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懐かしき日々

 魔族の国。

 そこでは王を支えるのはほぼすべて軍人。

 だが、権力の中心にある軍人は目の前の戦いに勝つための算段をすることには非常に熱心であったのだが、それ以外のことにはあまり注意を払うことはなかった。

 特に戦功は地位を除けばすべて金や銀によって報いられ、自らの領地というものを持っていなかったこともあり、地味で面倒なうえに功績を挙げる機会もない内政に対する感心はほとんどなかったと言ってもよかった。

 純粋な魔族より数段階劣る地位に置かれていた人間種と呼ばれる人間の血が入りその特徴を色濃く現した者たちに内政を担う文官の仕事を丸投げしていたのもそのためだった。


 そうは言っても劣等種と蔑む人間種に余計な力を与えるほど彼らも愚かではない。

 権力のすぐ近くにいる文官と言っても、本来あるべきそれにふさわしい権限などはなく、その仕事も王たちに命じられたことをやるだけのものであり、報酬も純粋な魔族が主な職業とする軍人どころか他の仕事に就く人間種の平均より少ないといういわゆる薄給のなかの薄給。

 そうなれば当然それなりの者しか集まらず、結果もそれに相応しいものとなる。

 そういうわけで、魔族の国では長い間文官とは「無能」と同義語とされていた。


 今から約二十年前、掃きだめのようなその場所にグワラニーは加わった。

 当時はまだ三十三歳、人間換算でいえば十一歳から十二歳の年齢である。

 もちろんグワラニーを雇い入れた側はその少年を気が利く小僧程度にしか考えていなかったのだが、当時すでに驚くべき知識を持ついわゆる神童として知られていたその少年の噂は伊達ではなかった。

 元は将来を嘱望されたエリート官僚であり、その知識と経験を失うことなく、そこにあらたにこの世界の知識を吸収したのだから当然といえば当然のことではあるのだが、グワラニーはすぐに頭角を現す。

 グワラニーを雇い入れた直接の上司が少年に抜き去られるまで要した日数はわずか百日。

 その後も順調に昇進を続けたグラワニーは十三年後には、質はともかく数だけは不必要なくらいに揃っており、その頂上に辿り着くまでには無限に思えるくらいの階段が昇らなければならない文官のなかで半分ほどの序列になっていた。

 これは硬直した年功序列社会である文官組織としては驚くべき昇進スピードだといえる。

 もっとも、グワラニー本人によれば「実力第一主義の魔族の世界では珍しくコネと賄賂がよく利く文官組織でなければこの半分の時間でここまで来られた」ということになるのだが。


 それからもうひとつ。

 グワラニーがその飛びぬけた才に相応しいとは言い難い収入しか得られぬ文官という職業を選んだのは、安全な場所に居ながら「元の世界に戻るための方法に繋がる情報」を効率よく収集するという明確な目的があったからなのだが、その目的はこの頃になりようやく実現し始める。

 そして、その目的においてこれまでの最大の成果となるものは、交易交渉中にその相手がほぼ確実に元の世界と行き来しているという証拠を手に入れたことであろう。

 だが、その者とは魔法の使い手。

 そのうえ交渉においても相当なやり手であるため、安易に帰還の話を持ちだしても彼の望みが叶う保証はない。


 ……それどころか取り返しがつかない事態になる可能性の方が高い。


 ……そうであれば……。


 ……どうせ相手は逃げない。

 ……機会は必ず来る。

 ……それまでは相手の様子をじっくり観察することにしよう。

 ……弱みなり、つけ込む隙なりを見つけるために。


 自らの素性を隠したうえ相手を放置しているグワラニーにはそのような思惑があった。


 そんなある日グワラニーは王宮への呼び出しを受ける。

 それは国内経済の停滞についての報告書を偶然目にし、その完璧な出来に興味を持った当時の摂政、つまり現在の王からのものだった。

 やってきたグワラニーに、これ以上放置できないくらいにまで荒れ切った内政の立て直しを、摂政の地位と次期帝位、そして失敗した場合には死罪という重い責任とともに突然王から押しつけられていたその男が尋ねる。


「忌憚なく答えよ。おまえが関わる部分においてこの国がまず改善すべきものは何か?」


 摂政、そしてその上にいる王、同席する将軍たちに気に入ってもらうよう無難なことを言う。

 そうでなければ特にないと流す。


 それがグワラニーとともにやってきた上司たちの予想だった。

 だが、グワラニーが口にしたのは彼らの考えがまったく及ばない場所にあるものだった。


 新貨幣の鋳造。


 それが、グワラニーが口にしたすべての言葉となる。

 当然それだけではその意味がまったくわからない出席した者たちは更なる説明するように要求する。

 それに対してグワラニーはこう答えた。


「銅貨千枚で銀貨一枚、銀貨百枚で金貨一枚という交換価値を変える必要はありませんが、なにしろそれはあまりにも持ち運びが不便です。銅貨を、できれば銀貨もさらにいくつかの種類に分けこの問題を解決すべきだと考えます」


「……つまりどういうことだ?」


 眉間に皺をさらに増やした将軍のひとりからやってきた問いにグワラニーが答える。


「銅貨を例にすれば、現在の銅貨はそのまま残しますが、大きさや形、それに穴を開けるなどしてひと目でわかるようにして、銅貨五枚分の価値を持つ五銅貨、同じように十銅貨、五十銅貨、百銅貨、五百銅貨をつくる。これによって、たとえば九百九十九枚の銅貨を持つ必要があったものが僅か十五枚で用が済むことになります。さらに銀貨一枚を銅貨に換える場合では、これまでは千枚もの銅貨を必要だったものが、五百銅貨二枚で済みます。これは銅貨を使用する者たちに大きな利便性を与えることができますが、貨幣をつくる側にとっても時間、経費双方において大きな利を得ることができます」


