第1話 戦争の時間
歴史は勝者によって紡がれる。
太古より争いが続く大陸。様々な種族が現れ、その度に滅ぼされ、稀に生き残る。滅んだ文明の数は計り知れず、生き残ったものは僅かのみ。
現在、大陸は12の種族と、それらが治める12の国家によって分けられていた。
森精種や機構種、龍精種に……。エトセトラ――。
長き争いの中で熾烈な競争を生き抜いてきた種族。彼らは時に摂理を操り、概念を移し替えた。強大な力を持つ12の種族。彼らの足元に転がる屍の数は計り知れない。
その一つ。
人類種。
彼らには、魔力もない。翼もない。鋼の肉体も、神の恩寵も、ましてや永劫の命も。
何もかもを持たずしてこの大陸に生まれ落ちた。
本来ならば意味も無く淘汰され、歴史のシミにすらならず消えていくか弱き種族。
しかしそれでも、彼らは生きていた。
虐げられ、搾取され、それでもなお、ただ存在していた。
この世界の誰もが知っている。
人類種とは、最も脆く、最も卑小で、最も敗北に慣れた種族であると。
しかしそれを、
「終わり」とは誰も言っていない。少なくとも人類はまだ認めていない。
これは、敗者の物語。
あるいは、始まりの物語。
「戦争の時間です」
男は雄弁に語る。
手を広げ、仰々しくも理想を望む。
◆
□カーン王国 首都カリエンテ
「眉唾ものではあったが、まさか『これ』が戦況を変えるとはな」
吸血種が治めるカーン王国が首都カリエンテにて、宰相を勤め上げるペレイカという女性の吸血種が、目先のテーブルに置かれた一つの《《回転式拳銃》》を見つめていた。
無言のうちに、ペレイカは片手を伸ばす。古木を削り出したかのような握把に指を絡めると、掌に馴染むよう施された細やかな溝彫りが、まるで意思を持つかの如く手のひらを誘い込む。冷えた金属の感触が皮膚を伝う。僅かに揺れる室内灯の下で、銃口の鈍い光沢が静かに煌めいた。
銃口部分にもう片方の手を添え、ゆっくりと銃身を持ち上げる。重厚な質量が指先に沈み込むように伝わり、ペレイカの腕をわずかに震わせた。吸血種の力をもってすれば回転式拳銃の重量は重さを感じないほどに軽いはず。
果たして、指先に食い込むこの重量感・重厚感はこの武器が持つ功罪の重みを表しているのか。
ペレイカは掌に伝わる重さを確かに感じながら、無言で天井から吊された光源へと銃口を向け、その意匠を丹念に確かめる。粗野でありながら、余分が極限にまで削ぎ落とされた武器。工芸というには無骨にすぎ、殺戮器具と呼ぶにはあまりに完成されていた。
構造は単純明快にして精緻、目的に一寸の曇りもない。
器用なことを考える。
ペレイカは感嘆のため息を漏らした。
「何度見ても……素晴らしい出来だ」
両の手に収められた回転式拳銃を見つめながら、ペレイカは静かに呟いた。それはこの世界に存在するあらゆる種族にとって、おそらく《《初めて目にするであろう武器》》。数十日前、武器商人と名乗る男がこの武器を売りに来た。
彼は厚手の服を羽織り、仮面を付けていた。
吸血種と同程度の背丈。その佇まいから、巨人種や龍精種といった巨大な種族ではないことはすぐに分かった。仮にそれらの種であれば、そもそも応接の間に立ち入ることすらできない。
案外、吸血種と同程度の背丈の種族というのは多い。それでいて吸血種は優れた五感しか持たず、完全に匂いを消されてしまえば男が同属であるのかすらも見抜けない
背丈で判断しようとすれば、森精種や獣人種、それに吸血種だって、彼の背丈だけを見れば該当する。
商談に際し、試すように話を振った。吸血種しか知り得ぬことや独自の言語、獣人種には理解し得ぬ知識、森精種の禁忌についても触れてみたが、いずれの問いにも、男は一片の動揺も見せず、誤りも混ぜず、完璧な応答を返してみせた。
