さぁ云え! 絶対に涙なんて流してやらない!
3日……3ヵ月……3年。
付き合い始めて3が付く記念日は、別れるという話を聞いたことは無かろうか?
まぁ、聞いたことが有ろうとも無かろうとも、そんな事はどちらでもよい。知って欲しいのは、私が直樹と付き合い始めて、今日でちょうど3年が経ったという事実だ。
6月30日、梅雨真っただ中、今日も外は雨が降っている。
停滞しているのは、前線なのか、それとも私たちの関係なのか。……いゃ、その両方だな。
そんな事を考えながら、私は、安アパートの壁にもたれかかる。
6畳一間のボロアパート。
私の目に映るのは、光が差し込む腰高窓と、一組の敷布団。
部屋の中央に敷かれた布団は、掛布団がはぎ取られ大の字に寝ている大男の姿があらわとなっている。
因みに、この大男が私の彼氏、直樹だ。
時計の針は朝8時を指す。
通常であれば、そろそろ起きても良い頃だが、仕事の疲れが残っているのだろう。起きる気配すら、微塵も感じられ無い。
もし、彼の疲れの元が仕事ではなく、昨晩私との営みであれば、私も言う事は無い。しかし、残念な事に昨晩は何もなかった。
……いゃ、最近いつ体を重ねたのかすらも思い出せない。
私は、4つん這いになりながら、布団で寝ている彼の顔元まで近づく。
そして、頬っぺたをツンツン突いてみる。
おーい、私ピチピチの23歳なんですけど。直樹だって、まだ27でしょ。フニャフニャになる歳でも無いでしょう。
そんな事を考えながら、私は直樹の顔を覗き込んだ。
すると、ゆっくりとだが、直樹の瞼が開き始める。
「あぁ……お・は・よ。涼子……」
寝ぼけ眼の直樹は、自分の場所を確認するかのように、私に挨拶をする。
「はい、おはよう直樹。今日もすがすがしい雨だよ」
「…………すがすがしい、雨? すがすがしいの後に続く言葉は朝じゃないのか?」
まだ頭がぼやけているはずなのに、中々の回転力だ。
「だって、すがすがしかろうが、すがすがしく無かろうが、雨なんだからしょうがないでしょ」
「……ゴメン。起きたてだからか、涼子の云っている意味がサッパリ分からん」
「じゃっ、起きて、歯を磨いて顔を洗って。ついでに心も洗って、シャキっとしてらっしゃい」
「……安心しろ。俺の心はいつも抗菌仕様だ。洗わなくても常にキレイだ」
「そんな訳ないでしょ。いつも汚染されているじゃない。それに百歩譲って、抗菌仕様だったとしても、雑菌でコーティングされてんだから、それはもう同じでしょ。直樹の心は汚染されているのよ」
そんな『何時もの』『通常の』『日常の』下らないやり取りが、私の部屋に響き渡る。
顔を洗い終えた直樹は、昨日買ってきた菓子パンを手に取ると袋を開ける。
そして、パンを口に咥えると、雨粒がカンカンと当たる窓を眺める。
「……そういえばさ、涼子……今日って何の日か覚えているか?」
ふっ、まさか直樹の口からそんな言葉が出て来るとは、思いもよらなかったわ。
そう、3年。私達が付き合い始めて、今日で丸3年。
色々あったけど、冷めきったこの関係。今日でお別れなのね。
直樹は最近、この部屋に来ることも少なくなった。それは『知ってた』『感じていた』。
昨晩家に来たときは、私も少し心が躍った。
……でも。
いいわ、大丈夫。私は何を言われても大丈夫。
雨を降らせるのは、窓の外だけで十分。
私はね、『心も』『涙腺も』雨を降らせるつもりなど微塵も無いの。
さっ、言ってちょうだい。私は、その全てを受け止める。受けきって見せる!
