第三話 ヨハン、入学式に出る(二)
――――シュッポシュッポシュッポシュポシュポシュポシュポ
ピィーーーーーーーーッ!
「……き、来たっ! ホントに来たぁ!」
鳴城獅賀大学の本年度入学式を当日の朝に控えた、深夜三時過ぎの新青梅街道。目の前に唐突に現れたその巨大な鋼鉄の乗り物の姿に、タケルは大きな叫び声をあげた。
「ん-、めずらしく今日は時間通りだね。ニナは、見るの初めてだっけ?」
「もちろんよ! 話には聞いてたけど、実物はやっぱものすごいわね……」
呆然とするタケルとニナ、そして魔導猫のヨハンの前に出現したのは、濛々とした黒煙とけたたましい汽笛の音を上げる、まぎれもない「蒸気機関車」であった。
シューーーーーーーーッ
その蒸気機関車は白煙を巻き上げ、真夜中の国道に静かに停止した。そのすぐ横を、まばらな数の乗用車が平然と通り過ぎていく。不思議なことに、どうやらこの機関車の存在は一般人の意識にはまったく感づかれていないようだった。
この列車は、存在そのものが秘密とされる謎組織・魔界鉄道株式会社(通称・魔鉄)によって運営されている、魔界と別次元とをつなぐ蒸気機関車である。独自の魔導軌条を引くことで走行し、運行の時間も行先も料金もすべて不定という、極めて使い勝手の悪い交通機関だ(支払う運賃しだいで、ある程度は融通が効くらしい)。魔法の商品を仲介する魔界商人たちは、おもにこの列車を活用して買付や取引に勤しんでいるとのことである。
「ヨハンの旦那、おっひさ~」
「ピーベリー! 悪いね、こんな時間に急に呼び出したりして」
客車の扉を開けて出てきたのは、二本足の白い馬のようなものに跨った少年だった。ヨハンから「ピーベリー」と呼ばれたその少年は、馬から飛び降りるとヨハンを持ち上げて抱擁を交わした。背丈は低く細身で、どう見ても小中学生という感じである。
「なあに、猫旦那の頼みとあっちゃあこれしきのこと。それに、オイラの日本語も披露してみたくってさ。なかなかのモンだろ?」
「うん、かなりの上達だよ! ……やあ、ダグラとバグラも元気そうだね」
そう言いながらヨハンは、ピーベリーが乗っていた「ダグラ」と、そのそばにいた「バグラ」という二頭の馬の顎をやさしくなでた。うれしそうな鳴き声で返事をするその動物は、よく見ると馬ではなくつがいの駝鳥であった。
――――ただし彼らには血肉や羽毛は一切なく、青白い骨格だけであったが。
「やっぱり、『オーメカイドー』じゃなくて『シンオーメ』でよかったんだよな。間違えてなくて助かったぜ、なあ車掌さん!」
ピーベリーは、客車の窓から顔をのぞかせた制服姿の車掌に会釈した。帽子のつばに指をあてて敬礼するその車掌も、全身が白骨でできた骸骨男だった。
目の前で繰り広げられている和気藹々とした、かつ何とも異様な光景に、気後れしてたたずむままのタケルとニナ。そこに、ピーベリーが陽気に挨拶をしてきた。
「よっ、そこのお二人さんが今回のお客さん? オイラ、ボッケラル商会のピーベリー。魔界商人としちゃあまだまだ駆け出しだけど、ヨハンの旦那やカール爺さんにはなにかと世話になってるんで。よろしくな!」
ちなみにカール・ローゼンクランツ博士は、司馬家でとっくに就寝中である。
「ボッケラル商会?」
「業界最大手の魔界商社だよ。武器や魔装具以外にも、とにかくいろんなものを扱ってるんだ」
ヨハンは簡単に、ピーベリーが所属するボッケラル商会の説明をした。同社を牛耳っているのは大蝦蟇蛙の頭取、ボッケラル。いつもピーベリーら手下をこき使って金儲けに勤しんでいる、比類なき守銭奴にして悪名高い金の亡者だ。
魔界と幻想境(近年ではこの現世界も)を股にかけ、さまざまな商取引をするボッケラル商会は、頭取の薄汚い商魂はともかく取り扱う商品は一級とされている。
「よ、よろしく……」
