第三話 ヨハン、入学式に出る(一)
「アー、ごめんください」
鳴城獅賀大学魔法学部の今年度入学式を、翌日に控えたその午後。司馬家の玄関に一人の来訪者があった。
「どうもこんにちは、奥様。ワタクシ、こういう者です」
白い髭を蓄えた、七十代と思しきその外国人の紳士は非常に背が高く、出迎えたイトおばあちゃんは天空を見上げるようにしながら、差し出された名刺を受け取った。彼は高級そうなスーツを優雅に着こなし、洒落た蝶ネクタイなど結んでいる。
「薔薇冠 迦歩……? あのう、これはなんとお読みするんでしょうかねえ?」
「オー、これは誠に失礼。ワタクシ、カール・ローゼンクランツと申します。この漢字、ワタクシの日本人の娘に考えてもらいました。ちなみに、『迦歩』というのは『めぐり会うために歩く』という意味です」
「はいはい。そうでしたか、ローゼンクランツさん。ようこそお越しくださいました。お孫さんのニナさんとネコちゃんなら、中にいらっしゃいますよ」
イトおばあちゃんがそう言って家の奥を指したとき、ヨハンとニナが顔をのぞかせた。
「カール!」
「おじいちゃん!」
「オー、ヨハン、ニナ!」
三人は玄関先で抱き合い、異国での三ヶ月ぶりの再会を喜んだ。
「な、なあタケル。あの人が……?」
「うん、カール・ローゼンクランツ博士だよ。――カール博士!」
ちょうどそのとき、司馬家に遊びに来ていたキースは、タケルからその名を聞いて思わず背筋が伸びた。「魔法」という言わば荒唐無稽な絵空事を、生命科学の分野において長年研究し、今や世界的にその名を知られるカール・ローゼンクランツ博士。その成果は多岐にわたり、鳴城獅賀大学の魔法学部設立も彼の協力なしでは到底実現できなかったであろう。
「やあタケル、ひさしぶりだね! もう十年も会ってないが、元気そうでなによりだ。これから、ニナとヨハンがお世話になりますよ。ご両親は?」
「本当におひさしぶりです、カール博士。今は父と母は出かけていまして、夜までには帰ると思います。今晩はこちらに泊まって、明日の入学式に出席されるんですよね?」
「うん、そのつもりですよ。それから、そちらのエルフの青年は――」
「はっ、はじめまして! 僕は」
「キース君。キース・天ヶ宮・ドラゴンボルト君、ですね」
「えっ? どうして俺、いや僕の名を?」
初対面の相手に自分の名前を呼ばれたことに、キースは大いに驚いた。
「あなたのことはよく知っています。もちろん、お父上のこともね」
「そうなんですか! 今、俺の父ちゃんは……」
「ふむ。時が来れば、語ることもあるでしょう」
そう言って、片目を閉じたカール博士。キースも、それ以上なにも聞かなかった。そんなやり取りを、そばにいたヨハンたちは不思議そうに見ていた。
「まあまあ。玄関で立ち話もなんですから、みなさん中へどうぞ」
イトおばあちゃんに促され、みな客間へと入っていった。
「そうそう。ちょうど、みんなに見せたいものがあるんですよ!」
「えっ、なに? ひょっとして、おみやげ?」
「ふふふ……ほら、これ! 見てください、このスナック菓子!」
「?」
「僕とおんなじ名前の、日本のお菓子だよ! 僕、見つけたとき感動しちゃってさあ。しかもすっごく美味しいんだこれ。チーズ味とカレー味。食べてみる?」
タケルやキースにとってはごくありふれたコーンスナックの袋をパーティー開けして、うれしそうに勧めてくるカール博士。口髭にスナックの粉をまぶしながら、彼はムシャムシャと頬張った。それにつけても、こんなおやつで大喜びするとは、年の割にずいぶんとお茶目な博士である。
「でもこれ、もう東京では売ってないんだってね。ここに来る前に空港の売店で買ったんだけど、もっと仕入れとけばよかったよ」
「ねえ、おじいちゃん。もしかして、これがおみやげなの?」
そんな孫娘の不満そうな声に、カール博士は悠然と首を振った。そして、手荷物の中から箱のようなものを二つ出し、テーブルに置いた。
「タケル君、そしてキース君。このたびは、魔法学部への入学おめでとう! これから魔導師を目指す君たちに、僕からこれを贈ります」
タケルとキースは箱を開け、中に入っていたものを見てしばらく絶句した。
「ああこれ、魔導師の指揮棒だね、カール」
「そのとおり、ヨハン。一年前に、ニナに渡したものと同じ魔導杖なんだよ」
いままでに見てきた魔導師は、その多くがこうした指揮棒を手にしている。先日の学生食堂での騒ぎのときにも、熟練魔導師の教授たちがこれを使っていたことを二人は思い出していた。
「あのう、カール博士。どうして魔法使いは、こういうタクトや杖を使うんですか?」
「うむ。いい質問だ、タケル。一説には、魔法をかける対象を明確に指し示すことで、術式の成功率を上昇させるためであると。もしくは魔力を込めた魔導杖を手にすることで精神を落ち着かせ、一点に集中させるためとも言われるが――――」
カール博士が突如として始めた魔法の講義に、テーブルにいた全員が思わず真剣に聞き入った。
「――――ぶっちゃけると、魔法使いがなにか手に持っとらんと絵的に締まらんでしょ? まあ、歌手が舞台で使うマイクみたいなもんですかな」
そこまで聞いて、全員がズッコケた。このカール博士の話は、いったいどこまで本気なのか。
「ぼくは魔法を使うときでも、なにも持たないけどね。なるべく初心者は使った方がいいと思うよ」
ヨハンが言うように、彼は魔法使用時でも素手である。まあ、猫だし。
「じゃあ、別にこういう指揮棒じゃなくてもいいってこと?」
「そうだね。自分の身に慣れ親しんだものであれば、ほぼなんでもよろしい。はじめはこの指揮棒を使ってみて、魔法が身についてきたら別のものに変えてもいいでしょう」
「カール博士、ありがとうございます。ぼく、大事に使わせてもらいます!」
「お、俺も! なんかこれ握ってると、これから魔法使いになる実感が湧いてきたっていうか」
ともあれ、タケルとキースはこれからの学園生活の「相棒」を手に入れ、ご満悦といった様子だった。
「で、私へのおみやげは?」
「ところで、諸君。入学式だが――――」
そして、司馬家の夕食時。タケルの母親の佳織も帰宅したので(父親はまだ帰ってこなかった)、キースも共にしたささやかなカール博士歓迎会となった。
「はい! 楽しみですね、博士」
「どんな服装にするかは、もう決めているんだろうね?」
「服装? どういうこと、おじいちゃん」
「おや、入学要項を見ていないのかい?」
カール博士は、そう言いながら入学要項のパンフレットを見せた。
《なお新入生の服装は、完全に各自の自由とする。ただし、魔法学部の学生としてもっとも相応しいと考える服装で出席すること》
「魔法学部に相応しい服装って?」
「ねえ、これ知ってた? キース」
「いや、知らねえ。どうすんだ?」
想定もしていなかった事態に、あわて戸惑う三人。ヨハンは、ドリンクを傾けながら平然と宣う。
「まあ、入学式までにじっくり考えれば?」
「じっくりって、入学式はもう明日だよ!」
続く




