わだつみの祝福亭でのお礼
店のことはアンナにお任せをして、旅支度をするためにレオナードとは一旦別れた。
支度をし終わったらわだつみの祝福亭に集合ということにした。
無事にレオナードが家に戻ってからわだつみの祝福亭に来ることができるのかと心配するマユラを察したように、イヌが「わおん!」と元気よく吠えた。
レオナードのことは任せろ、といっているようだった。
「すぐに戻る」
「わかりました。待っていますね」
「戻ってこなくていい」
「お兄様は帰らないんですか……?」
アンナとルージュに見送られて、マユラは錬金術店前の坂をおりていく。
イヌに乗ったレオナードの姿はあっという間に見えなくなり、兄と師匠と三人になった。
すぐ隣を歩いている兄から、なんとなく少し体の距離をマユラは離す。
「かえる……?」
「帰るという単語をはじめて聞いたみたいな反応をしないでください……お兄様、お仕事は?」
「仕事……とは、なんだったか」
「騎士団のお仕事です」
「シズマに任せてきた。元々私がいなくても、第二部隊は問題なく仕事をしている。私は単独行動が多いのでな」
「部隊長として、どうなんでしょう……」
「騎士たちは足手まといだろう?」
当たり前のように言う兄に、マユラは苦笑する。
兄にとってはそうなのだろうが──前回単独行動してスキュラの呪いにかかり、リヴァイアサンに負けそうになっていたことは兄の中ではなかったことになっているようだった。
「でも、お兄様。騎士の方々にはお兄様が必要ですよ、きっと」
「私にとっては、お前の力になる方が重要だ。どこかに行くんだろう? レオナードと二人で……? レオナードには頼るのに私には頼ってくれないのか、マユラ」
「……そういうわけではないのですけれど」
仕方なくマユラは、ユリシーズに今からどこにいくのか、何をしようとしているのかを説明した。
ユリシーズは真剣な顔で話を聞いて、「では私も同行しよう」とあっさり言った。
「いいのでしょうか……」
『かまわんだろう。ユリシーズは私ほどではないが、なかなか見込みのある魔導師だ。レオナードだけでは少々頼りないからな』
「レオナードさんも頼りになりますよ、師匠」
『どのあたりが?』
「……優しいところ、とか」
『その優しさのせいで呪われ男は呪われたのだ。優しさを美徳と思ったら大間違いだ』
「優しくないよりはいいですよ、師匠。師匠だって優しいですよ、時々、ごくまれに」
『私は優しくなどない。優しさを安売りなどしない』
マユラの腕に抱えられている師匠が、ぺしぺしとマユラの腕を叩く。
レオナードも優しさを安売りしているわけではないと思うが──。
ともかくユリシーズも同行することが決まり、マユラたちはわだつみの祝福亭に向かった。
わだつみの祝福亭に辿り着くと、すぐにニーナが駆け寄ってくる。
「お姉さん、こんにちは! 魔導師のお兄さんもこんにちは!」
「ニーナちゃん、こんにちは。お店、開いてる?」
「空いてるよ! わだつみの祝福亭は、朝の七時から夜の十時までえいぎょーです!」
「朝はずいぶん早いのね」
「漁師さんたちが来るから」
ニーナがマユラの手を引いて、中に案内してくれる。
すでに何人かの客がいて、漁から戻った漁師たちは朝から酒を飲んでいた。
ユリシーズに、女性客が頬を染めて熱い視線を送っている。ユリシーズは全く気にした様子もなく、マユラの隣にぴったりと寄り添っていた。
「マユラ、よくきた」
「マユラ、いらっしゃい。何か食べていくかい?」
グウェルとエナがマユラたちに気づいてすぐに話しかけてきてくれる。
それからエナがぱちんと手を叩いて「ニーナ、あれをあげるんだろう?」とニーナに目配せをした。
ニーナが慌てた様子で、転がるように店の奥へと走っていく。
エナに案内されて、マユラとユリシーズは窓際の席に座った。
「何か飲むかい? ホットココアもあるし、ジンジャーティーラテもおすすめだよ」
「では、ホットココアをいただけますか?」
「あぁ。この時間だから、昼食って感じでもないよね。桃ジャムのクッキーを焼いたんだけど、食べるかい?」
「ありがとうございます、エナさん。お兄様はどうしますか?」
「私もマユラと同じものを」
ややあって、エナが小さなマシュマロがぽこぽこ浮かんだホットココアを届けてくれる。
皿には花形をした、中央に桃ジャムのたっぷり入ったクッキーが並んでいる。
「わぁ、美味しい! 甘くて美味しいです。ジャムも、桃の味がすごくしますね」
「喜んでくれて嬉しいよ。こういうのもいいものだね。食堂だからと思って、魚や貝やタコや海老ばっかり出してたけど、クッキーを焼くとニーナが喜ぶしね。旨い料理はグウェルが作ってくれるから、あたしは菓子でも作ろうかって思ってさ」