私は拳を握りしめ、覚悟を決めた。
「――そっか。直樹も今日が何の日か覚えていたんだ……」
私は、一生懸命笑顔を作る。
「そうよ、今日で3年。私達が付き合い始めてちょうど3年よ」
「……なんだ、覚えていたのか」
「覚えているわよ」
私の言葉に、直樹はバツの悪そうな顔を作る。
「実はさ、俺、最近考える様になったんだよ」
「……なにを?」
「その……俺たちの関係をさ」
「……そうね。最近、直樹忙しそうだしね。もう3ヵ月は私の部屋に来ていないのよ」
本当……この3カ月、何処の女の部屋に行っていたのかしら。
知りたいけれど、聞きたくない。
なんか、この思考自体が負け女みたいで嫌だわ……。
「……そうか、俺は、もう3ヵ月もこの部屋に来ていなかったのか……」
「そうなのよ。……で、私たちの関係をどうしたいの?」
「あぁ、悪い。話が止まってしまったな。ちょっと、水のんでくるよ」
そう告げると、直樹は台所へと立ち上がる。
まっ、分かるわ。
別れを切り出すのって、告白するのと同じくらい勇気がいるものね。
でも大丈夫よ。私はちゃんと別れてあげる。
別にストーカーになるつもりも無いし、未練はその内ちゃんと精算する。
だから『ちゃんと』『はっきりと』『しっかりと』言いなさい。
私には、『もう興味が無い』って……ね。
「悪いな。話の途中で席立っちゃって」
口元から、水が滴った状態で、直樹が私の顔を見る。
水くらい、ちゃんと拭いてもらいたいわ。
「いいわよ。それで、何かしら? 大丈夫よ。私は、何を言われても絶対に取り乱したりしないから。心の整理は付いている。大きな声を上げもしないし、貴方にすがったりもしない」
「……そっ、そうか……じゃぁ、ハッキリと言うな」
直樹が大きく息を吸った。
「もう、こんな関係はやめにしよう!」
サッパリとした意見だ。
清々しい。
「……分かった。今日で貴方と別れてあげる」
「うん。今日で、俺はお前の彼氏を卒業だ」
そう話すと、彼は私と最後の握手を求めて来た。
私は、笑いながら、その手を受け止める。
ゴリ!
…………ん?
なんか手の平に、固いものが当たる。
私は、直樹と握手している手を離すと、その掌の中には、小さな物体が取り残されている。
……これは……何?
左手でその物体をつまみ上げる。すると、それは見たことのない石だった。
楕円形をしており、赤、青、緑と様々な光を放つ、そんな奇麗な石だ。
これは、何かの景品?
……いや、違う。
よく見ると、石には、銀色の金具がついている。
そう、私は、キレイな石が付いた指輪を握らされていたのだ。
「あっ、こ……これは、もしかしてオパール? 私の誕生石? えっ、でもなんで?」
私は動揺から、言葉が上手く紡ぎだせない。
しかし、彼の顔は笑顔で、とても幸せそうな顔をしている。
「そう、これは君の誕生石。もしよかったら、今日で、俺の彼女をやめて、俺の妻になってはもらえないだろうか」
「ちょっ、えっ、あっ」
私の瞳から、雫がこぼれた。
1つ、また1つと――。
「今までの関係は今日で終わりにして、今後は俺との関係を夫婦という関係にしたいんだけど、いいかな?」
「ばっばっばっ、バカぁぁああああ!!」
私は彼の胸に飛び込んで、ボロボロと泣いた。
「なんで、なんで、最近、冷たかったのよ」
「すまん、その……指輪買うのに、ちょっと無理した……どうしても、お前の誕生石買いたくて……。ゴメン」
「バカバカバカバカバカ。うぅぅぅうう」
「おぃ、取り乱さないって、さっき約束しなかったか?」
「……してない……」
「いゃ、心の整理が着いているって。だから、俺は安心して指輪を渡せたんだが、もしかして、結婚は嫌だったか?」
「嫌な訳……ないでしょ!」
私は、再び直樹を抱きしめると、甘いキスを求めた。
私は、心にも、瞳にも雨を降らせないと言ったばかりだったが、その約束は果たせなかった。
あまりの嬉しさで、『心』と『瞳』には、大雨が降ってしまった……。
本作品を手に取っていただき、ありがとうございます。
もし楽しんで頂けたのであれば幸いです。
さて、今週は予告の通り、鋼鉄の舞姫はお休みとさせて頂きます。
鋭意製作しておりますので、次週をお楽しみにしていてください。