吸血種には優れた五感があるものの仮面の下に秘められた顔を盗み見るような真似はできないし、うまく体臭も消されていたので同属かを見分けるのすらも不可能だった。すべての質問に答え、罠を交わし、男は見事に回転式拳銃を売りつけた。
「この小ささで、獣人種を葬るだけの殺傷能力を秘めているとは……本当に、驚かされる」
そもそも最初は、ただの興味本位だった。
面白い男が、面白い武器を持ち込んできたから、それならば買ってやろう、たったそれだけの理由だった。
あの武器商人は、商談の場において自ら実演してみせた。
地精種製の堅牢な戦鎧を回転式拳銃で軽々と撃ち抜き、さらに吸血種の防具までも、難なく貫通させた。
高速で発射される鉄塊、あるいは鉛の弾丸。
当初ペレイカには、それがどれほど実戦的な破壊力を持つのか、いまひとつ理解できなかった。
だが、仮面一つでこちらを完全に欺き切った用意周到さ、あらゆる質問に対しての淀みなき受け答え、そして思わず聞き入ってしまうほどの話術の巧みさ。
気づけば、ペレイカその男に惹かれていたのだ。
面白いから買ってやろう。
それに意外なことに、価格も手頃だった。
そうしてペレイカは、百挺という数を即決で購入した。
とはいえ、倉庫に積んでおけばただの鉄の塊。
殺すための道具であるのならば、使うに相応しい場所がある。
ペレイカはそのうち三十挺を首都に残し、残り七十挺を最前線——コースト戦線へと送り出した。
そこは今まさに、獣人種との熾烈な戦いが繰り広げられている、血と火の最前域である。今は血液や腐肉によって焦土となってしまったが、コースト戦線がある場所は、元は美しき自然で彩られた豊かな大地であった。
今となってはその面影はなく、血で血を洗う戦場へと姿を変えている。
獣人種は種として何一つとして特別な力を持たない。森精種が持つ『祈祷』や巨人種が有する『概念』など、何一つとして特異な力を持たず、ただ強靭な身体を持つばかりである。
ただシンプルゆえ、その力は厄介。
山を砕き、地平を割り、あまつさえ空間を割るほどに隔絶した純然なる暴力。
吸血種は『吸血』という力を持つが、戦時の獣人種相手ではあまり力を持たない。だからこそ単純な身体能力での戦いとなる。吸血種といえど高い身体能力を有する。
しかし相手が獣人種では太刀打ちの仕様がない。
それゆえ、コースト戦線の状況は日に日に不利な状況へと転落している。
「まさか、こんな小さなものが」
テーブルの上に置かれた弾丸を手に取る。
指先に感じるのは、ただの小さな鉄塊。それが、あの強靭な獣人種を容易く撃ち砕くなど、誰が想像できただろうか。
吸血種であれば、たとえ弾丸に穴だらけにされても、脳を撃ち抜かれたとしても、時間さえかければ再生は可能だ。さすがに跡形も無くスプラッタされてしまうとその限りではないのだが、原型さえ留めていれば吸血種は再生可能。
だが、獣人種はそうではない。
腕や胴を撃ち抜いても、あの連中にとってはかすり傷程度のもの。だが、脳天に命中すれば話は別だ。たとえ強靭な皮膚と分厚い頭蓋骨に阻まれ、弾丸が途中でせき止められたとしても脳天を僅かにでも抉れれば、その瞬間に獣人種は絶命する。
獣人種は吸血種よりも遥かに強靭な肉体を持つが、再生能力では劣る。たとえ貫けなくとも、たとえ一発で絶命させることができなくとも、脳天に命中させるだけで十分な効果があった。
足が止まり、動けなくなり、そうなれば回転式拳銃を使わずとも吸血種の力だけで事足りる。
もっとも、この回転式拳銃は弾道が安定せず、まっすぐ飛ばない時がある。
だが、そこにこそ吸血種の身体能力を活かせばどうとでもなる欠点だった。
