第2話 単位より愛を!
妊娠中の美柑は、できるだけ出産前に「大学で単位を取りまくる」と息巻いていた。
サトシの母は、そんな美柑に猛反対だ。
「妊婦が大学に通うなんて何考えてるんですか! 満員電車に押されて、階段や段差のある駅や校舎を歩くなんて! 何かあってからじゃ遅いんですよ」
それと比べると、美柑の母は呑気なものだった。
「わたしなんか、美柑が生まれる直前まで働いていたわ。少しぐらい動いた方がお産は軽くなるのよ。お産は母親に似るって言うし、美柑もきっとお産は軽い方よ。頑張って通学しなさいね!」
母VS.母、意見の食い違いが、美柑のストレスになっていた。
サトシは美柑の意見を尊重すべきだと言って、美柑が大学に通うことに賛成した。
もともと、頑張り屋の美柑は成績優秀で、単位をバリバリ取っていたから、休学制度を利用して、その後復学できる方法を選んだ。
そんな夏の暑い日のこと。
美柑と同じ大学に進学していた一ノ瀬から、白金女子学園に電話が入った。
職員室で電話を取った工藤先生が、サトシを呼んだ。
「おーい、サトシー! 一ノ瀬からお前に電話だぞー」
「一ノ瀬? 珍しいな」
「大学から掛けてるみたいだ。美柑ちゃんに何かあったんじゃないか?」
「……っ!?」
工藤先生から電話を奪い取ると、サトシは一ノ瀬の声を聞いた。
「サトシ先生、美柑が医務室に運ばれたみたい。運ばれた瞬間をわたしは見ていないけど、これから医務室に行ってみます!」
一ノ瀬からの情報にサトシは血の気が引いた。
「工藤、J大学の医務室に行きたいんだけど………、ここから自転車で行くのと、電車でいくのと、どっちが早いだろうか?」
「ああ? しっかりしろや! そりゃ、電車だろうが。……だが、タクシーって手もある。新宿駅までタクシーで行ってあとは丸の内線に乗れ! 四谷で降りれば目の前が大学だろ?」
「わかった。ちょっと行ってきていいかな」
「気にするな。校長先生には俺から伝えておくから、とにかく急げ!」
サトシは大学の医務室に向かって走った。
「俺の妻に近づくなぁぁぁ!」
大学キャンパス内は、突然の不審者に大騒ぎだ。
一ノ瀬が、サトシを見つけて手を振った。
「先生―! こっちこっちー」
「美柑は?」
美柑はベッドに横になって寝ていた。
医務室の先生の話によると、軽い貧血だから心配はいらないということだった。
「そっか……、貧血か。よかったー」
「よくありませんよ」
「え?」
「今回は運が良かったけど、もしも階段で貧血を起こしてたら、切迫流産してたかもしれないんですよ」
「切迫流産……」
「大学と話し合いで、オンライン授業にしてもらいなさい。細かいことは事務局へ行って相談してください」
その後の、美柑は情緒不安定だった。
妊娠中で寝不足&情緒不安定。
レポートの山を前に、美柑は「もう無理!」と、家で大泣きした。
サトシは、なんとか美柑の力になろうと、いろんな提案をしてみた。
「任せろ! パパは徹夜で参考文献コピーしてくる!」
「それ、カンニングじゃん……」
「じゃあ、徹夜で君を応援してる!」
「レポート書いてる横で、じっと応援されても目障り」
「だって、君が頑張る姿を見てるだけで、俺は世界一の男になれるんだ。応援させてくれよ」
「んん-。ごめん、ちょっとうざい」
美柑にうざいと言われて、サトシはズーンと落ち込んだ。
そういう時に限って、サトシの母から電話があった。
「美柑さん、いる? いるんでしょ? ちょっと、お話があります」
「母さん、あまりきついことは言わないでくれよ」
サトシは、電話を美柑に渡した。
案の定、母からの叱責だった。
「美柑さん、あなた、佐藤家の孫を産むという自覚が足りません。妊娠して大学続けるなんて、もうおやめください!」
美柑は泣きそうになりながら「申し訳ございません」をくりかえすしかなかった。
そんな美柑から電話を奪うと、サトシははっきりと母に言ってやった。
「母さんは心配しないでください。俺が一生かけて美柑を守るんだから」
「な、何を……、少女漫画みたいなこと言ってんの!」
「ちょっと黙っててくれないか! はっきり言って、うざい!」
さっき、美柑に言われた言葉を、自分の母親に対していうと、サトシは電話を思いっきりガチャ切りした。
そんなサトシを見て、美柑はつぶやいた。
「やだ、わたしが言った言葉、そのままじゃん……、でもちょっと頼もしい」
その後も、情緒不安定な日は続いた。
口では頑張ると言ったが、美柑は夜になると不安で泣いていた。
「赤ちゃんが生まれても、わたし大学に復学できるのかなぁ。もしかしたら、退学になるのかも」
「何言ってるんだ、美柑。君は俺のヒロインだ。赤ちゃんは俺たち二人の愛の証。赤ちゃんも美柑の夢も、どっちも大事に決まってる! 両方叶えよう」
美柑、泣きはらした目をサトシに向けた。
「両方……、叶う?」
するとサトシはつぶやいた。
「一番大事なのは赤ちゃん、二番が美柑の健康と大学の単位で……、すると俺の順位は……3位か……」
とたんに、美柑は吹き出した。。
「プっ! 優先順位なんてないよ。比べるモノじゃないし、皆大事よ。わたしにとって、この世界全部がナンバーワンなの」
「そっか」
「ん? 不満?」
「いや、それでいい……」
だが、……実は、サトシは心の中で(でも、単位より俺を優先してくれー!)と叫んでいた。
それを見透かしたかのように美柑が言った。
「無理じゃね?」
「へっ? 読心術!?」
「単位は単位だし。それと……、隣で応援してくれるだけで、わたしは幸せだもん。ウザいなんていうの、あれ、ジョークだからね」
それから、二人は、デスクに並んで座って、勉強を続けた。
しばらくすると、サトシは一日の疲れがどっと出たのか、寝落ちしてしまった。
そんなサトシを見て、美柑は学生以来の呼び方で、そっと耳元でささやいた。
「先生……、一緒にいるだけで、やっぱり安心する」
先生と呼ばれたことにも、身重の美柑に毛布を掛けてもらったことにも気づかずに、サトシは夢の中だった。