第4話 獣の時間
コースト戦線から僅かに離れた場所にある天幕。
その中で獣人種側の指揮官であるカリギュラを一つの問題が悩ませていた。
全身が体毛に覆われ、人型。尻尾も生えている。
彼女の目先のテーブルには一つの回転式拳銃が置かれていた。
これは殺した吸血種から奪い取った品物だ。突如として吸血種が使用し始め、恐るべき勢いで前線を後退させられた忌々しい兵器。
他にも奪い拾ってきた回転式拳銃が幾つかあったが、分解しようとすると崩れてしまい、完璧に形が残るのがカリギュラの元にあるこの一つと、本国に送った一つしかなくなってしまった。
「全く、どういうカラクリだ」
吸血種は優れた文明を持つが、このような兵器を作る方向には発達していなかったはずだ。鉄鋼と機構に彩られたその様は地精種や機構種を感じさせる。
しかし地精種の領土は吸血種の領土から遠く離れ、最短の距離で向かうとしても森精種の国を通る必要が出てきてしまう。山脈を越える可能性も考慮すれば巨人種の支配地域も通るか。
少なくとも、この兵器の制作者は地精種ではない。
かといって機構種の可能性はほぼ無い。機構種はまず自身の支配地域から出ようととはしない。それでいて機構種は獣人種たちが住む大陸の北側に存在する新大陸に生息している。
まず関わることすら難しい。
だとするとどこの勢力が吸血種にこの知恵を与えたのか。
『分解すると自壊を始める』という兵器に込められた仕込みからして、元素や因果を操る種族がその背後にいると考えてよい。地理的に考えるのならば森精種か精霊種のどちらか。
しかし彼らが鉄鋼を好むとは考えづらい。
では吸血種が製作したのか。
「吸血種め。何をした」
どう考えてみても吸血種の文化体系の外にある兵器。
それが当然が如く何百という数用意され、兵士に支給されている現象。
不気味、としか言いようがない。
確実に吸血種は何かをしている。しかしその正体の尻尾すらつかめない。何かが背後で蠢いていると確信できる、できてしまう、それだけで何も分からないのだから、えもいえぬ焦燥感が身を駆り立てる。
形容しがたい不安感。
とてつもない何かが、首筋に迫ってきているというのに正体が掴めぬ閉塞感。
「面倒な……」
この兵器さえなければコースト戦線は押しきれていた。長きに渡り獣人種が欲したコースト平野を手中に収めることができていたはず。
あと少し。
あと少しというところで前線を数か月前の場所まで戻された。
この責任。
この重すぎる責任は現場指揮権のほとんどを任されているカリギュラに重くのしかかる。
「リャコブ……」
カリギュラが静かに部下の名を呼ぶ。
それだけでも、五感に鋭い獣人種は正確に言葉を聞き取って駆けつける。
「何ですか!」
快活な声色で部下のリャコブが答える。
尻尾をふりふりと回して、小さく八重歯が覗かせていた。
カリギュラはそんなリャコブの方には一切視線を向けず、テーブルの上に置かれた忌々しい兵器を見ている。
「この兵器を森精種に解析してもらうよう上に連絡しておいてくれ、森精種ならば分解せずとも内部機構についての詳細な情報が得られるはずだ。それと、吸血種の裏で動く奴について触れておいてくれ」
「分かったっす!」
森精種は『祈祷』という特異な力を持っている。
その奇跡を使えば回転式拳銃の内部を分解せずとも写し見ることができる。獣人種と森精種の仲は険悪ではないので、国内に数人の森精種が滞在している。
その者達に解析を頼めば良い結果が得られるだろう。
当然、森精種がこの兵器の開発者であった場合は、また反応も異なるだろうが。
しかし森精種が吸血種を支援し、獣人種を貶めたい理由がこれといって思い浮かばないのが現状なので、恐らく違うだろう。
これでよい結果が帰ってくればいいが、とカリギュラはため息を吐きながら立ち上がる。そして軽く体を伸ばすと天幕の外へと向かった。
「どこへ行かれるつもりですかっ!」
「私が現場に出る。責任は自らの身体でもってのみ償える」
現場の統括指揮官であるカリギュラがいなくなれば指揮系統に混乱が生じる。しかし獣人種の文化の体質は体育会系に大きく傾いているので、こうした行為が広く認められる。
「お供します!」
「リャコブには仕事を頼んだだろう? 私はそう急がない。ミスなきよう、滞りなく行え」
「分かったっす!」
「それでいい」
走り去っていくリャコブの後ろ姿を少し見て、カリギュラは視線を別の方向に変えた。
天幕のすぐ傍にある木だ。
巨木というわけではないが、それなりに成長した質の良い木材。
これは単なる準備体操。
カリギュラは何もないところで手首をスナップさせるように振った。
すると弾けるような音が響き、遥か遠くにあった木が真っ二つに破裂する。
回転式拳銃では絶対に殺すことのできぬ獣人種の突起戦力。彼ら、彼女らは時に山を砕き、大地を割り、空間を破裂させる。
カリギュラ。
彼女こそがその一人だった。
「まあまあだな」
久しぶりの実戦とあって体が鈍っている。
だが関係ない。
この鈍りは実践の中で慣らしていけばいい。戦うと決めたその時からすでに、退避や訓練といった言葉は頭の中にない。たとえ体が鈍っていようとも、傷ついていようとも、戦うと、そう決意した瞬間から行動は決まっている。
カリギュラは一つ前に踏み出し、コースト戦線へと向かう。