第一話 ヨハン、来日する(二)
「ヨハン!」
「タケル?」
自分を呼ぶタケルの声に気がついたヨハンは、ニナの腕から着地すると、二足歩行のまま猛スピードでダッシュした。タケルとの間には数十人の海外渡航者たちがいたのだが、ヨハンはそれらをものともせずに、彼らの頭や背中をピョンピョンと軽快にジャンプしながら、真っ直ぐに向かってきたのである。
そして最後に思いっきり床を蹴って、ヨハンはタケルが大きく広げた両手の中へと飛び込んだ。
「やっぱりタケルだ! わざわざ迎えに来てくれたんだね、ありがとう!」
「うん、ひさしぶりだねヨハン。元気そうでよかった!」
こうして一人と一匹は、お互いを抱きしめ合って十三年ぶりの旧交を温めたのである。周囲を行き交う人々は、そんな様子を不思議そうに眺めていた。
「ねえヨハン、すぐにぼくのことわかったの?」
「もちろんさ! それにしても、人間ってのはすーぐに大きくなるから参っちゃうよ。泣き虫だったチビ助が、こんなに背も高く立派になっちゃってまあ」
「やめてよ。でもヨハンは、ちっとも変ってないな」
「そうかな。ぼく的には、数々の人生経験を積んで、深みと渋みが増したと思ってるんだけどさ」
「ちょっと! もう、ヨハンったら。勝手に走っていかないでよ!」
その後から、息を切らして少女がやって来た。その両手には、二人分の古ぼけた旅行用トランクを下げている。
「ねえねえニナ! これ、誰だと思う? ……あのタケルだよ、司馬武悠!」
「えっ……タケルなの? わあっ、ひさしぶりね! すっかり見違えちゃった!」
「こちらこそ、ニナ。長い船旅、お疲れさま」
「お出迎えありがとう、タケル。これから、私とヨハンがお世話になります」
幼なじみの青年に、日本式の丁寧なお辞儀を披露するニナ。だが再び顔を上げた彼女は、もう懐かしさを抑えきれない、といった表情でタケルと抱擁を交わした。
「あー、それから、そちらの男性は、っと――」
ヨハンは頭に右前肢を当てて記憶を探るように、しばらく考えを巡らせた。
「……えーっと、わかんない。キミだれだっけ?」
「ああ、紹介するね。彼はぼくの小学校からの親友で、今年からも同じ大学、同じ学部に通うことになる――」
「お初にお目にかかります、キース・天ヶ宮・ドラゴンボルトです! お会いできて光栄です! ヨハン教授!」
身長がゆうに百九十センチ以上あるキースは、うやうやしくひざまずくと一匹の黒白猫と固い握手を交わした。
「えっ? いやあ、『キョージュ』だなんて……。なんか、まるで坂本龍一みたいじゃん! ちょっと照れちゃうなあ」
「いえいえ、なんてったってヨハン・K・シュレディンガー教授は、世界で初めて鳴城獅賀大に設立される魔法学部の専属講師の一人なんだから。なあ、タケル」
「そうだよ。ぼくらも魔法の授業、すっごく楽しみにしてるんだ」
「ま、この猫がどこまでみなさんのご期待に沿えるのかわかりませんけど。……あ、私、ベルリンからヨハンの付き添いで来ました、仁和・ローゼンクランツです。一つ年上だけど、これからは同級生になるのね。よろしくね、キースくん」
「いやー、こんなに美しい方と大学生活が送れるなんて光栄です! こちらこそ、よろしく!」
十数年の時を経て、芸能人のように華やかでチャーミングな顔立ちの欧州美人へと成長していたニナ。キースはヨハンのとき以上に心を込めて、両手で彼女の手をしっかりと握りしめた。昔から、美女というものにすこぶる弱い男である。
「ニナさんは、日本に来られたことは? 日本語すごくお上手ですけど」
「いえ、日本は初めて。でも、母親が日本人なので」
「あ、マジで? オレも母ちゃん日本人。奇遇っすね!」
口調が急にフランクになるキース。昔から、敬語というものがイマイチ苦手な男である。
「でも母国語じゃないし、まあまあ大変じゃね?」
「だって、ドイツ語話したら五百円取られちゃうもん」
「は?」
「ううん。……それにしてもキースくん、すごく気合の入った衣装ね、それ」
ニナは、この場所にいる全員がすでに気づいていたことをようやくツッコんだ。なにしろキースは「黒紋付に羽織袴」姿で、この東京国際クルーズターミナルへと出迎えに来ていたのである。
ただでさえ高身長の上に金髪碧眼の白人顔、さらにピンと尖ったエルフ耳美男子による本格的和正装とあって、キースはロビー中の注目を一身に集めていた。今もなお、スマホやデジカメを手にした観光客らにバシバシと写真を撮られている。
「ニナ! これは日本古来の伝統ある、かつ格調高い正装なんだよ。ぼくらを迎えてくれる、彼の『おもてなし』の心がひしひしと伝わってくるじゃないか! ぼくは感動したよキースくん!」
「いやー、教授にそう言っていただけると、うれしいかぎりっす! 実家からわざわざ着てきた甲斐あったっすね」
「あ、そうだ! 東京の地に無事に到着した記念と、ぼくらの再会と新たな出会いを祝して、ここで写真を撮ろうじゃないか」
「うん! いいわね、ヨハン。カメラは?」
「いや? ニナに預けなかったっけ」
「持ってないわよ。ヨハンでしょ?」
「そうだっけ?」
「どうしたの?」
タケルの問いかけに、自分のトランクを開けて物色しはじめたヨハンが答えた。
「おかしいな……。荷物の中に、カメラがないんだよ」
「もー、どうするの? おじいちゃんから借りてきた、大事なカメラなのに」
「もしかしてそれって、魔法のカメラ?」
「そうよ。たった一台しかない、貴重なものなの」
タケルとキースは、あの写真のことを思い出していた。幼い頃のタケルがヨハンと写っていた、魔法の一枚。あれを撮ったカメラなのだろう。
「船の中に忘れてきた、なんてことはないだろうし……。まさか、盗まれた?」
「ええっ? うっそぉ……」
「どうするタケル? 警察に届けるか?」
「うーん、どうしよう……」
「いや、大丈夫。あのカメラには防犯魔法がかけてあるから――」
ヨハンはそう言うと、目を閉じてなにやらぶつぶつとつぶやきはじめた。それは魔導師が魔法を使う時の、呪文の詠唱であった。
しばらくすると、このロビーを後にしようとしていた外国人の二人組の男が抱えていた荷物の中から、大きなシャッター音と、ストロボとおぼしき激しい点滅が発せられたのだ。ヨハンは、彼らの方を指さして叫んだ。
「あそこだ! あの男たちが持ってる荷物の中に、カメラがある!」
続く