夢の中へ
◇
王都の東、海の上に建築された海洋都市に新しい家を建てた。
新婚ということで、別宅ぐらいは必要だろうと考えたわけである。
マユラには、申し訳ないことをしてしまった。
レイクフィアの家長である父に、幼いユリシーズは逆らえなかった。
逆らえなかったというよりは──父の言は正しいと、考えたのだ。
目の中に入れても痛くないぐらいに可愛い妹を邪険に扱うことに心は痛んだが、それはマユラのためだと信じていた。
もちろん──マユラを物理的に傷つけることだけはしなかった。
まかり間違って誰かがそうしないように、細心の注意を払ってはいたものの。
本当はでろでろに甘やかして、ぐちゃぐちゃに可愛がりたかったのだが、それはマユラのためにならないと自分を律して、律して──そしてマユラはオルソンに嫁いだ。
それが最善であると考えていたのだが、今は違う。
今は、天才にして至高の魔導師である自分がマユラを幸せにするのが、一番よい方法であるとユリシーズは確信している。
他の男になど任せられない。任せたくない。
幸いにしてマユラもユリシーズの想いにこたえてくれた。
両親や弟や妹には伝えないまま式をあげ、新婚旅行のために作らせた屋敷で今は蜜月の最中。
きっとマユラは優秀な子をうんでくれるだろう。
なによりも魔力の濃さを大切にするレイクフィア家は、ユリシーズがマユラと共につくった優秀な子を連れて帰れば、もちろん二人のことを祝福するはずだ。
両親も弟妹も本当はマユラを構いたくて構いたくてそわそわしていたことを、ユリシーズは知っている。
だから、隠しているのである。奪われてたまるか、と思う。
「お兄様、待っていました。すごく、寂しかったです」
「あぁ、マユラ。待たせたな」
湯浴みをすませて戻れば、海の見える寝室の、プルメリアの花が散らされたベッドの上にしどけなく寝ころんだマユラがユリシーズを呼んだ。
潤んだ瞳に、染まった頬。恥ずかし気に寄る眉。
そして、白いベビードールを着た、美しい体。
どこをどう切り取っても愛らしい、死ぬほど可愛い妹が、うっとりとユリシーズを見つめていた。
「もう、私は兄ではない。お前の夫だ、マユラ」
「はい、お兄様……ではなくて、ユリシーズ様、ですね。ごめんなさい、なんだか慣れなくて、恥ずかしくて……」
あぁ──駄目だ。
可愛い。世界一可愛い。この可愛さは、罪だろう。
ユリシーズは、これがクイーンビーの幻覚だと薄々気付いてはいたが、このまま一生この夢の中にいたいな、と思った。
だって──妹が死ぬほど可愛い。
◇
レオナードは、広い家の片隅に隠れていた。
いくつもの部屋に通じている扉が整然と並んでいるグレイス家は、小さなレオナードにとってはおそろしい場所だった。
「部屋から出るなといったでしょう! 顔を見せないで、私の可愛いナルシェルに近づかないで! 呪われた子、呪いの子!」
「……ごめんなさい」
どうにも自分は間が悪いらしい。
部屋の中でじっとしているのに耐え切れなくなって外に出ると、いつもきまって義母にみつかってしまう。
義母はレオナードを心底嫌っていた。
今よりもっと幼い頃は理解できなかったが、物心ついてからは、嫌われているのだなと漠然と考えるようになっていた。
どうやら自分は呪われているらしい。
どこが、どう呪われているのだろうか。姿かたちか、顔立ちか、それとも。
「お前は、私が誰ともわからん女との間にもうけた子だ。……だが、どうしてか。ナルシェルよりもお前の方が優れている。お前は大人が扱う剣を軽々と振り回す。高い場所から落ちても、怪我一つ負わない」
お前は何なのだ、人間ではないのか。ナルシェルではなくお前に公爵家を継がせるべきなのか──。
などと、父は悩んでいた。
父の悩みは義母に伝わったらしく、義母はますますレオナードを憎むようになった。
父はレオナードに複雑な感情を抱いていた。半分は自分の血を分けた息子。しかも、その見目は麗しく、常人離れした身体能力を持ち、優秀だ。
期待を、されたのだろう。愛は与えられなかったが、教育は厳しいぐらいに受けさせた。
「ナルシェル、いい子ね、可愛いわ。私の宝物! 庭にお菓子とお茶を用意したのよ。一緒に食べましょう」
ひたすらに勉強をし、鍛錬をする毎日で、義母に甘やかされるナルシェルをレオナードは羨ましく思いながら遠くから見ていた。
義母の目がこちらに向かないかと。
あなたも一緒にどうかと、誘ってはくれないかと。
あなたもグレイス家の子なのだから、遠慮しなくていいのよ──と言って、家族に、してくれないだろうか。
「レオナード、あなたもいらっしゃい。お菓子を食べましょう。シフォンケーキ、美味しいわよ」
「……母上」
ふと、義母の視線がこちらを向く。
手を差し伸べられる。優し気な口元と目をした女性の顔だ。
誰かの顔と重なる。誰だったか。人の顔を覚えるのは得意ではない。
いや、違う。得意ではないというわけではなく、判別をしないようにしているだけだ。
レオナードは特別を作らないようにしていた。
自分は、父を何かしらの手段を使って貶めて子をもうけた、誰なのかさえわからない非道な女の子供だ。
そんな自分が、人並みの幸せを求めていいわけがない。
この血筋は、自分で絶やすべきだ。
だから、人の顔を判別しないようにしていた。そうすると、それが当たり前になった。
レオナードにとっては女は女、男は男、鳥は鳥でしかない。
だから──。
「レオナードさん、どうされましたか? アンナさんがお菓子を焼いてくれたんです。一緒に食べましょう?」
手を差し伸べてくれた女の輪郭が、変わっていく。
優し気な目元、ふわふわしたミルクティー色の髪、好奇心に輝く甘栗色の瞳。
「マユラ……」
「はい。ぼーっとしていましたよ、レオナードさん。何か、困ったことがありましたか?」
「いや、困るようなことは、なにも」
「じゃあ、一緒にお菓子を食べましょう。時には休憩も必要です。レオナードさんはいつも頑張っていますからね」
背伸びをして伸ばされた手が、レオナードの頭を撫でる。
大人しく頭をさげて、撫でられるままになっていた。
──こんな風に、幸せでいいのだろうか。
誰かを心の中に、心の深い部分には、入れないようにしていたのに。
だが、あまりにも──その小さな手が、心地いい。
お兄様はものすごく幸せな夢を見ているというのに、レオナードさんは真面目なので一人でシリアスをしていますね
感想いつもありがとうございます、全部読ませていただいております、嬉しいです!
中々お返事かえせなくてすみません、本当に嬉しく思っています!




