第14話 パパと呼ばないで
「……パパ、来ないで」
ある夜、ひなは小さな声で言った。
サトシと美柑が、次の保育参観の話をしているときだった。
「えっ、どうして? パパ、ひなのこと大好きで、見に行きたいんだけどな……」
サトシは驚いて、娘の顔を覗き込んだ。
ひなは、ちょっと困った顔で、ぽつりと言った。
「マコちゃんも、ユリちゃんも、……お友達のお迎え、みんなスカートのきれいなママなのに……ひなだけ、パパなの。」
サトシの胸がチクリと痛んだ。
数か月前の保育参観日、保育園には華やかなママたちばかりが並んでいた。
サトシは一人だけ目立つ“パパ”だった。
先生たちも優しかったし、ひなもがんばっていた。
……しかし、子どもは敏感だ。
「……そっか。嫌な思い、させちゃったね」
サトシはそう言って、ひなをギュッと抱きしめた。
数日後。
次の参観日が近づいてきた。
サトシは放課後、学校から仕事中の美柑に電話した。
「ねえ、美柑……次、やっぱり君が行ってあげたほうが――」
―「……ごめん。どうしても外せない仕事があるの。その日休むことは無理」
「そっか、じゃ、仕方ないね。俺が行くよ」
―「待って。ひなともう一度話してみるわ」
「いいんだよ、無理しないで。美柑はせっかく大学の国際交流センターに就職できたんだから。やりたかった夢に向かってがんばりなさい」
―「サトシ……」
電話の向こうで、美柑の声が申し訳なさそうに揺れた。
その日の夜。
サトシが家に帰ってくると。
「ただいまー」
美柑はリビングで慌ただしく片付けると、玄関まで出て来た。
「おかえりー。ひな、ちょっと待っててね。サトシー? ちょっと……」
「ん?」
美柑は、サトシの手を引いてすぐにベッドルームに入るとドアを閉めた。
「おー! ちょっと……今からするんですかー? 美柑さん、積極的に攻めてきますねー」
「バカ、何と勘違いしてんの。違うわよ」
「なに? 違うの? どしたの?」
美柑は、サトシの顏をじっと見つめた。
「あのね、サトシにプレゼントがあるんだけど……ひなと選んだのよ」
「え、うわー、嬉しい! 何?」
サトシの顔がパッと明るくなった。
美柑は嬉しそうにしているサトシに、大きな箱を差し出した。
「ジャーン! パパのお洋服ですっ!」
「……ん? マジで? 嬉しいなぁ。着るよ、美柑とひなが俺のために選んでくれたんだろ? 絶対着る!」
サトシはそう言いながら、箱を開けた。
袋から出てきたのは、淡いミントグリーンのワンピースだった。
「……え、スカート……? 美柑のじゃないの?」
「ちがうよ。ひながパパのために選んだの。『パパもスカート履いたら、ママみたいになれる』って」
サトシは固まった。
ベッドルームのドアをちょっとだけ開けて、ひながニコニコして立っていた。
「ねーねー、パパ、嬉しい? ひなが選んだプレゼント」
「え……えぇっ……俺……スカート……!?」
「サトシ、言ったよね。さっきさぁ、“うれしい!”って言ったよね? “絶対着る!”って言ったよね?」
妻と娘の双方向から、サトシはロックオンされた。
どう見ても、勝算はない。
サトシは、白旗を上げた。
「……着ます……着ますとも……パパは愛されていますから……」
そして、保育参観、当日。
学校に早退届を出し、サトシは駅のトイレで、こっそり着替えていた。
(おかしい……俺、英語教師で……30代後半の男で……なんでいま、ストッキング履いてんだろ……カツラまで被って、どうみても変質者だ。大丈夫か? 職質されないか?)
パンプスで怪我をしないように、美柑が選んでくれたローヒールがせめても救いだった。
それでも、スカートの解放感に心もとなく、膝は震えた。
しかし……
“パパ、がんばって!”
昨夜の妻子の言葉が胸にあるから、彼は前に進めた。
保育園に到着すると、ママたちがざわついた。
「……あれ? あのミントグリーンのワンピース……誰のママかしら」
「え、え、きれいな人……? それに背が高い……モデルさんかしら……?」
場違い感、MAX……ではなかった。
サトシの美しい顔立ちは、そのまま女性としてその場になじんでいた。
保育園の先生は、廊下で「ん?」と首をかしげた。
「すみません、あの……ご父兄の方ですか?」
長い茶色の髪、ミントグリーンのワンピースに、控えめな口紅。
違和感ない保護者風の人物を前にして、園の職員は戸惑っていた。
サトシは、女性のように声のトーンを上げて、ひとこと。
「……ひなちゃんのパパ……の姉です」
「……は?」
「義妹の代わりに来ました。弟もどうしても仕事で来られなくて……」
「えっと……パパのお姉さまなんですか?」
「ええ、ちょっと背が高くて恥ずかしんですけど。ホホホホ」
「えっ、あ、あの、すみません、確認ですが……ひなちゃんの……?」
「伯母ですわね。ホホホホ」
先生は混乱した。
他のママたちもざわつきはじめた。
(あれが噂の“サトシ先生”? じゃなくてその“姉”の方?)
ひなは、美柑によく言いきかされたのか、教わった通りに駆け寄った。
「おねーちゃーん♡ きれいーっ!!」
と笑って抱き着いた。
サトシ(自称:姉)はぎこちなく、笑顔を作った。
(……今日だけは、“お姉ちゃん”で通す……パパのプライドより、娘の笑顔だ……! 許せ、レイコ姉さん)
サトシは心の中で実の姉に向かって謝罪した。
参観後、ひなの手を引いて帰ろうとしたサトシを、保育士が呼び止めた。
「……あの、サトシ先生ですよね」
「あ……バレましたか」
「やっぱり。だって、メガネがほら、同じですもの。でも、他のママ達にはバレなかったみたいですよ」
「そうですか……すみません、職業倫理、捨てました」
「いえ。愛を見ました。今日の参観、一番ステキでしたよ」
「……ありがとうございます。次は女装よりも……普通に、仕事を休めるようにがんばります……」
手をつないで帰る途中、ひながぽつりと言った。
「パパ、おねえちゃんみたい……でもね……パパのにおいだったね」
「……そっか。パパ、ばれてたか」
「でも、だいすきだよ。パパ、おねえちゃんになってくれてありがとう」
その一言で、また一歩、スカートを履いてよかったと思うサトシだった。
「……パパ、正直、死ぬほど恥ずかしかったけど……、ひなの笑顔見られたから、もうそれでいいや……」
「ほんとう? じゃあ、また着てね!」
「……できれば次回は……パンツスタイルでお願いしたいです……」
女装したサトシは、娘と手を繋いで家路を急いだ。
「あ、待って、ひな。駅のトイレで着替えてもいいかな、パパ。この格好で阿佐ヶ谷商店街歩くの、厳しい……」
「やー! スカートがいい。おねえちゃんパパがいいのー!」
「うん、わかったー。でも、家に帰るまで、パパと呼ばないでねー。お願い」




