共同浴場での攻防
マユラは着替えなどの荷物をもって、師匠を連れて部屋を出た。
兄とレオナードがその後を慌てたようについてくる。どうやら一緒に行くという結論になったらしい。
「お泊り、楽しみですね。宿の共同風呂は大きいものが多くて、大好きです。アルティナ家から王都に来る時に、乗合馬車で旅をしたのですけれど、楽しかったのですよね」
『おい、マユラ』
「どうしましたか、師匠。師匠は嫌いですか、旅」
『なぜ、私を連れて行こうとしている? 私の中身が麗しの成人男性だということを忘れていないか、お前は』
「五百二十八歳の、おじいちゃんの」
『体感的には二十八だ。二十八で魂をこの体に込めたのだから』
「あっ、失われし師匠の過去の片鱗……!」
『これ以上語らん。離せ』
じたじたと暴れる師匠を小脇に抱えて、マユラは一階へと降りた。
一階の通路奥に『湯』と書かれた共同風呂がある。
「……レオナード、お前はここで消えるがいい」
「いや、そういうわけにはいかない」
「何故だ? 下心か。下心だな。そうか、死ぬか」
「ち、ちが……っ、そういうわけではなくて、ユリシーズとマユラを二人きりにしてはいけない気が……」
「兄と妹が二人で風呂に入ることに、何の問題が?」
「都合のいいときだけ、兄妹というのはどうかと思う」
何やらユリシーズとレオナードが背後で揉めている。
マユラはまぁいいかと、女性用の脱衣所に入っていく。他には誰もいないようだった。タイル張りの脱衣所で服を脱いでいる間、師匠は椅子に座って全く違う方向を向いていた。
「師匠、そんなに恥ずかしがらなくても」
『お前……お前は、慎みをもて』
「中身がどうであれ、ぬいぐるみの猫ちゃんに対して慎みと言われましても……」
『私が元の体を取り戻したとき、後悔するなよ』
「戻るんですか、体?」
『……さぁな』
どうにも含みのある言いかたである。
もう少し色々と教えてくれてもいいのにと思いながら、マユラは湯浴み着に着替えた。
湯浴み着は、胸の前で左右を合わせて中心を紐でとめる形をしている。ガウンに似ているが、もっと薄手だ。
ヴェロニカの街の湯浴み着は、街が華やかなせいか女性は赤、男性は黒だった。
赤地に百合が描かれていて、湯浴み着のまま街を歩けそうなほどに良質な生地が使われていた。
だが、こういった小さな街の湯浴み着は、膝丈の短さである。そしてどちらかといえば肌着に近いだろう。
「師匠、準備ができましたよ」
『……お前、そのようなあられもない姿で』
「湯浴み着ですよ。そんなことを言ったら、大多数の人があられもない姿で入浴しているのですが……自宅に浴室があるのは贅沢です。そして過去の私は、基本的に水浴びをしていました。お湯につかれるなんてそれだけで最高じゃないですか」
やや早口になりながら、マユラは言った。
ある程度魔法が使える者たちは、水をあたためて湯にするのも簡単である。
だが、マユラの場合は違う。
夏はまだいいが、冬場などは体を清潔に保つのも大変だった。
今となってはいい思い出だ。あの経験のおかげで、病気ひとつしない頑丈な体を手に入れたのだから。
ともかく、そもそも浴槽というのは贅沢品だ。
貴族や金持ちならばいざしらず、一般庶民は共同風呂で入浴をおこなう場合がほとんどである。
「皆さん恥ずかしがらずに堂々とお風呂に入っていますよ、師匠。師匠はほら、ずっと錬金釜のなかにいたから、きっと世情に疎いのですね」
『共同風呂ぐらいあった。五百年前にもな。私はそれを必要としていなかっただけだ』
「じゃあ初体験ですね、師匠。何事も経験です。お兄様も安価な宿に泊まることを、人生経験とおっしゃっていましたし」
兄はそのあたりが柔軟なのだろう。
アルティナ家にいたときは恐いばかりだったが、案外、人間とはわからないものだ。
マユラに見せていた厳しい一面は、本来の兄ではなかったのかもしれない。
レオナードだって、明るくて前向きで──あろうと、自分を戒めている人だ。
人には色々な面がある。もしかしたら師匠も、共同風呂が気に入るかもしれない。
「わぁ、広いですね。思ったよりも、広い。素敵です」
脱衣所は男女別だが、脱衣所を抜けた先が同じになっているのが、基本的な共同風呂のつくりである。
洗い場があり、浴槽がある。洗い場はつるりとしたタイルでできていて、浴槽も四角いタイルを組んでつくってある。
はしゃぐマユラの腕の中で、師匠が『離せ、馬鹿者、離せ』とじたじたしている。
諦めの悪い師匠である。
「マユラ……なんて、魅力的な姿だ」
「さ、寒……っ」
びゅおおおっと、唐突に浴槽に猛吹雪が荒れ狂い、マユラは急いで湯浴み着のうえから泡立てた石鹸で体を清めた。
ついでに師匠をごしごし洗って、湯が溜まっている瓶から湯をすくい泡をおとすと、ぱたぱたと浴槽に近づいていき体をしずめる。
吹雪の原因であるユリシーズは、脱衣所から出て立ちすくんでいる。
マユラは、兄の様子がおかしいのは、最近ではいつものことなので放っておこうと心に決めていた。
気にしたら負けだ。
「寒い、あったかい、ちょうどいい……」
お湯はあたたかく、吹雪は寒い。こんもり脱衣所に雪がつもりはじめている。
師匠をうすく湯をはったタライに入れてあげながら、マユラはお湯の中でぬくぬくした。
「……マユラ、こちらにおいで。私があたためてやろう」
「遠慮します」
魔力を暴走させていたユリシーズが、心を落ち着かせるように胸に手を当てて深く息をつく。
それからマユラの隣にずいっと、体を近づけてくるので、マユラは若干避けた。
風呂は広い。そこまでくっつかなくても入ることができる、十分な広さだ。
「……ええと、その、あの、失礼、します」
「レオナードさん、どうして敬語……?」
男性の湯浴み着は、腰に巻く布である。
レオナードの裸体は昨日見た。何となく恥ずかしそうに胸を隠しながらレオナードが湯の中に入ってくるので、マユラは首をかしげる。
服を着たままお湯に入っているだけなのだから、そんなに気にしなくても──と、思うが、そういえばレオナードは貴族だ。共同風呂に慣れていないのだろう。




