雪見風呂そして石像
未だ、浴室には雪が積もっている。
マユラの隣で兄は足を伸ばし優雅に湯に浸かっており、浴室内にキラキラと雪の結晶を舞い散らせていた。
「綺麗ですね。お兄様は器用ですね」
「お前のためなら、なんでもしよう。お前が魅力的すぎて思わず吹雪かせてしまったが、喜んでくれてなによりだ」
「お湯はあったかいですし、雪は綺麗ですし、風情があっていいですね。でも他のお客様たちのご迷惑になるのではないでしょうか」
「問題ない。貸し切りにするよう頼んできた」
「そんなことができるのですか?」
「多少、金払いがよければ大抵の望みは叶う」
「そ、そうなのですね……」
金なら腐るほどあると、兄は言っていた。
一体いくら払ったのだろうか。
ところでユリシーズは優雅に風呂に入っており、師匠は湯桶のなかでいつものように腕と足を組んでいるが、レオナードがやけに静かだ。
視線を向けると、マユラの隣で口を押さえながら何かをぶつぶつ呟いている。
「どうしましたか、レオナードさん」
「い、いい、いや、なんでもないんだ」
「何でもない人の反応ではありませんけれど」
「下心だな」
「レオナードさんは太陽の騎士様なので、そういった心とは無縁ですよ。お兄様、失礼なことを言ってはいけません」
「私は下心しかない」
「そうはっきり言われましても……」
『兄よ、肉欲に心を支配されるのは愚かなことだ』
諭すように、師匠が言う。
マユラの隣で、レオナードがびくっと震えた。
「……俺は愚かだ」
「レオナードさん?」
「ま、マユラ、すまない、あまり近づかないでくれ。俺は何をしているんだ、一体……? ユリシーズを止めればよかったのに、皆で入浴を選ぶとは、どうかしていた……」
『肉欲の獣め』
「師匠、失礼なことを言っては駄目ですよ。……ん、あれ?」
レオナードの方に、マユラは身を乗り出した。
湯気の中に、人影が見えたような気がしたのだ。広い湯船の奥に何かがある。
「んん?」
「ま、マユラ、あまり傍に来られると、肌が、その……」
「やはり下心しかないな。レオナード、爽やかさの仮面を被りマユラを誑かそうとは。一晩共にしたときに、寝ているマユラに何かしたのではあるまいな。殺す」
「俺は何も……ま、待ってくれ、マユラ、その、あまり近づかれると……!」
マユラはすくっと立ち上がって、レオナードを通り過ぎてざばざば湯をかきわけながら、大きな浴槽の奥へ奥へと進んだ。
通り過ぎるときにレオナードが両手で顔を隠していたような気がするが、それよりも気になることがある。
「……これは」
「どうした?」
兄が背後からついてきて、マユラの腰に腕を回した。
背後から抱きしめられているのだが、それどころでもない。
「お兄様、ここに石像があります」
「石像があるな」
「ユリシーズ、それはまずい。よくない。離れろ」
「私に指図するな」
慌てたようにレオナードがやってきて、ユリシーズをマユラから引き剥がそうとする。
ユリシーズとレオナードが背後でいがみあっているが、マユラはとりあえず二人をほうっておいて、石像をぺたぺた触った。
それは、若い男性の石像である。
冒険者風の装備をつけているので、どこかの将軍を模したものだろうか。
それにしては──。
『た、す、けて……たすけてくれ、名も知らぬ、美女よ……』
「美女……!」
『魅惑的な、姿をした、美女よ……』
「美女……!!」
美女と呼ばれたのははじめてだ。
マユラは思わず石像から手を離した。
『なんだ、お前は。美女美女、と。どこに美女がいる? いたら会いたいものだな』
「師匠、石像に美女と言われました。男性から言い寄られたことははじめてなのですが、まさか、初体験の相手が石像なんて……」
『強く頭でも打ったのか』
打っていない。マユラは未だいがみ合いをつづけているユリシーズとレオナードの腕をひいた。
「ま、マユラ、その、あたっている……!」
「あてているのだろう。私はいつでもかまわないぞ、マユラ」
「二人とも、石像が助けを求めているので、少し落ち着いてください。この石像、多分ただの石像じゃありません」
「石像?」
「石像などほうっておけばいい。マユラ、この兄の心をここまで乱れさせるとは、さすがだ……」
「お兄様、嫌いますよ」
「……石像が、どうした」
マユラはレオナードとユリシーズを石像の元に連れていく。
そして、師匠を抱き上げると、再び自分も石像の前に向かった。
「ただの石像だな」
「なんの変哲もない石像だ」
「……おかしいですね」
レオナードとユリシーズが石像に触れている。
二人には声が聞えていないらしい。首を傾げながらマユラも、再び石像に触れてみる。
『……美しい、お嬢さん。男に触られるのは、ちょっと嫌だ』
「不用意に触れてしまってすみません」
『お嬢さんなら、どこに触ってもいい……』
再び声が響く。どうやら石像の声は、マユラにしか聞えないようだ。
いつか師匠が、スキュラの声はマユラにしか聞えないと言っていた。
たぶんそれと同じ現象が起こっているのだろう。
つまりこの石像は──。
「魔物?」
『違う。魔物じゃない。ちょっと、石化を、してしまってね……』
「石化をした人?」
『たすけて、くれないかな……』
どことなく甘い声で、石像が言う。
助けてと言われたら、助けてあげたい。
けれどどうして、こんなところに石化をした人が安置されているのだろう。
「石化の人、どうしてこんなことになってしまったのですか?」
『……クイーンビーの、せいで……すまない、ながく、話せないんだ。どうか俺を、たすけて欲しい、綺麗な、お嬢さん……』
「綺麗なお嬢さん……」
褒め言葉に、マユラは照れた。
相手が石像であっても、綺麗と言われるのは嬉しいものである。




