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ひとまずの逃亡



 森の中から逃げ出すと、万が一に備えて森の入り口で待っていてくれたイヌがすぐに駆け寄ってきてくれる。


「わふ!」

「イヌさん! ごめんなさい、乗せてください、一端村に戻ります!」


 レオナードやユリシーズがいないことにイヌはすぐに気づいたようだった。

 一瞬ピンと耳をたてて森の奥に視線を向ける。

 そして、背を低くしてマユラを乗せてくれた。


 背後から、軍隊蜂が押し寄せてくるブンブンという音が近づいてくる。

 それよりも速くイヌは風のように駆ける。マユラは振り落とされないように、イヌにしっかり捕まった。

 腕の中で軍隊蜂の死骸と共にぎゅっとされている師匠が『非常に不愉快だ』と呟いた。


 村に戻ったマユラはイヌから降りると、「はー」っと、息を吐き出した。

 

「レオナードさんとお兄様を見捨ててきてしまいました」

『仕方ない。お前にはクイーンビーに勝てるほどの力はない。あのまま全員石化したら、全滅するだけだ』


 それにしても、と、師匠はイヌの上にちょこんと乗ったまま、腕を組んだ。


『お前の兄だが。どう考えてもクイーンビーより強いだろう、あれは。レオナードもだが。あれは兄を守ろうとしていた故、仕方あるまい。兄の体たらくは、一体なんなんだ』

「そういえば、そうかもですね。スキュラを怖がって、リヴァイアサンに負けそうになっていたことといい、お兄様には案外弱点が多くあるのかもしれません」

『まさか……自ら望んで、クイーンビーの夢の中に堕ちたのではあるまいな』

「楽しい夢ですよね?」


 マユラはイヌと共に宿に戻りながら、首を傾げる。

 村人たちが、マユラが抱えている軍隊蜂の死骸を見て、ぎょっとした顔をしている。


『お前も吸っていただろう、煙を』

「はい。見ましたよ、一瞬」

『一瞬、だと? 己の欲望や、願望が見せる夢だ。一瞬で終わるわけがないだろう』

「一瞬でしたよ」

『何を見たんだ』

「美味しそうなお菓子とか、照り焼きチキンとか、揚げ鳥とか、ともかく、ご馳走が浮かんでは消え、浮かんでは消え」

『……お前。残念さが底知れないな。食欲しかないのか、お前には。どうりで平然と男と風呂に入ると思えば。慎みは食欲と共に消えたのだな』

「すごく悪口です」


 悪口に構っている場合ではない。

 マユラは宿の中に入り、イネスに「すみません」と話しかけた。イネスは驚きに目を見開いて、マユラの元に駆け寄ってくる。


「あんた、その軍隊蜂! 森の魔物を倒したのかい?」

「いえ、その、兄とレオナードさんが石化をしてしまいまして。でも、石化除去薬の素材を手に入れてきましたので、錬金術師さんがいた家を教えて欲しいのです。錬金釜をお借りしたくて」

「あぁ、それは大変だ。すぐに案内するよ。でも、大丈夫なのかい? お嬢さん一人で。村の衛兵に一緒に行ってもらえるように声をかけようか?」

「それには及びません。兄もレオナードさんの石化がとければ、問題ないかなと思います。それにほら、お風呂場の石像も。石化がとけたら、事情を聞きますね。手伝ってもらえるかもしれませんし」


 イネスはマユラを、村の片隅にある小さな家に案内してくれた。

 そこには少し前まで、錬金術師が住んでいたのだという。今はもう空き家になっている。

 扉を開くと、元々店だったのだろうとわかる作りになっていた。


 カウンターがあり、商品棚がある。その奥には、錬成部屋がある。

 からの錬金釜に、テーブルにソファ。マユラの家より(というよりも師匠の家より)錬成部屋は小さく、錬金釜も小さい。


 マユラたちを案内すると、イネスは「好きに使っていいよ。誰も寄り付かない空き家なんだ。空き家の主人には、あたしから伝えておくよ」と言って帰っていった。


『小さな村の錬金術師の設備とは、この程度のものよな』

「師匠の錬金釜は立派なのですね」

『当然だ』

「師匠はずっとあの家で暮らしていたのですか?」

『私の昔話など聞いている暇があるのか?』

「教えてくれてもいいのに」


 イヌに入り口で待っていてもらって、マユラは錬金釜の前までやってくる。

 そういえば釜は空っぽだ。とりあえず、釜を水で満たさないといけない。


 兄とレオナードには申し訳なかったが、少し待っていてもらおう。石化は、命の危険はない。

 そしてクイーンビーの石化は、外部からの攻撃では傷がつかないぐらいに体が硬化する。ある意味、安全ではある。


 マユラは共同井戸に水を汲みにいき、錬金釜の中を水で満たした。

 それから、手を釜にかざして魔力を注ぐ。


 はじめて魔力を注いだ時と同じく、釜の中の水が波打って、虹色に輝いた。

 その輝きがおさまると、錬金釜は錬成に使用できるようになるのだ。


『やはり、お前は錬金術は得意なのだな』

「お褒めに預かり光栄です。魔法も得意だったらよかったのですけれど」

『私のように、双方が得意な完璧な魔導師などはそうそういないものだ』

「尊敬です」

『敬うがいい』


 マユラはテーブルの上に置いてある軍隊蜂の死骸二匹をじっと見つめる。

 それから徐にナイフを取り出すと、毒針と毒袋を取り出すために人間の赤子ぐらいの大きさの蜂に刃を突き立てた。


 気持ちが悪い、などとは言っていられない。

 肉や魚を捌くようなものだ。

 蜂ではなく魚だと思えば──。


「うぅ……やっぱり蜂ですね、蜂は蜂です」

『泣き言を言うな。この程度のことで』

「それはそうなのですけれど……」


 蜂の尻から毒針を、そして内部から毒針に繋がっている毒袋を取り出す。

 毒針は、縫い物用の針の形に似ているが、長く鋭い。


 そこから血管に似た器官で毒袋が繋がっている。 

 毒袋は柔らかい皮に包まれた、ぷにぷにとした塊だ。袋を破くと毒が溢れてくるので、慎重に扱う必要がある。


「よし。上手にとれました。さぁ、石化除去薬を作ってしまいましょう」


 マユラは、毒針と毒袋を錬金釜の中にちゃぽんと入れた。




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― 新着の感想 ―
MVPはイヌさん! 『慎みは食欲と共に消えた』いいですね 小説の題名になりそう
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