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第一話 ヨハン、来日する(一)

「見て見て、ヨハン! あれが日本(ヤーパン)なんだって!」


 豪華客船の船首付近に立って前方を眺めていたその少女は、海と同じ色の青い瞳を輝かせながら振り向いた。


 初春とはいえ海の上は風も強く肌寒く、少女は淡い栗色(ブルネット)の髪に白いニット帽をかぶり、厚手のダウンジャケットを羽織っていた。彼女は近くにいた乗客から、遠くに見えるのが日本国内の島のひとつであると教えてもらったようである。


 そこにてくてくと歩いてきたのは、赤い首輪をした一匹の黒白猫だった。そしてつぎの瞬間、すっくと二本足で立ちあがると、その猫は口を開けて大きなあくびをしながら、眠たそうに返事をした。


「ふあ~~っ。……うん、ようやく着いたんだね、仁和(ニナ)。ぼくらがベルリンを出発してから、もう三ヶ月近く経っちゃったよ」


「しょうがないじゃない。飛行機に乗れば、ほんの十五、六時間で東京まで来れるっていうのに、だれかさんが『空を飛ぶのは怖いよー』とか言うせいで、わざわざ船旅にしたんだから」


「あのねぇ、ニナ。この話なんどもしたと思うけどさ。ぼくは空が怖いんじゃなくて、そもそもジャンボジェットってのがどうしても信用できないって言っただけ。だっておかしいと思わない? あんなに大きくて重たい鉄の塊が、何がどうなってどうすれば空を飛べるのさ?」


「そんなの知らないわよ! 世の中には、仕組みなんてちゃんとわかってなくてもなんとかなってるもの、いっぱいあるでしょ? ネットもパソコンも携帯(スマホ)もそう。飛行機もそうよ」


「ふう、まったく……。少なくともぼくは熟練魔導師(マスターウィザード)として、そんな得体のしれないものにこの身を任せる気にはならないね。それに比べて船のすばらしいこと! 見てごらん、大海原を渡るこの雄大さ! そして優雅さ! 旅の醍醐味は、まさにこれだよ」


「はいはい。私はもう、海なんてとっくに見飽きちゃったわよ。なんせ三ヶ月だもん。それより、ヨハンもこっち来てごらんよ。日本の島が見えるよ?」


「え? いや、いいよぼくは。ここからだってちゃんと見えるから。あーホント、日本だ日本」


 ヨハンはそう言って後ずさりながら、前肢を目にかざして遠くを見た。


(……猫のくせに、高所恐怖症)


「なんか言った?」


「べつに」


「ところでニナ。日本に着いたら、もうドイツ語は禁止だからね」


「えっ、なんでよ?」


「当ったり前だろ! 『郷に入っては郷に従え』、だよ。なんてったってこれからぼくらは、日本の花東京市にある鳴城(めいじょう)獅賀(しが)大学にお世話になるんだからさ。東京のみなさんに敬意を表さなきゃ」


「でもぉ……」


「キミは母親(ムター)が日本生まれだし、家でもときどき使ってたから日本語は問題ないだろ? ドイツ語なんて話してたら、みんなと仲良くできないよ。ふだんから積極的に使って、慣れていかないと」


「うーん……」


「これからはドイツ語を一回使うごとに、罰金として五百円(ゴヒャクイェン)徴収するからね」


「えーっ! 五百円っていくら?」


「たぶん……三ユーロくらいかな」


「はぁ……ま、いっけど。そのかわり、ヨハンだってドイツ語しゃべったら五百円もらうよ」


「ハッ、ぼくがしゃべるわけないだろ? 日本語はカンペキなんだからさ」


 ニナはだまったまま、ヨハンの両脇に手を入れて頭上に抱きあげると、くるっと船首のほうに向きなおった。彼女の足元のはるか下には、青く波立つ海面が見えている。


「ちょ、ちょっと、やーめーてーよー! ニナッ! おーろーしーてー!」


 ドイツからの二人の旅行者を乗せた客船(フェリー)は、まもなく東京港に到着しようとしていた。




「なあタケル、オレの格好(カッコ)、おかしくねえかな?」


「大丈夫だよキース。バッチリ決まってるって!」


 司馬(しば)武悠(たける)とキース・天ヶ宮(あまがみや)・ドラゴンボルトの二人は、江東区青海(あおみ)にある東京国際クルーズターミナルの到着ロビーにやって来ていた。まもなくドイツから来日する、ヨハン・(カッツェ)・シュレディンガーと仁和(ニナ)・ローゼンクランツを出迎えるためだ。


「もうすぐ、あの『ヨハン』に会えるんだろ? うわー、やっべ! なんかすげえ興奮してきた!」


「そんなに?」


「タケルは楽しみじゃねえのかよ。十年ぶりだよな?」


「いや、ぼくがベルリンにいたのは五歳までだから、十三年ぶりかな」


 タケルの父親は花東京市の市役所職員で、かつてドイツのベルリンに出向していた時期があった。その当時、両親とタケルの家族三人でベルリン市内に住んでいたのだが、そのときに世話になっていたのがローゼンクランツ家である。

 ニナの母親、円和(エナ)・ローゼンクランツとタケルの母親が、学生時代からの親友同士だった縁もあり、タケルの家族は二年間に渡ってローゼンクランツの屋敷にホームステイしていたのだ。


「そのとき同居してたのが、魔導猫のヨハンなんだって?」


「うん。その頃、たしか彼はフンボルト大学の学生だったと思う」


「すげえよな! だって、猫がドイツ最高峰の大学に通ってたんだろ? とんでもねえ天才猫じゃん!」


「あのさキース。あんまりネコネコ言わないほうがいいよ。ヨハンって、基本的に自分のこと猫だとは思ってないから」


 マグラドゴアの災厄(カラミティ)によって、異世界アルヴァルシアからやって来たエルフやドワーフなどの妖魔人(ようまびと)、いわゆるフェアリアンが世界各地で発見されるようになって三十数年。彼らの処遇や権利問題について、さまざまな議論が巻き起こっていた。


 そんな中、突如として注目を集めたのがベルリンで見つかった黒白猫、ヨハンだった。生まれつき知能が高く、人語を解したり魔法を使いこなす才能まで持っていた仔猫が、異世界から転移してきたフェアリアンであることが判明し、世界中が騒然となったのだ。


 それから紆余曲折を経て、すべてのフェアリアンに人権を保障する法律、通称「ヨハン・シュレディンガー法」がドイツ連邦政府によって制定されたのである。そしてその動きに、日本を含む多くの国が同調した。


「そっか。つまりヨハンは、法律上は立派な『人間』ってことだな」


「そうだよ。とにかく昔から彼は、自分を軽く見る人間には容赦しないから――あ、来た!」


「えっマジ? ヨハンか?」


 そのとき到着ロビーに姿を見せた、猫を抱きかかえた少女に向かって、タケルは大きく手を振った。




続く



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