第三話 ヨハン、入学式に出る(三)
四月某日、午前九時半。鳴城獅賀大学正門前。本年度入学式を一時間後に控え、司馬武悠と仁和・ローゼンクランツ、そして魔導猫のヨハン・K・シュレディンガーの三人が佇んでいた。
ちなみに、ニナの祖父であり本日の来賓として招かれた魔法学の権威、カール・ローゼンクランツ博士は関係者への挨拶などのため、とっくに学内へと入っている。
「ねえニナ。キースとは、ここで待ち合わせでいいんだっけ?」
「そうよ、ヨハン。この前みたいに、またバイクで来るみたい」
「それにしてもキース、どんな格好で来るのかな。『魔法学部の入学式に相応しい服装』には、いちおう心当たりがあるって言ってたけど――」
「まさか、ぼくらがドイツから来て初めて会ったときみたいに『黒紋付の羽織袴』じゃないよねえ?」
「さすがに、それはないわよ」
などと話していると、大型バイクに跨ったキース・天ヶ宮・ドラゴンボルトが三人の前に現れた。
「よっす! 待たせちまったかな?」
ハーレーから颯爽と降りたったキースの姿に、三人は数秒間言葉を失った。しばらくして、タケルがようやく口を開いた。
「キース、それって――――」
「ああ、わりと似合うだろ?」
キースが着ていた(いや、装備していたというべきか)のは、なんとピッカピカに光輝く白銀のフルプレートアーマーだったのである。頭部を除く全身が完全に金属製の甲冑で覆われており、真紅のマントまで羽織っているその姿は、まぎれもなく「エルフの騎士」だ。そばに控えるハーレーダビッドソンまでもが、まるで鋼鉄の騎馬のように思える。
「キースくん、どうしたの? それ」
「これ俺の父ちゃんが昔、戦場で実際に使ってたヤツなんすけど、母ちゃんが用意してくれて。父ちゃん、マグラドゴアの災厄で、幻想境から転移してきたエルフの聖騎士なもんで」
「聖騎士って?」
「ん-、まあ剣技と魔法の両方に秀でた騎士の上級職ってとこっすね。父ちゃん、けっこう名の知れた歴戦の勇者なんすけど、いまんとこ行方不明っす」
「そ、そう……」
あまりにもさらっとしたキースの説明に、ニナはそれ以上突っ込んでいいものかどうか躊躇してしまった。先日のカール博士とのやり取りを思い出しても、なにやら複雑な事情があるようだし。
「いや、すばらしいよキース! この前の黒紋付もフォーマルでエレガントだったけど、やっぱりキミはこういう戦闘服が似合うね。こうしていると、まるでファンタジーRPGの聖騎士そのものじゃないか!」
「へへ、ありゃとっす」
大興奮して感想を述べるヨハンに、ドヤ顔でポーズを決めるキース。たしかに、エルフ耳の長身イケメンが全身甲冑を着こなしている姿は、ある種の神々しさすら感じられた。
「でもホントにすごいよ、キース。さすがにぼくらも負けたな」
「だけどよ、タケルやニナさんが着てるローブも、なかなかカッコいいじゃん! それ、どうしたんだ?」
「伝手がヨハンにあってね、昨日買ってもらったの。ちゃんとした、ホンモノの魔導師のローブなのよ」
「へー、通販で?」
こうして新入生たちは、しばらくお互いの衣装を称えあっていた。
「そういや教授は、式の衣装は着なくていいんすか? 見たとこ、いつものまんまっすけど」
「ああ、ぼく?」
キースの問いに、ヨハンは自分のほうを指差した。彼が身に着けていたのは、いつもの赤い首輪のみだったからだ。
「いや、ちゃんと用意してあるんだけど、ちょっと気恥ずかしくてさ。なんかさ、散歩のときにムリヤリ服着せられてるペットみたいじゃん」
ヨハンは、動物が人間のように服を着ることには否定的だ。それが妖魔人であっても、種族に即した姿でいることに何かしらの誇りを感じているらしい。
「でも、そのままだとホントにただの猫よ。新入生たちから、魔法学の教授だって信じてもらえるかしら」
「うるさいなあ。入学式が始まる直前に着るからいいの!」
そんな会話を交わしながら、ヨハンたちは入学式式場へと歩みを進めていった。
「ところでさ、魔法学部にはヨハンみたいに講師を務める教授って、何人くらいいるんだっけ?」
開場までしばらく時間があったので、彼らは式場の近くのベンチに腰掛けて休んでいた。そんなときタケルはふと思いついて、ヨハンに話しかけたのだった。
「えーっと。たしか初年度の教授陣は、ぜんぶで五名って言ってたかな」
「五名?」
「うん。この前大学に来たとき、食堂で会ったじゃない」
「ああ、モリソンがツノデビルを逃がして、大騒ぎになったときだよな」
「大変だったわよね。あのときは、先生たちに助けてもらってよかったけど」
「たしか、あの場にいたのが学部長のラドゥー・グリフォス教授でしょ? それからドワーフのグロマス・ホドヨォド教授と、ノームのミクリム・クッペリン教授だったっけ」
「……と、ぼく。あれ? 四人しかいないね。あともう一人は――――」
前肢の指を折りながら、首をかしげるヨハン。そのとき、一人の女性がふらふらと揺れながら近づいてくるのが見えた。
「う、うう…………」
黒いローブを着たその女性は、頭部にフードをかぶっていたため表情をうかがい知ることはできなかった。だがその様子から、かなり体調が悪いようだ。タケルはその女性に、心配そうに声をかけた。
「あの、どうかしました? 大丈夫ですか?」
「ええ、平気。ちょっと昨日、飲みすぎただけだから…………」
そう言いながら、女性はフードを脱いだ。すると長い銀髪がさらさらと流れ落ちるとともに、彼女の顔が露わになった。豊潤な大地のような褐色の肌に、瑞々しさ溢れるピンクの唇。そして――――尖った長い耳。
「ダークエルフ?」
思わずついて出た言葉に、ニナはあわてて口元に手を当てた。
「その呼び方は、好きじゃないわね。私、ただのエルフよ…………」
妖艶な雰囲気を漂わせながら、エルフの女性はニナのほうを向いて言った。その声は、機嫌を悪くしたというより幼子を諭すような口ぶりだった。
「あ、あの、失礼なこと言ってごめんなさい! 私……」
「べつにいいけ――――」
そう言いかけた瞬間、その二日酔いのエルフは豪快に嘔吐した。彼女の足元に、黄色い物体が巻き散らかされる。
「おわっ! ねえ、ちょっと、大丈夫?」
突然のことにびっくりしたヨハンだったが、女性の背後に回り込むと、前肢で彼女の背中を優しくさすった。エルフの女性はハンカチで口元をぬぐいながら、その猫の顔に振り向いて言った。
「あなた…………もしかして、ヨハン・シュレディンガー?」
続く




