第二話 ヨハン、大学に行く(七)
「くっ……くあっ!」
一本角による猛突進をまともに食らったキースは、右手を押さえながらその場に倒れこんだ。顔面は見る見るうちに蒼白になり、もはや息も絶えだえだ。
一方、ツノデビルのほうはといえば、持ち前のジャンプ力とスピードであっという間に調理場から逃げ去ってしまった。
「キースっ! ……ど、どうしよう?」
あわててキースの元へ駆け寄ったヨハン。想定していなかった事態に、どうしたらいいかわからなくなってしまっていた。するとそんな彼の元に、突如しわくちゃな手がそっと差し伸べられたのだった。
「――ふむ、これは『麻痺毒』じゃな」
その声は先ほどの重低音とは異なり、優しく包み込むような穏やかな口調である。ヨハンが振り向いたそこにいたのは、灰色のローブを着込んだ小さな老人だった。
「麻痺毒?」
「そうじゃ。こういうのは、専門家のワシにまかせなさい、若いの」
ヨハンは、この妙に落ち着き払ったスキンヘッドの老人を、不思議そうに見つめていた。どうやら見た目の特徴から、妖魔人の一種である「ドワーフ」の魔導師らしいということはわかったのだが。
「んー、まあ、これがよろしかろうて」
腰回りにずらっと装着していた薬瓶の中から一本を選び出すと、キースが受けた傷痕にそっと液体を塗り込んだ。そして軽い呪文の詠唱ののち、こう囁いたのである。
「解毒魔法」
「――――あ、あれ? どうしたんだ俺?」
「キース! 大丈夫?」
すぐに目を覚ましたキースに、安心して声をかけるヨハン。老魔導師のすばやく的確な治療魔法に、彼は何かを思いついたように言った。
「……あの、あなたはもしかして?」
「ドワーフのグロマス、じゃ。お前さんと同じく、魔法学部の教授じゃよ」
グロマスと名乗ったその老人は、長い長い白髭を得意げにしごきながらにっこりと笑った。
「モリソン! そっち行ったよ!」
「ニナさん? は、はわワワっ!」
食堂に駆け戻ってきたニナは、ペットキャリーを抱えたまま立ち尽くしているモリソンに注意を促した。調理室から飛び出してきたツノデビルは、また檻の中に閉じ込められてはかなわんと思ったか、モリソンを大ジャンプで飛び越えた。
「キィーッ!」
「WOW! ワタシのアタマを踏み台に?」
「やだっ、このままだと出てっちゃうわ!」
あれだけのスピードと攻撃力を持ったモンスターだ。食堂の外に脱出されてしまうと、捕獲はかなり困難になる。ニナは懐から指揮棒を取り出したが、はたしてこんな時、いったいどんな魔法を使えばいいのだろうか。瞬速魔法? どこへ飛んでいくかもわかんないし。火球魔法? 食堂が大火事になっちゃうかも。
「大丈夫ですよ、私がやりますので」
「えっ? だれ?」
いつの間にか、ニナのそばには一人の少女が立っていた。少女? こんな大学の食堂に? その背丈は、どう見ても小学校低学年くらい。だが、その大きく丸い耳を持つ妖魔人に、ニナは見覚えがあった。これは……そう。「ノーム」と呼ばれる小柄な種族特有の耳だ。
「――魅惑魔法!」
ノームの少女は、自分のタクトを振るってツノデビルに魔法をかけた。すると、大きな真ん丸単眼が一瞬にして巨大なハートマークに覆われる。
「キッキー♡」
「この魔法は?」
「コレは『魅惑魔法』デスネ。幻覚を見せて、対象を意のママに操るベリベリ高度な魔法デース! 知能が高い相手にシカ効果ナイので、YO注意デス!」
ニナに向かって、少女のかけた魔法の解説をするモリソン。魅惑魔法の力によりふらふらになったツノデビルの様子を確認しつつ、少女は二人のほうを振り向いて丁寧にお辞儀をした。
「はじめまして。私はミクリム・クッペリン。ノームの熟練魔導師で、この大学に赴任してきました。よろしくお願いいたします!」
自己紹介をするミクリムの小さな口元から、仔リスのようなかわいらしい前歯がのぞいた。
「ニナ! モリソン!」
「ヨハン! キースも大丈夫?」
「ああニナさん、なんともねっす。それより、アイツをとっとと捕まえねえと」
「そうだね、キース」
調理場から食堂に戻ってきたヨハンとキースは、ツノデビルのほうに駆け寄ろうとした。
「――――不用意に近づいてはならん」
「え?」
先ほどと同じ重低音の声が、ヨハンに警告を発した。
「魔力を持つモンスターを捕獲する際は、まずその自由を完全に奪うこと。基本中の基本だ」
「あなたは……さっきの?」
気がつくと、ヨハンのそばにタクトを手にした男性が立っていた。高身長でがっちりとした体格で、漆黒のローブを着こなすその姿はまるで英国紳士のように思えた。そして、なによりも尖ったその長い耳――まごうことなきハイエルフの魔導師である。
「――――呪縛魔法ッ!」
その魔法が発せられると、ツノデビルの元に魔法陣が出現した。そしてツノデビルはその魔法陣の上で、直立不動の状態になってしまったのである。
「――――キ・キ・キ・キ――――」
「檻を」
「ハ、ハイッ!」
モリソンがペットキャリーを手渡すと、ふたたび男性はタクトを振るった。するとツノデビルは掃除機に吸い込まれるゴミのように、瞬く間に檻の中に収納されるのだった。
「OH! アッというマニ……。スゴい魔法デス!」
モリソンはペットキャリーを抱きかかえるようにして、世話になった新しい学友たちと三人の魔導師に、何度も何度も頭を下げた。そして彼女は、たくさんのポタルンと一匹のツノデビルとともに、妖魔生物の飼育施設へと向かったのだった。
「それにしても、詰めが甘いな君は」
「……はあっ?」
「修練を積みたまえ、ヨハン・K・シュレディンガー」
その男性魔導師は表情を変えることなく、タクトを懐にしまうと、食堂を去っていった。
「なんだい、いまの。偉そうにさ!」
「ホホ、それじゃあの、若いの」
「ヨハン教授、また入学式で!」
その後に、グロマス教授やミクリム教授が続いた。
「ヨハン! みんなも無事だったんだね。……あ、あの人って――」
その時、魔法学部の事務室へ連絡していたタケルが戻ってきた。事務室は事態収拾のため、学内にいた魔法学部の教授陣を呼び寄せていたのである。
タケルは、食堂の扉を通り過ぎていった黒いローブの男性魔導師の姿をしばらく見送っていた。
「タケル、いまの人、知ってるの?」
「ラドゥー・グリフォス教授だよ、ヨハン。専門は魔法呪術学。魔法学部の学部長なんだって」
「ラドゥー・グリフォス? うーん、どっかで聞いたことある気がする名前だけど……学部長だったのか」
そしてタケルのそばから、愛工室長が顔をのぞかせた。彼は食堂を見回すと、眉ひとつ動かさずにこう言った。
「あ、ヨハン教授。申し訳ありませんが、食堂と調理場の後片付け、お願いいたします」
ヨハンはツノデビルがさんざんに暴れ回った食堂の有り様を見て、大きなため息をついた。
「Oh , mein Gott !」
第三話に続く




