第12話 すっぴん妻はそこそこ美人
サトシは、今日も朝からバタバタしていた。
美柑は卒業論文の最終提出を終え、いよいよ大学を卒業する。
キャンパス内の保育園は使えなくなったため、ひなはこの春から、サトシの勤務先・白金女子学園の近くの保育園に転園することにした。
「俺が送り迎えできる距離だと、安心なんだよな……」
なんて言いながら、自分の弁当を玄関に忘れて出勤したのも、その「安心」のせいかもしれない。
一方の美柑はというと……。
転園して始まった一週間の慣らし保育。
慣れるまでは、一時間しか預けることが出来ない。
美柑の仕事が本格化するまえに、この期間を乗り切らなければならなかった。
「えーっと、ひなのオムツセットよし、お弁当よし、連絡帳……あれ? サトシのお弁当、玄関に……」
気づいた瞬間、既に時刻は8時15分。ひなの登園が8時半、サトシの勤務先に転園しておいてよかった。
ひなを預けてから、白金女子学園に移動するのは可能だ。
「ま、間に合う……!」
すっぴんに日焼け止めだけを塗り、髪を一つに結んで、ジャージにスニーカー。まるで早朝のマラソンランナーという服装だが、行くしかない。
美柑はひなを保育園に預けると、すぐさま白金女子学園へ猛ダッシュした。
どうにか1限の始業前に校舎へと滑り込むと、職員室に顔を出した。
「す、すみませーん。お、お弁当……! サトシ先生、いらっしゃいますか……?」
職員室の空気が一瞬止まり……そして弾けた。
「えっ! 美柑ちゃん!?」
「わー、ほんとだー!」
「卒業して何年? 大人っぽくなったね~!」
「それより、すごく急いできたんでしょ。お水いる? 大丈夫?」
美柑は、汗だくの顔に無言でうなずくと、差し出されたペットボトルの水をがぶがぶ飲んだ。
体育の大山先生は、まるでアスリートに給水している気分になった。
「がんばれ、美柑! お前ならゴールできる!」
「大山先生、……陸上部じゃないんだから」
「あ、間違えた。やったな、ゴールだ……か」
「いや、そうじゃなくて……」
美柑はふうーっと息を吐いてからペコリと頭を下げ、大山先生にお弁当を預けた。
「ありがとうございます……あの、これ、うちの主人のお弁当。忘れちゃったみたいで……」
「桜井!じゃない美柑ちゃん! うちの主人だってーーーー??!!」
「キャー、サトシ先生ったら、美柑ちゃんに『主人』なんて呼ばせちゃってーー!」
「ああ、わたしもサトシ先生を『うちの主人』って呼んでみたーい」
「緑川先生、わかります。その気持ち!」
美柑は、サトシを『うちの主人』と言って後悔した。
(普通に、サトシ先生って言えばよかった。マズった……)
気を取り直して、改めて丁寧に言った。
「あの、サトシ先生は授業中みたいなので……これで……」
逃げるように職員室を後にした。
その頃、ちょうど教室の前を通りかかった生徒たちが、階段の踊り場でぺちゃくちゃと噂をしていた。
「ねえねえ、聞いた? サトシ先生の奥さんって、ここの卒業生なんだって」
「えっ、マジ? 」
「しかも超絶美人らしいよ」
「え、あのクールでイケメンなサトシ先生のハートを射止めたなんて、凄ーい。ロマン感じる〜。やっぱ美人って得よねー」
その声を背に、美柑は心の中で(やめて~~~!)と叫びながら、小走りで校門を抜けた。
(すっぴんで汗だくで、ジャージ姿で『超絶美人』とか言われたら……地獄……)
その日の夜。
「ただいま〜。今日はお弁当届けてくれてありがとね」
「保育園が学校の近くで助かったわ」
「ひな、ただいまー。うううーん、可愛いよぉ」
「パーパ、イケメン!」
「ありがとー!」
サトシはひなをギュッと抱きしめた。
「手を洗ってってば! いつも言ってるでしょ! ……ところでさ、今日学校行ったらさ、サトシ先生の奥さん“すっごい美人説”が流れてるんだよねー」
「……へえ?」
サトシはひなをあやしながら、知らん顔をした。
「職員室から帰ろうとしたら、女生徒たちがおしゃべりしてるの聞いたもん。なんで噂になってんのかなあ」
「うん? そうだった?」
「誰が流した噂なんだろね。サトシが自分で言うわけないよねー」
「言わない、言わない。俺じゃない。俺は学校で、そんなに愛妻家オーラ出してないから」
「どうだか……」
「え、疑われてるの? 俺」
「無いね。噂するとしたら、工藤先生? これも、無いわね。おしゃべりなのは青柳先生か? 可能性はあるけど、ただいま婚活中が人の奥さん褒めるかなぁ」
「ううーーん。誰が言ったっていいよ。事実なんだし」
「困るのよ。事実と違う! 生徒たちの夢と理想を壊してしまうわ」
「えーーー? そんなことないよー。美柑は超絶じゃないけど、そこそこ美人だよー」
サトシは正直に表現しすぎた。
「微妙な誉め言葉やめて。じゃ、ひなはどれくらい美人なの?」
「なんで、ひなと比べるんだ。俺にとって、どっちも愛しい存在で超絶可愛いのにー」
サトシは悲しい目をした子犬のように泣いた。
「クゥーン……」
翌日。
サトシは家に帰ってくると、手を洗いながら美柑に報告した。
「わかったぞ。噂流しの犯人が」
「え、誰?」
「職員室で、例の噂って誰が流したか聞いてみたんだ。そしたらさ、“俺が言ったんじゃないよ”って他の先生たちが否定する中で、最後にひとり……校長先生が」
「校長……?」
「『いやあ〜、彼女は本当にきれいだったからね。うちの生徒たちにはまだ早いけど、ああいう凛とした女性に育ってくれたら嬉しいなあ』って、生徒たちの前で言ったそうだ」
「ちょっと校長……どこで美化されたの……?」
サトシは明るく笑いながら、美柑の頭をぽんぽんと撫でた。
「ありがとな。愛妻弁当が自慢なんだぞ。それに忘れたら、わざわざお弁当届けてくれるし」
「ほんと、感謝してよね。もう一生分、美人ってことにしておいてくれるなら、許す」
「うん、じゃあ一生言う。“俺の奥さん、世界一美人”って」
「……フフフ。ひなに聞かれたら笑われるから、内緒ね」
その横で、ひなが突然割り込んできた。
「ママー、そこそこびじん〜♡」
サトシと美柑は、顔を見合わせて吹き出した。
「言葉、すぐ覚えちゃうね」
「そりゃ、君に似たんだろう。語学が得意だから」
サトシ先生の家は今日も笑い声が絶えない。




