第二話 ヨハン、大学に行く(三)
ププーーッ!
事務手続きを済ませて、魔法学部の校舎を出た三人の前に、派手なクラクションを鳴らしつつ一台の大型オートバイが滑り込んできた。
「キース?」
「タケル! 何だよ。朝から大学に行くんなら、俺も誘ってくれればいいのによ」
それは、キースの運転するアメリカンバイクであった。心地よい重低音を響かせながら黒い光沢を滲ませるそのマシンは、ダブルの革ジャンを着込んだ長身の彼によく似合う。
「いちおう、携帯にメールは送ったんだけど。寝てたんじゃないの?」
「そだっけ? お前ん家行ったら、もうみんな大学に出かけたっていうからさ」
キースはそう言いながら、後方に長い脚を振ってバイクから降りた。フルフェイスだとエルフ耳が収まりきらないらしく、彼はハーフキャップタイプのヘルメットにゴーグルを装着していた。
「やあキース、またずいぶんと派手なのに乗ってるね! これ、ハーレーダビッドソンでしょ?」
「ども、ヨハン教授、おはようっす。まあ中古なんすけどね」
「でもすごいわよね。ひょっとしてキースくん家って、かなりお金持ち?」
「いや、べつに金持ちってわけじゃ……。ちょっと家が古くてデカいだけっすよ、ニナさん」
キースは謙遜しているが、中古のハーレーとはいえ、排気量千CCを超えるこのクラスになると数百万円。天ヶ宮家がかなりの素封家であることは間違いない。
「それにしても、アメリカンバイクもカッコイイよねえ! ぼくもいつか乗ってみたいよ」
羨望の眼差しでバイクを眺めるヨハンを、タケルとニナは怪訝な表情で見つめていた。この小さな猫の身体でハーレーを運転するためには、いったいいくつのハードルを越えねばならないのだろう? 仮に、魔法でハンドルやブレーキ、クラッチにギアペダルまでをすべて操作するとして、それだとそもそもバイクにまたがっている意味はあるのか。
「いっすね。バイクはサイコーっすよ、ヨハン教授!」
「うん! 一緒にツーリングで風になろう、キース!」
「風になるのもいいけどさ、そろそろお腹空かない?」
盛り上がる二人に、タケルは見かねて声をかけた。事務室での手続きにわりと時間がかかり、気がつけばすでに正午を回っていたからだ。
「そうね。お昼ごはん、学内で食べられるのかしら?」
ニナの言葉に、タケルは携帯を取り出して調べてみた。今のところ大学は春休み中であったが、どうやら部活動などを行う学生向けの食堂が一つだけ営業しているようだった。
「じゃあ、そこでいっか。俺、バイク置いてくるから、先行っといて」
ひとまず、駐車場にハーレーを停めにいったキースと別れ、ヨハンたちは食堂へと向かった。
「ここが、鳴城獅賀大学の学生食堂かー。広くてキレイだね!」
食堂に入るなり、ヨハンは驚きの声を上げた。先ほどの魔法学部の校舎とはうって変わって、近代的で清潔感にあふれた建物だった。
「ヨハン見て、こっちにはメニューのサンプルも並んでるわよ」
「うわー、どれも美味しそう。まるでレストランじゃないか!」
目を丸くするヨハンに、タケルはあきれて言った。
「大げさだなあ。ドイツの大学にだって、学生食堂くらいあるでしょ?」
「ああ、Mensaね」
「メンザ?」
「あるにはあるんだけど……。正直、味のほうは――――」
腕を組み、顔をしかめながら数秒間考え込んだ後、ヨハンは静かにつぶやいた。
「――――まあ、慣れたけど」
「ヨハンったら。そこまででもないでしょ?」
「いいや、ニナ。ぼくは東京を、世界的にも有数の『食の都』として評価しているのさ」
「食の都?」
「そう。日本人は、伝統美にあふれていてかつ健康的な『和食』を持っているだけでなく、世界中の食べ物を日本食に魔改造する技術に長けているんだよ」
「そうなの?」
「そうかなあ」
「東京は、最高の『食』が集まる魅惑の街なんだ。そして、そんなぼくが来日して最初に挑戦する日本食は――――」
「よっ、お待たせ。もう、何にするか決めた?」
ちょうどその時、キースが三人に合流してきた。ヨハンは食券の販売機にコインを入れ、点灯したボタンのひとつを押しながら言った。
「――――これっ! 『カツ丼』!」ピッ
券売機の排出口から、食券がペラっと落ちてきた。
「おばちゃーん、カツ丼一丁、よろしく!」
「はいはーい」
注文の声を聞いて振り向いた調理担当のおばちゃんは、そこにいた顔を見てギョッとした表情を浮かべた。タケルら学生たちに交じって、一匹の猫が二本足で直立したまま、配膳用のトレイを持って並んでいたからである。
「食券はここでいい?」
困惑するおばちゃんに、もう一人のおばちゃんが耳打ちをした。今年から開設される魔法学部には、いろんな教授や学生たちがいるから心して対応するように、と大学からお達しがあったのである。
「……はい、いいですよ。ちょっと待っててね」
おばちゃんは気を取り直して手早くカツ丼を作ると、ヨハンの持っているトレイに静かに器を置いた。ヨハンはまるで宝物を手に入れたかのように、カツ丼を頭の上に掲げながら、ウキウキとテーブルまで運んでいった。
「美味しそうね、ヨハン」
自分の定食と全員分の麦茶を持ってきたニナは、そう言いながら同じテーブルについた。ヨハンは割り箸を器用に割ると、両前肢で合掌しながら高らかに言った。
「さ、食べよー! いただきまーす!」
続く