫”。あんよが上手になったなぁ。美柑ちゃん似だな。かわいい」
サトシは得意げに胸を張った。
「だろ? 天使だろ? パパのことが大好きでさ、こないだなんてさ……」
サトシの親バカ話の途中を、美柑が遮った。
「はいはい、パパ語り始まった。工藤先生、お茶でもいい?」
美柑がキッチンから笑いながら顔を出した。
「ありがと、美柑ちゃん。相変わらず美人ママだねぇ。大学の休学期間がそろそろ終わるんじゃないのか?」
「うん、学内に託児施設があるから、そこに預けて復学するつもりよ。三年生の時にほとんどの単位は取っちゃったから、あとは卒論だけなんだけどね」
「さすが! 桜井……じゃない、美柑ちゃん。優秀だねー。……で、お前はそろそろ学校戻る気あるの?」
「え」
お茶を飲む前に、本題が刺さった。
「……いやまあ、考えてはいるけど。まだちょっと心配っていうか……」
ひなを膝に乗せながら、サトシは曖昧に笑った。
オムツはほぼ卒業。昼寝も安定。
美柑の大学復帰も可能。
(だけど……)
「……まだ、朝の“いってらっしゃい”で泣かれたら、出勤できる気がしないんだよなぁ」
すると、工藤は自分のスマホを取り出し、画面をサッと見せた。
「見てみ。うちの娘、6歳な。昨日の連絡帳の一文」
【おとうさんが おむかえにきて うれしかったです。 でも ままともあいたいです】
「……なに? その二刀流の破壊力」
「そう、パパってのは、ずーっと“ナンバー2”なんだよ。だがな……」
工藤はサトシの肩をぽんと叩いた。
「それでも、子どもが一番頼りにするのは、“帰ってきてくれる人”だ」
「……!」
「ひなが大学の託児所が嫌だって泣いたら、帰ってきてやれ。それでいい。どうせ、この家は学校の近くだし。復職しても、パパはずっとパパだから」
静かな言葉が、サトシの胸に落ちた。
そのとき……
「うー、うー、にいに!」
ひなが、工藤の手を引いていた。
「え、ちょ、待って。俺ってにいに!? そんな、若いか!? お兄さんだなんて……ひなちゃん、正直すぎるぅ!」
「工藤、勘違いするな。工藤は鬼!って、そう言ったんだよ」
「え、俺、悪役!?」
「にぃに、外―! ママはうちー!」
そう言いながら、ひなはリビングのドアを一人で開けようとしていた。
「ひなちゃんには、かなわないなー。にぃには、ママを探しにお家探検しようかなー」
工藤先生は、ひなを抱っこしながら、お家探検を始めた。
「さずが工藤、慣れてるなー。でも、勝手に寝室入るなよ」
「入るかもよー」
「バーカ、おまえ!」
その夜、サトシは美柑にぽつりとつぶやいた。
「……来月から、復職しようかな……」
「うん。いいんじゃない? きっと、ひなもわかってくれるよ」
美柑がそっと手を重ねた。
「わたしがお迎えに行けない時は……、まずないと思うけど……、そういうときは、サトシがひなのお迎えしてね」
「そうだな。……美柑は大学卒業したら、働いたりするの?」
「まだ、わかんない。ひなの様子を見て決めるわ。心配しすぎてもよくないし……」
「大丈夫、俺が美柑とひなを全力で守ります! この騎士団長にお任せを……」
「頼もしい! その真面目にボケてくるところ、昔と変わってないね。大好き!」
「ボケ? いや違う。俺は『お嬢さんを幸せにします』と長谷川さんに約束したんだ。マジだよ、マジ。それから、俺の方が勝ってるから」
「何、競ってんの?」
「俺は美柑が想っているより百倍!……愛しているんだから」
「誰を?」
「美柑……」
二人が重ねたその手は、妻が桜井美柑だった頃と変わらない。
いや、もっとあたたかかったかもしれない。




