アルヴィレイス・キリア伯爵
ごぼごぼと湯に沈んでいった男は、次の瞬間がばっと湯から顔を出した。
びしょびしょである。
びしょ濡れではあるものの、高級そうな服をきた身なりのいい男だ。
年齢は、二十代半ばか後半といったところだろうか。
水も滴るいい男という言葉があるが、その言葉どおりやけに華やかな顔面をした男だった。
癖のある長い赤毛に、長い睫。翡翠色の瞳。
フィアナが彼をただの風呂場に置いてある飾りの石像だと勘違いしたのは、彼のその華やかさや立派な体つきのせいでもある。
石像になっても派手な男は、石化がとけると更に派手。
石像は色がない分若干地味に見えたのだなぁと、マユラは感心した。
共同浴場などに飾られている石像は、大抵が立派な体躯の男性像か、豊満な女性像と決まっている。
芸術家たちはあえて貧相な体をした者を石像にしたりしない。
──これはマユラが芸術に明るくないから知らないだけかもしれないが。
少なくともマユラが見たことのある限りでは、石像とは見目麗しい立派なものを形作るものだ。
「死ぬかと思った!」
「ご無事でなによりです」
『誰だ、お前は』
「うおおっ! 猫のぬいぐるみがしゃべったぞ!?」
再び男が腰を抜かして風呂の中に沈みそうになるので、マユラは「落ち着いてください、猫のぬいぐるみとは喋るものなのです!」と、横暴な理論を振りかざした。
あまり目の前でばしゃばしゃされると、マユラの服も濡れてしまう。
今も若干危うい。
「そ、そうか、猫のぬいぐるみとはしゃべるものだったような気が、するような、しないような」
「ともかく、このままでは濡れてしまいますので、お風呂から出ましょう」
「待ってくれ、美しいお嬢さん。君に助けてもらった喜びを、今ここで君と分かち合いたい。ちょっと抱きしめさせてくれないか?」
「え、遠慮します……」
『元石像男に愛を囁かれるとは、なかなかお前も隅に置けない』
「師匠、今、すごく小馬鹿にしていますね、さては」
マユラはざばざば浴槽から出た。背後をびしょ濡れの男性もついてくる。
足をふいて靴をはき外に出る。男も外に出てきた。びしょ濡れのままである。
「お客さん、あんまり濡れたままうろうろされると困るよ」
「それは失礼。先程まで風呂場で石化していたものだから」
「あぁ、風呂場の石像……! ありがとうね、あんた……」
「マユラです」
「マユラちゃん。正直ちょっと不気味だったんだよ」
困り顔で近づいてきたイネスが言う。
確かに、突然風呂場に見ず知らずの石像が現れたら不気味だろう。
「ところで、ご婦人。僕はアルヴィレイス・キリアという」
「アルヴィレイス……? どっかで聞いたような気がするけど」
「あぁ! 昨日レオナードさんが言っていましたね。このあたりの土地の領主は、アルヴィレイス伯爵だって。もしかしてアルヴィレイス伯爵、ご本人ですか?」
「あぁ、そのアルヴィレイスだ」
『昨今の伯爵は風呂場で石化するのが趣味なのか?』
「何か事情があるんですよ、師匠」
レオナードの言葉を思いだして、マユラはぺこりとお辞儀をした。
びしょ濡れだが、相手は貴族だ。挨拶は大切である。
「私はマユラ・グルクリムともうします」
『お前、まだ言うのか、それを』
「マユラ・グルクリム錬金術店の店主なのですから、マユラ・レイクフィアではおかしいですよね」
『……全く、お前という女は』
師匠がぶつぶつ言っている。グルクリムを名乗ることについてはさほど怒っていない様子なので、まぁいいかとマユラは心の中で納得した。
「伯爵……伯爵って、お貴族様の………!? も、申し訳ありません」
「あぁ、まぁ、ご婦人。そう気にするな。このあたり一体の領主とはいえ、ただの田舎貴族なのだから。いつも通りで結構。ただ、服やら体を拭く布などを貸してくれるとありがたい」
驚くイネスに、アルヴィレイスは気軽に笑って手を振った。
イネスはすぐに、体を拭くための布と、新しい着替えを用意してやってきた。
着替えは、白シャツや下着や黒いトラウザーズなど、宿の忘れ物らしい。
何年か分とってあるとイネスは言う。アルヴィレイスが着れそうなものを見繕ってきてくれたようだった。
「じゃあ、着替えさせてもらおう。でも、さすがにここではまずいか。僕の体に恥ずかしい場所など一つもないが、ご婦人方には目の毒だからね」
『なんだこの男は、頭が茹だったのか、湯に浸かりすぎて』
「自分に自信があるということは、大変素晴らしいですよ、師匠。師匠も自信しかないじゃないですか」
『当然だ』
「見習いたいですね。ええと、あの、キリア伯爵」
「アルヴィレイスと呼んでくれ、僕の恩人の美しいお嬢さん」
「マユラです」
「可憐なマユラ」
『……殴れ、マユラ。新しく作った杖で突き刺せ、許可する』
「許可されましても……ええと、では、アルヴィレイス様。私の部屋に案内しますね」
「大胆なお嬢さんだ。もちろん、大歓迎だよ」
『殺せ』
どうやら師匠の嫌いなタイプの男性らしい。
今までで一番殺意が高い師匠を抱え、マユラはアルヴィレイスを部屋に案内した。
部屋に入った途端に抱きつこうとしてくるので、華麗な身のこなしで避けた。
マユラは強くなっている。軍隊蜂も倒せたぐらいだ。アルヴィレイスぐらい避けられる。
「お嬢さん、恥ずかしがらなくてもいいんだよ」
「アルヴィレイス様、案内をしたのは着替えのためですよ。それから、どうしてお風呂場で石化していたのか尋ねるためです。私と師匠は、わけあってクイーンビーの討伐にきたのですが、仲間が二人石化をしてしまいまして」
『つかえない男が二人、今も森で間抜け面で固まっている』
余計なことを言う師匠の体を、マユラは両手でぎゅうぎゅうと絞った。
先程風呂場で少し濡れたため、師匠の体から水滴がぽたぽた落ちた。




