第3話 溺愛しすぎて診察室出禁になった男=サトシ
産婦人科の待合室。
白金女子の教師であるサトシは、スーツ姿にモデルのような整った顔立ちで、ただ座っているだけで注目を浴びていた。
「まあ、すてきなご主人ですね」
「奥さん、幸せ者ですね~」
と他の妊婦さんや看護師に声をかけられる。
美柑は笑顔で「ありがとうございます」と答えようとした瞬間――。
「いや~もう、初めての子でドキドキしちゃって。ね? 美柑」
とサトシが横から割り込み、美柑の手をしっかり握った。
すると、通りがかった看護師がにっこり笑って……、
「あらぁ、すてきなご主人ですねぇ」
と言いながら、なんとサトシの手の上にポンと手を重ねて握ってきた。
美柑(……は?)
まさかの「三角握手」状態になってしまった。
サトシは照れ笑いし、看護師はほほえみ、美柑だけが無言でうつむいていた。
その瞬間、美柑の足元で……、
ガツンッ!
美柑は怒りをどこにもぶつけられず、近くにあった雑誌ラックを無言で蹴った。
カタカタ揺れるラックと、無言の圧。
「あれ、美柑? 足痛くない??」
と、サトシはまったく察していない。
「…………帰ろう」
「えーなんでー!? だってエコー写真見たいよー!」
「帰る(低音)」
美柑の機嫌の悪さにまだ気づかないサトシは、意味もなく慌てた。
「ちょ、ちょっと待って!? 俺まだ赤ちゃん見てない!」
周囲の患者さんたちはクスクス笑っている……。
これは完全に、夫婦ゲンカを誤解して見守り中モードだ。
待合室の空気に耐えられなくなった美柑は、とうとう立ち上がった。
「そんなに見たいなら、他の赤ちゃんのエコーでも見れば?」
「えっ!?そんなの意味ないよー! 俺たちの子だから見たいんだよ!」
サトシの必死さに、ちょっと胸をくすぐられた美柑。
「ま、……そうだね」
と、いったんは怒りを収めた。
しかし、心の奥では「こいつ、調子に乗ってる」とマグマが沸々と湧いていた。
やっと、待望の診察室。
診察室に入ると、モニターに小さな影が映った。
医師はエコー画像を見ながら解説した。
「はい、これがお腹の赤ちゃんですよー。はい、これが赤ちゃんの心臓ですね。ちゃんと動いてますよ」
「うおぉぉぉ! 手が動いた!今、手振った!先生、見ました!?奇跡だー! 美柑、見えたよね、手を振ったよね!」
「まあ、……そう見えなくもないけど、元気ならよかった」
「うおおおおおっ!すげえ! 動いた! 奇跡だ! 世界一可愛いぞー!!」
看護師はサトシに注意した。
「あの、もう少し静かにしてください」
医師「ここが、脊髄で……
サトシの興奮した叫び声で、医師の説明はかき消され、看護師は必死で笑いをこらえていた。
「先生、この子に英語で話しかけても大丈夫ですか!?」
「……」
「生まれた瞬間に俺の顔見たら、泣いたりします!?」
「……」
「今の映像、YouTubeに上げてもいいですか!?」
「……」
医師は無言でカルテを書いていた。
と、そのとき、美柑が少し不安そうに言った。
「先生、昨夜、ちょっと不正出血があって……」
「なにぃぃぃ!? 美柑! なんでそんな大事な事を、俺に黙っているんだ! まさか、まさか……、不治の病では……、死なないでーーーッ!! 美柑」
サトシは床にひざまずき、両手を広げて絶叫した。
診察室は大パニック。
看護師まで「大丈夫ですか!?」と駆け寄る。
医師はゆっくりと言った。
「はい、赤ちゃん元気に育ってますね。大丈夫でしょう」
「先生っ!妻は大丈夫なんでしょうか!? もう、絶対に!? 絶対に大丈夫なんでしょうか!?」
「はい、きっと大丈夫ですよ」
「きっとじゃダメーっ! もし、美柑がいなくなったら……俺は……俺は……わー!わー!わーーっ!」
診察室に響き渡るサトシの慟哭。
医師は小声でつぶやいたのを、美柑は聞き逃さなかった。
「……うるせえな、このだんな」
美柑は思った。
(だよねー)
「死なないでー!みかーん!!」
診察台にすがりついて泣き崩れるサトシを見て、美柑は我慢の限界だった。
「……うざい! 診察から出てけ!!! そんなに騒いだら胎教に悪いわ」
「えっ、俺!? え、俺が!?」
サトシは、医師からではなく、妻から出入り禁止を食らった。
信じられないという表情で、サトシは看護師に肩を持たれて引きずり出された。
そして、待合室で。
追い出されたサトシがしょんぼり座っていると、周りの妊婦さんたちに「いい旦那さんねえ」「愛されてるわね」とヒソヒソ言われていた。
診察から出て来た美柑はそれを見て、またムッと来た。
「待っている間、暇しなかったようでよかったね。わたし、先に帰るわ、会計お願いね」
そういうと、美柑は病院を出て行った。
サトシは、あわてて、速攻で会計を済ませてその後を追いかけた。
美柑がどうして機嫌が悪いのかわからないサトシは、いつものように優しかった。
「もう! 急に帰っちゃうから、びっくりしちゃったよー。妊娠中は、いろいろ不安定なんだよね。気が付かなくてごめんねー」
サトシは後ろから追いついて、美柑の手を取った。
「……ごめんね。サトシはイケメンすぎるのよ。それと、心配しすぎ」
「え? イケメンすぎは謝らなくていいんじゃない?」
サトシは冗談っぽく笑い、そっと美柑を抱き寄せた。
「俺が心配するのは当然だよ。だって君と赤ちゃんは、俺の世界そのものなんだから」
「……もう、そういうことサラッと言うんだから」
すれ違った通行人たちが「素敵なご夫婦ね」と小声でつぶやいて、通り過ぎていった。
「ね、やっぱり俺たちって最強夫婦だよな?」
「ほらまたー、調子に乗るぅ」
美柑は小さく息をつきながら微笑んだ。
「……でもそこが好き」
その言葉を聞いたサトシの顔が、一気にぱあっと明るくなった。
「えっ、今、俺のこと好きって言った!? 証拠とればよかった。はい、スマホに向かってもう一回行ってみて?」
「うるさいっ。二度目は無いの!」
二人は笑い合いながら、阿佐ヶ谷商店街を抜けて、自宅まで並んで歩いて帰った。