目にも止まらぬ速度で走る獣人の頭蓋を、僅かなブレをも読んで撃ち抜く。熟練した使い手ともなればたったの一人で複数の獣人種を撃ち殺すことも夢物語ではない。
実際、目まぐるしく移り変わる戦況の中で吸血種の小隊が――地の利はあったものの――数で上回る獣人種に打ち勝ったという話もペレイカのところまで上がってきている。
そもそも、山を砕き、地平を割り、空間すら歪めるような獣人種はそう多く存在しない。
大多数は、下っ端。雑兵だ。
その彼らを、確実に、手早く殺せるだけで十分だった。
かつてのペレイカは、回転式拳銃の真価を理解していなかった。
たとえ弾丸に脳を撃たれても死なない、という、吸血種の立場からしか物事を見れていなかったためだ。
しかし今は違う。
この小さな弾丸が放たれる先には、確かに死がある。破壊がある。戦局を変える力があった。
(それにしても……用意周到だな)
ペレイカが回転式拳銃の細部まで確認するために分解しようとすると、まるで砂のような粒状になって勝手に自壊していく。
これは回転式拳銃に込められた仕掛けの一つだ。
一定の基準を越えて分解をしようとすると、回転式拳銃は勝手に崩れて行く。
恐らく、内部構造を理解されることによって模倣し、量産が可能となってしまえば商売が上がらないからだろう。わざわざこのような面倒な仕掛けまであの武器商人は技術が奪われることを危惧している。
ただ、ペレイカとしてはあまり気にしていない。
そもそも一つ一つが高価ではない使い捨ての品ということが関係している。洗練された構造をしているが、作り自体は粗雑そのもの。弾丸を撃ち出した時の衝撃で少し使えば壊れてしまうことぐらいすぐに分かる。ゆえに使い捨ての品。その点あってあまり高価ではないのだろう。
そしてもし分解ができたとして、このような難しい構造を持つ回転式拳銃を量産するためにはいくらの資金と資材を投入しなければならないのか。その辺の費用を考えた時、武器商人から買った方が安くつくとペレイカは計算していた。
同時に、もし仲間が回転式拳銃を持ったまま戦場で命を落とした場合、獣人種に盗まれる可能性がある。本来であれば分解され、技術を学習されてしまう。
しかしこの点において回転式拳銃に施された仕掛けというのが上手く作用する。
分解しようとして勝手に自壊してしまえば技術も盗めない。この点においても回転式拳銃に仕掛けられたこの機能は吸血種に有利に働いていた。
ただ、もし学習されたとして、回転式拳銃は吸血種にとっての天敵になり得ない、という純然たる事実が転がっているのだが。
「機械……機構……地精種か? いや、機構種も考えられる……難しいな。一体あの男は何なのだ」
しかしこのような難しい仕掛けを小さな回転式拳銃に込めるのは難しい。
製造の分野となるとやはり地精種だろうが、このような発明は聞いたことがないし、このような仕掛けがあると噂でも聞いたことがない。だとしたら、思いつくのは機構種だが、彼らが吸血種とわざわざ商談する意味が思い浮かばない。
「難しいな……」
そう呟いたペレイカの口元には確かに笑みが零れていた。
今、自分が相手している男。
彼の素性を暴きたくなるのは彼女の性ゆえ仕方なきもの。
彼女が口元に笑みを浮かべたちょうどその時、扉がノックされた。
「入ってこい」
呼ぶと扉を開けて入って来たのはペレイカの部下だった。
部下は発言が許可されるとすぐに用件を述べる。
「武器商人が来ました」
「そういえば今日だったか。すぐに準備する。応接の間に通しておけ」
「はッ!」
部下が部屋からすぐに立ち去る。
ペレイカは一人残された部屋で椅子に座りながら下を向いて、喜びを隠しきれぬ歪な笑みを浮かべ「キキキ」という笑い声を小さく響かせずにはいられなかった。