第三話 ヨハン、入学式に出る(四)
「そ、そうですけど……お姉さんは?」
見ず知らずの若い褐色エルフから、いきなり自分の名前を呼ばれてびっくりしたヨハン。思わず、彼女を「お姉さん」と呼んで聞き返してしまった。見た目から察するに、人間で言うところの二、三十代にも思えるが、実際のところエルフの年齢はよくわからない。
するとそのエルフの女性は、返事をする代わりにいきなりヨハンに抱きついてきたのだった。
「え? あ、ちょ、ちょっとぉ」
「ずっと会いたかったの、ヨハン! 会えてうれしいわ…………」
「わああああっ!」
力強く抱きしめられ、ヨハンは困惑の悲鳴を上げた。彼女の胸元までに飛び散った吐瀉物の濡れた感触、そして口元からは酸っぱい胃液の匂いが漂ってくる。褐色エルフはそんなことも意に介さず、ヨハンの顔に頬を擦りつけつづけた。
「んんんん~~~♡」
「たすけて…………」
そんな様子を、ただ呆然と見ていたタケルとキース。そしてニナも、これまでの日本への旅行中に熱烈な歓迎を受けたことはあったが、ここまで好意をぶつけられることはなかったと感じていた。
「ねえ、どうすんの? これ」
「ほっとくわけにもなあ……」
「私、誰か呼んでこよっか?」
そのとき、彼らのそばを魔法学部事務室の愛工一朗室長が通りがかり、いつになくあわてた様子で声をかけてきた。
「ヴィエル教授! こんなところにいらしたんですか。探しましたよ。……おや、ヨハン教授も」
「ヴィエル教授?」
その言葉に、ヨハンは驚きを持って反応した。まさかこのエルフが、自分と同じ教授だって?
「もしかして、お姉さんも魔法学部の?」
ようやく我に返った彼女は、元のけだるそうな表情に戻って言った。
「ええ。私、ヴィエル・アルティラ…………。この大学の講師として招かれた熟練魔導師よ。あなたと同じく、妖魔人の、ね…………」
「……うにゃん!」
ヴィエルと名乗ったエルフの女性は、そう言いながらヨハンのあごを優しくなでた。まるで、しばしの別れを惜しむかのように。ヨハンは思わず、くすぐったげな声を上げた。
「入学式の準備がありますから、さ、控室に参りましょう。ヨハン教授も、遅れないよう願います」
「あ、ちょっと待って…………」
そう言ってヴィエルは、懐からタクトを出すと軽く振った。すると、彼女が周囲に巻き散らしたモノが、拭き取られたかのようにキレイさっぱり消え失せたのである。ヨハンの体中に塗りたくられた分もしかり、であった。彼女もまた、まぎれもなく熟練の魔法使いである。
「迷惑かけてごめんなさいね、ヨハン・シュレディンガー。それじゃ、またあとで会いましょう…………」
「は、はあ……」
そう言うとヴィエルは、愛工室長に連れられて去っていった。ときどき口元を手で押さえ、苦しそうにえずきながら。
「ねえ、あの人が魔法学部の五人目の教授ってこと? ヨハン」
「みたいだね」
「すげー美人だけど、なんか怖ぇーな」
「ヨハンのこと知ってるみたいだったけど、心当たりあるの?」
「さあね」
ヨハンは顔をしかめながら、体についた匂いをくんくん嗅ぎつづけていた。
「なによ、もう吐瀉物はついてないでしょ?」
「いや、そうじゃなくてさ。なんかあの女性ヘビースモーカーらしくて、タバコの匂いがさ」
「そっか。ヨハンは、昔からタバコが大っ嫌いだもんね」
タケルへの返事の代わりに、ヨハンはふうっとため息をついた。
「じゃ、みんな。ぼくも教員控室のほうに行ってくるよ」
「うん。私たちも式場に行ってるね」
教員控室へと、二本足でとことこ歩いていくヨハンを見送ったあと、ニナたちは入学式場に向かった。