「よろしくね……ピーベリー、くん?」
「なんだ、あんたたち『ハルビット』は見たことないのかい?」
二人の反応を見て、ピーベリーが怪訝そうな表情をする。
「ハルビットって?」
タケルの疑問に、ヨハンが答える。
「おなじ妖魔人でも、エルフやドワーフなんかの種族に比べると、ほとんどなじみが薄いかもね。ピーベリーはこう見えて、立派に成人してるんだよねえ?」
「そうさ。ハルビットはみんな小っこくて、手先が器用で身軽なヤツが多いからな。鍵師や罠外しを生業にしてるのが多いけど、オイラは特別、商材の目利きや金勘定が得意だからさ」
「で、今夜は急ぎってこともあって、ぼくの昔なじみの魔界商人・ピーベリーに魔導師の衣装を発注したってわけ。なにしろ、明日の朝までに『魔法学部に相応しい服装』を用意しなきゃなんないんだから」
「そうそう。さっそくだけどさ、ヨハンの旦那。適当に見繕ってきたから、選んでくんねえか?」
そう言ってピーベリーは、バグラの背に乗せていた荷物の中から商品を取り出した。それは、素人でさえひと目見ただけで一級品とわかる、魔導師のローブであった。
「これが魔導師のローブ? すっごくかっこいいな!」
「素敵な手触りね! 色味も縫製も見事じゃないの!」
さっそく、嬉々としてローブに袖を通したタケルとニナ。それはまるで受注生産のように、二人の身体にジャストフィットしていた。
「だろう? なんたって、ヴィスキス・ヴィフランの最新モデルだぜ! こう言っちゃなんだけど、『新参』クラスの魔導師にはもったいない代物さ」
ピーベリーは、現在魔界で名を馳せている売れっ子魔装具デザイナーの名を挙げて胸を張った。
「どうだい? お二人さん。もしそれでよければ――――」
(でもさ、こんなのお高いんじゃないの? 大丈夫かな)
(そうよ。私たち、こんな高級品なんて手が出ないわよ)
(いいのいいの。これは、ぼくから二人への入学祝いさ)
値段を心配する二人にそっとささやくと、ヨハンは魔界商人に向かって告げた。
「オーケー、ピーベリー。これにするよ」
「毎度! ヨハンの旦那。即決してくれるのが気持ちいいぜ」
「それで、支払いなんだけどさ――――」
「ああ。いつものように、物々交換で頼むな」
「物々交換?」
「そうさ。オイラたちボッケラル商会では、すべての商取引は現金じゃなく物々交換なんだ。頭取が、貨幣の価値をまったく信用してねえんだよな」
「じゃあピーベリー、これでお願い」
ヨハンは、家から持ってきていた紙袋をピーベリーに手渡した。
「旦那! こ、これ――――」
ピーベリーは、袋の中を見て驚愕の表情を浮かべた。彼が手にしたのは、もう四十年以上も前に発売されたゲームソフトのカートリッジ数十本だった。
「すっげえ! どれも、京宝堂の名作タイトルばかりじゃん! これなんてイマドキ、闇オークションでもぜってえ手に入んねえよ! い、いいのかい? 猫旦那!」
「いいんだ。レトロゲー好きのキミに譲るよ。ローブのお代に足りるかな?」
「足りるなんてもんじゃねえ! ありがとよ、ヨハンの旦那。ぜひ、これからもご贔屓に!」
そう言い残して、ピーベリーは機関車に乗り込んだ。蒸気機関車は、ふたたび汽笛と黒煙を上げると、暗闇へと消えていった。その跡には二本の魔導軌条だけが残されていたが、それもしばらくすると消えていった。
「ねえヨハン、さっきのゲームソフトだけど……」
「ああ、もうさんざん遊びつくしちゃったからさ。ピーベリーは最近ああいうのにハマって、日本語も覚えちゃうくらいだって聞いてたからね。ま、ちょうどよかったよ」
ヨハンは、欠伸交じりにそう言った。タケルとニナは顔を見合わせながら、少しだけ苦笑いを浮かべた。
「さ、帰ろっか」
少しずつ、東の空が白みはじめていた。あともう数時間で、入学式だ。
続く