「エナさん、お綺麗ですから、お菓子作りがとっても似合いますよ」
「やだ、やめてくれよ。がさつとか、男勝りなんてことばよく言われるんだ。あんまり似合わないだろ?」
「そんなことはないです。似合っていますし、すごく美味しいです。ココアも可愛いですね」
「……そうかい。ありがとうね。こういう可愛い菓子を作りたかったんだよね、本当は」
照れたように、エナが言う。
「グウェルが死にかけて、人間、いつ死ぬかわからないんだなって思ったんだ。ほら、グウェルなんて殺してでも死ななそうなのにさ。もちろんあたしは健康で、元気だけど、好きなことは遠慮せずにやっていこうかと思って」
「今まで、作らないようにしていたんですか?」
「まぁね。この店を両親から継いで、店を守らなきゃって必死で。食堂らしくない料理は作る意味がないって思いこんでいてね。でも、ココアやクッキーを出し始めたら、女性客が増えたね。まぁ、ユリシーズやレオナードのおかげもあるだろうけれど」
静かにココアを口にしていたユリシーズが、軽く視線をあげる。
「レオナードは元々モテるんだけどさ、麗しの魔導士様まで訪れる店……っていう噂が広がって。ユリシーズを一目見たいっていう女は多いんだよ」
「なるほど……」
確かに女性たちの視線はずっとユリシーズにそそがれている。
テーブルの上に座っている師匠が『全盛期の私の方が顔がよかった』と呟いた。
「本当にぬいぐるみがしゃべったわ……!」
「可愛い、ねこちゃん……」
「腹話術じゃないのかしら……?」
「でも、可愛いわ、ねこちゃん」
師匠の姿に、女性たちから黄色い声があがる。マユラは「よかったですね、師匠」と、師匠を指でつついた。
「ぬいぐるみがしゃべるって、ニーナが言うものだから、見たいって客も多くて。騒がしくてすまないね、マユラ」
「大丈夫ですよ、エナさん。噂になるということは、錬金術店のお客様が増えるということですから。そうだ、こちら、解熱のポーションと治療のポーションが入った薬ケースです。絵はお兄様が書いてくださったのですよ」
マユラがポーションの入ったポーションケースを渡すと、エナはそれを受け取って、しげしげ眺めた。
「ユリシーズが描いたにしては、すごく、可愛いね」
「そうなんです。お兄様の絵、すごく可愛いんです。今日からマユラ・グルクリム錬金術店を開きましたので、ぜひよろしくお願いします」
「だってよ、皆! マユラのポーションの効き目は、あたしとグウェルが保証する。ぜひ行ってやってくれ」
エナが店中に響き渡る大きな声を出すと、客たちから「わかったよ、エナさん」「マユラちゃん、頑張ってね」「ユリシーズ様の絵が入った薬ケース、可愛い……欲しい……」という声があがる。
「ありがとうございます、エナさん」
「いいって。こちらこそいくら礼を言っても言い足りないぐらいなんだから。ね、グウェル」
「あぁ! おかげで絶好調だ。鍋を振るこの俺の腕! ときめくだろう、マユラ!」
「そうですね、ときめきます」
剥き出しの腕には、魚の紋様が入っている。そしてムキムキしている。
ややあって、ぱたぱたとニーナが戻ってきた。
ニーナの手には、ビーズで作られたブレスレットが握られている。
「お姉さん、これね、ニーナがつくったの」
「わぁ、すごい。上手ですね、ニーナちゃん」
「ありがとう! これ、お姉さんにあげる。お父さんを助けてくれたお礼。お兄さんと、レオナードさんの分もあるよ」
マユラにはピンク色のビーズのブレスレットを、それからユリシーズには青いビーズのブレスレットをニーナは渡した。
「私に? そうか。感謝する」
「それと、師匠にはこれ」
ニーナは師匠に、赤いビーズを一粒渡した。師匠はビーズを受け取ると『私にか……』と呟いた。
「ありがとう、ニーナちゃん。とっても嬉しいです」
マユラはブレスレットを手につける。装飾品を身につけたのはこれがはじめてだ。
なんだかくすぐったい気持ちになる。どんな宝石よりも、ビーズのブレスレットは輝いているような気がする。
「マユラ、それはね、グウェルを助けてくれた礼だよ。それと、マユラとユリシーズとレオナードは、わだつみの祝福亭での飲食は永久無料にしておくから。いつでも食べにおいで」
「永久無料……! そんな、それは申し訳ないです」
「いいんだよ。それぐらいのことを、あんたはしてくれたんだから。まぁ、三人とも、無茶な飲み食いはしないってわかったうえでの無料だけどね」
エナが冗談めかして笑う。
マユラは深々と礼をした。「マユラたちが来てくれると客が増えるからな。遠慮なく来てくれ」とグウェルが豪快に笑いながら言った。