「わあ、すっごい!」
入学式場に集まった新入生たちを見て、タケルは思わず大きな声を上げた。百名ほどの魔法学部の新入生は、全員がみな「魔法学部の学生としてもっとも相応しいと考える服装」で参加していたからである。
通常であれば、新入生の服装といえば学生服かスーツが定番であろうが、入学式場内はまるで中世ファンタジーモノのコスプレ会場のような様相を呈していた。
「やっぱ、あの映画の影響かな。ローブを着てるヤツが多いな」
キースが言うように多くの出席者は、魔法学校に入学する少年少女たちを描いたあの物語のような、黒いローブや幅広のとんがり帽子を身に着けていた。
自作なのか、それともそうした専門店で購入したのか。いずれにせよ、この大学で魔法を修得しようなどと真剣に考える学生である。みな、並々ならぬ決意を秘めて入学式に参列していると思われた。
「ねえ、あそこ! ニンジャがいるわよ!」
「どこどこ?」
「うおっ、マジだ!」
ニナの声に、タケルやキースも振り向いて見た。そこには、忍び装束をまとった男女が立っていたのである。二人のうち、目の覚めるような真っ赤な忍び装束を着ていた「女忍者」のほうが声をかけてきた。
「ハイ! ステキなローブのお姉さん。そっちのエルフのお兄さんの全身鎧もカッコイイじゃん!」
「ありがと! あなたたちの衣装も本格的ね。まるで、本物のニンジャみたい!」
「そりゃそうよ。ウチら正真正銘、ホンモノの忍者だから」
「えっ? それってどういうこと?」
赤い忍び装束の彼女は、素顔を覆っていた頭巾を取りながら言った。中からは、見事な金髪に染め抜いたポニーテールがこぼれ落ちる。キラキラとした笑顔も印象的だ。それにしても、ずいぶんと派手な忍者もいたものである。
「私、御影丸旋風。こっちは、双子の兄の疾風ね。私たちん家、代々『職業忍者』として生計を立ててるんだ」
「職業忍者? つまり、プロってわけ?」
自己紹介を返しつつ、タケルは疑問を口にした。
「左様。闇に生き、闇の仕事を請け負うのが御影丸家の忍びたる我らが定め。今後とも、ご要望あればなんなりと。同級生からは、格安料金にてお引き受けいたす」
懐から取り出した一枚の名刺を手渡しながら、濃紺の忍び装束に黒短髪の忍者・疾風が答えた。こちらの彼は、かなり古風で堅苦しい話し方をする男だ。
「忍者のわりに、ぜんぜん忍んでない感じがするなあ。これ、名前も住所もメアドもハッキリ書いちゃってるけど、いいの?」
名刺を受け取ったタケルに、女忍者の旋風が顔を近づけながら口を尖らせた。
「それじゃあ逆に聞くけどさ、どこのだれかもわかんない忍者にどうやってお仕事依頼すんの?」
「え? それは……」
「あはっ。ウチら、お仕事のときはそれなりにちゃーんと忍ぶんで。ご心配なく、タケルくん」
旋風の言葉に、妙に納得させられたタケル。キースやニナも、これから同級生となる忍者の兄妹に興味津々といった様子だった。
「なるほどなー。俺的には、忍者が実在したってことに驚いちまったが」
「それで、プロのニンジャのお二人は、どうして魔法学部に入ったの?」
「それはもちろん、魔法を極めんがための修行にござる。忍術と魔術の二つを併せ持つ最強の『魔導忍者』を我らは目指しておるゆえ」
「ま、疾風はこう言ってるけどさ。私は魔法っておもしろそうだし、なんとなーくついてきちゃった。修行や仕事もいいけど、大学生活もしっかり楽しみたいかな」
「素晴らしい! まさにその通り!」
入学式場で初対面の立ち話を交わす彼らに、新たに声をかける者が現れた。
続く