 もちろん貨幣の価値が材質と重さによるものというのが世の理のひとつであるこの世界に住む魔族たちにそのような発想などあるはずがなく、突然提示されたグワラニーのその言葉に一同大いに驚く。


 ……まあ、どうせこいつらごときの頭では理解などできるはずはない。


 驚愕を顔一杯に表した面々を上目遣いで眺めたグワラニーは表情を隠したまま、音のない言葉でそう呟く。

 もちろん軽蔑の香りをたっぷりと載せて。

 だが、グワラニーのその読みは見事にはずれる。


「……言い分はわかった。だが、それにはいくつか問題があるように思うのだが」


 一瞬の間ののち、口を開き、その言葉を口にしたのは摂政を務めるあの男だった。


 ……ほう。


 グラワニーは心のなかで感嘆の声を上げた。


 ……何の準備もなしに聞いたにもかかわらず、即座にそこに気づくとはこいつは単なるいくさ馬鹿ではないようだな。

 ……いや。たいしたものだと言ったほうがいい。


 もちろんグワラニーも気づいていた。

 男が口にしようとしているその問題点を。


 ……だが、そうであっても両者を天秤にかけてみれば、やはりメリットの方が圧倒的にある。

 ……それに、その問題点に対応する策もさほど難しくない。

 ……おそらくこいつならそこもわかっているだろう。

 ……ただし、これは大きな改革だ。

 ……さて、どう判断するか。

 ……これができるかできないかでこいつの度量がわかるというものだ。

 ……まあ、メリットを理解し、デメリットにその気づくまでがこの男の限界であり、それをおこなうところまでは辿り着かないだろうな。

 ……いや。その前にこいつがそれだけの権限があるかどうかという問題もある。

 ……なにしろこいつは形ばかりの摂政。すべてを決める王ではないのだから。


 グワラニーは恭しく振舞う裏側で冷たくそう断定する。


 ……そして、すべてを決める王とは権力を弄ぶこと以外には何にも興味を示さないという噂のあの無能。


 ……ないな。


 それがグワラニーの予想だった。


 だが、その予想は再びはずれる。

 頷きながら、グワラニーが語る問題に対する対応策のすべてを聞き終えたその男が口を開いた。


「悪くない」


 つまり、摂政の男の答えは是。

 男は即座にそれを進めるように決め、動く。

 こうして、新貨幣の鋳造はその一瞬の出来事から始まったのだが、もちろん結果は素晴らしいものとなり、これによってグワラニーの昇進のスピードはさらに上がる。


 そして……。

 

 公式には、「突然現れた勇者の活躍と、それに乗じて結ばれた人間たちの国の同盟と大攻勢の情報に接し、滅びの恐怖から精神を病んだこと」が原因とされる王の突然の死。


 もちろん一国の王のものとは思えぬくらいに不名誉極まるそれが公式のものということは、本当の死因がどのようなものかは推して知るべしともいえる五年後に突然起こった王の交代。


 そして、五十日に及ぶ即位の儀式がすべて終わった直後、あたらしい王の指名によってグワラニーはついに文官のトップとなり、辣腕を振るうことになった。


 ……肩書上はまだ十人ほどの上司はいる。

 ……だが、すべてが報酬をもらうだけが仕事のような地位。

 ……私がわざわざ相手にするような者たちではない。


 ……とりあえずは第一段階完了と言ったところか。


 完璧ともいえる言葉と態度で王に忠誠を誓いながらグワラニーは心の中で呟く。


 ……次の目標……。いや。その前にまずは有能な副官になりそうな者を見つけることにするか。


 人事権を手にし、高みから年上の部下たちの仕事ぶりを密かに眺め、その人選を進めていたグワラニーだったが、すぐには決まらないという予想に反し、驚くほど早くその候補者が見つかる。


 アントゥール・バイアという名のその男は事務能力がずば抜けて優れているうえに視野が広く、さらに上司に忖度しない。

 まさにグワラニーが理想とする者だった。


 ……この男の才は私にそう引けを取らない。

 ……いや。この男にはこの世界だけの知識と経験しかないのだから、ある意味私よりも上ともいえる。

 ……そして、なによりも彼からは私と同じ匂いがする。

 ……もちろん、その用心深いその言動にはそれを感じさせるものはどこにもない。

 ……だが、私にはわかる。

 ……能力主義と言いながら、生まれ出た種族がなにかということがすべての場所で優先されるという現在の体制に対する不満。

 ……それから、剣を振り回すことだけですべてを解決させようという将軍たちではこの難局は乗り切れない。もちろんそれによって滅びるのは彼らだけならそれでも構わないがこの体制ではそこには確実に自分たちも含まれる。そうであれば他人に頼るのではなく、自分の手で現状を打破したいという強い欲望。


 ……この男は役に立つ。


 グワラニーのその見立て。

 それが間違っていなかったことはすぐに証明される。


 なにしろグワラニーがその男を自らの直属として引き寄せると、その組織は瞬く間に「文官」の名にふさわしい能力と力を持った集団につくりかえられたのだから。

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